見る前に跳んでみる
2016/03/11
ジャズを演奏をしたい人がいるとする。
彼は音楽学校に通う。
理論やフレーズの常套句を念入りに学習する。
スケール、理論をマスターした。
いきなり「さぁ即興で何か弾いてみましょう。」と言われたら?
おそらく弾けないことだろう。
弾けたとしても面白い演奏にはなかなかならない。
英語を勉強する。
単語をたくさん覚え、文法もみっちりと学習する。
さぁ、外国人と話してみよう。あるいは英文で何かエッセイでも書いてみよう。
話せない、書けない。
話せたとしても、書けたとしても大した内容を表現出来ないと思う。
ホームページを作ろうと思い立つ。
HTMLぐらいは覚えておかないと。ついでにスタイルシートやJAVA、フラッシュなんかもかじってみたりして。
一通りマスターした。
さぁ、ホームページ作成だ。
面白いものが作れない。
デザインや仕組みに凝ることは出来るが、大して言いたいがあるわけでもなし、いざ内容という段になると意外とつまらないことしか思い浮かばないことに気がつく。
本末転倒。
このような事態に陥らないためには、まずは準備万端整えた上で取りかかろうという考えを捨てるとことだと思う。
「見る前に跳べ」と言ったのはたしか大江健三郎だったが、ある程度の段階で跳び込んでしまう。跳び込みながら軌道修正と学習を繰り返す。
だいいち「準備万端整う」状態っていつのことだ?
最初は稚拙なのは仕方がない。
しかし、少ない手持ちの駒を最大限有効に使う。恥をかきながら、学習を繰り返す。
この姿勢が大事なのではないか?
むしろ最初は稚拙なぐらいが良いのかもしれない。見ていて危なっかしいから、周囲が色々と助け舟を出してくれるし、助言をしてくれることが多いからだ。
この時の人の助言に耳を傾ければ、思わぬ収穫をもたらすことだってある。
とにかくライブをブッキングしてしまう。締め切りに追われて恥をかきたくない一心でライブ当日までの練習が充実することだろう。
仮に本番で失敗や失態を演じたとしても、緊張下の元での失敗は強く心に残るので、少なくとも同じ失敗は二度としなくなる。
とにかく外国人に話しかけてみる。臆せずに少ない単語を駆使しまくる。
言いたいことが言えなかった。伝わらなかった。悔しい。
だから言いたいことを調べるようになる。そして覚える。
使うかどうかも分からない言い回しや単語をやみくもに覚えるよりも、必要に応じて覚えたものの方が血となり肉となる。
とにかくアップロードしてしまう。
プログラミング知識が皆無でも、作成ソフトが廉価で出回っているのだから、それを駆使してあれこれと試行錯誤を重ねる。
とにかく「始めてしまった」という事実が重要なのだ。
理屈や技術は経験を通して自然と身についてくる。
ジャズ、英語、ホームページを例にあげたが、当然のことながらこの3つに限った話ではない。どんなことでもまずは「跳んで」みなければ、いつまでたっても欲しいものは手に入れられないし、目標に近づくことすら出来ない。
石橋を叩いて渡る?
叩いている暇があれば渡ってしまえ。
記:2001/03/10