腕相撲の映画。シルヴェスタ・スタローンの『オーヴァー・ザ・トップ』
昨日、息子が朝。学校に早く行きたくて家を飛び出してゆく話を書いたら、ジャコ研究家のじゃこのめさんのご子息も、集団登校の集合先に一番乗りでかけつける競争を友達としているという書き込みがありました。
きっと、うちの息子もそうなんだろうなぁと思い(うちの息子が通う学校も集団登校制度)、昨日訊いてみたら、やっぱりそうでした。
うちの息子のグループには、同じ学年の1年生はいません。1年生は息子だけです。
あとは、2年生、3年生のお兄ちゃんがいるんだけれども、彼らのよき子分な息子は、お兄ちゃんたちと遊んでもらうのが楽しみなようです。
だから、とくに競争をしているというワケじゃないんだけれども、とにかく早く友達に会いたいという気持ちで、家を飛び出してゆく。
今日もテーブルの上にある時計を今か今かと貧乏ゆすりしながら眺め、時間になると「ドバッ!」と物凄い勢いで玄関から離陸してゆきました。
話かわるけど、今更ながらシルヴェスタ・スタローンの『オーヴァー・ザ・トップ』観ました。
腕相撲の話です。
父親と息子のふれあいの話です。
単純明快で、とてもいい話ですね(笑)。
映画の批評ページをいくつか覗きましたが、しかし、この映画、評価があまり芳しくない。
「ロッキー」と「チャンプ」を足して2で割って、腕相撲をくわえただけの作品
といったような評もありましたが、映画の内容そのものではなく、既存の要素を足したり割ったりすることで評価を左右することに驚き。
そんなこといったら、《アイ・ガット・リズム》のコード進行に、サビの部分を《ハニー・サックル・ローズ》のコード進行を足し、新しいメロディを乗っけたパーカーの《コンステレーション》や《メリー・ゴーラウンド》なんかも、その“くっつけた”という事実をもってして評価が下がっちまうんだろうね。
もちろん、新しさも評価においては重要な要素なのかもしれないが、「あの雰囲気、あのテイストをもうちょっと別なカタチで味わってみたいのよ」という欲求を持つ者もいるはず。
既存のものと既存の要素をミックスすることによって、新しいものが生まれることだってあるし(パーカーの曲なんかがいい例だ)、なにより、作品が面白ければ、何が足されて何がのっけられようが、イイんとちゃうんですか? というのが私の考え。
ところで、ここ一週間の間、嬉しいことが約4つか5つありました。
機会があれば、それについて書いてみようと思います。
記:2006/08/31(from「趣味?ジャズと子育てです」)