奄美・歴史探索の旅 4

   

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text:高良俊礼(Sounds Pal)

「奄美の歴史探索の旅3」の続きです。

石垣

探検する時は直感も大事だが、資料や文献から、直感でもって発見したものの裏付けをする作業も大切だ。

私は図書館に行って「小浜の山」に関わることが書いてある資料をとにかく探した。

が、資料には、例えば神社や公共施設など、いわゆる「ちゃんとした由来があるもの」のことや、集落の伝承・昔話など、既に物語として語られていて、明治やそこらの微妙に今と関わりがある言い伝えについては、書かれているものはほとんどなかった。

さもありなん、狭い地域だ。

特に名瀬の中心地域から少し外れたところは、かつて何もなかった場所が、宅地になって整備されたりしている。

そこで「いわく」があるなんてことになったら、現実問題として、住んでいる人達はいい気持ちはしないだろう。

「地域の歴史」というのは本当に難しい。

ガックリして図書館を去ろうとしたその時、壁に貼られている一枚のポスターが目に飛び込んできた。

それは奄美市名瀬エリアの史跡の所在が書き込まれたイラスト地図で、何気なく小浜近辺を眺めていたら、そこには「城(グスク)跡」と書いてある。しかも、イラストに描かれているのは、何と石垣である。

「え? 石垣・・・!?」

中世グスク

注意深く、その地図と、私が歩いた近辺の地形を頭の中で照らし合わせた。

どうやらあの山頂付近で間違いない、いや、どこをどう読んでも「あの場所以」外考えられない。

「城(グスク)」とは、沖縄や奄美などで見られる、読んで字の如くの城跡だが、そのほとんどは中世、時代でいえば平安時代の後期から室町時代に作られたものが多く、王や豪族の居城だったものや、本土の山城とほぼ同じ形式の、極めて実戦的な要塞だったもの、或いは祭祀の場であったものなど、様々な形式があるという。

沖縄のグスクの話は何となく聞いたことはあったが、まさか奄美にもグスクがあって、更に調べてみると奄美は至る所グスクだらけで、しかもそれらはほどんど同じ時代の本土の山城に影響を受けた、極めて実戦的なものであるという。

「中世の実戦的な山城」といえば、楠正成の赤坂城や千早城である。

険しい地形を利用し、かつ尾根をブッタ切ったり、様々なえげつない仕掛けが施されたた堅牢な砦であるだけでなく、いくつかの出城同士が東西南北縦横斜めに有機的に連携し合うことによって、既存の用兵術をことごとく無力化し、戦国時代への口火を一早く切った中世の山城。

小浜の山のあの石垣が、ホンモノの中世グスクだというなら、あの場所は刑場どころじゃない、もっともっと遠い時代の、もっともっと複雑な歴史が埋もれている場所ではないか。そう思った。

たまたまじゃない「何か」

「物語の臭い」が、私の中でえもいえぬ濃厚さで立ち込めてきている。

そういえば、幼い頃であったが、私は何故か近所の山を、楠正成の赤坂城や千早城に見立てて、よく「ごっこ」をやっていた。
よくよく調べてみたらその山も、グスクの跡を立証する遺物が出てきたらしい。

こうなってくると、たまたま私が小浜の山に登って、たまたま偶然中世のグスクの遺物である石垣を見たのも「たまたまじゃない何か」のような気がしてならない。

「探検してやろう、記録には記されていない秘められた歴史の声のようなものを、できるだけたくさんその場で拾い上げてやろう」

それから「探検」は私の大きな趣味になった。

奄美の歴史探索の旅 5」につづく

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

記:2016/10/02

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