私のコンプレックス
2019/06/09
物語が書けない
こんなこと言うとヒンシュク買いそうなんですが、私にはコンプレックスというものがあまりありません。
というか、そもそも根がアホなので、コンプレックスという概念そのものが欠如しているのかもしれない。
でも、強いてコンプレックスを挙げるとすれば、それは「物語が書けない」ということなのではないかと思います。
あ、べつに小説家になりたかったというわけではないよ。
昔から、文字を書くのが好きだったのですが、いや、正確にいえば、勉強や仕事の合間に気晴らしに文字を書くことが好だっただけなので、べつだん文字を書くことが好きで好きでたまらない!というわけでもないのです。
それがいつの間にか、文章を書くことが好きになった……のではなく、苦にならなくなった。
ただ、物語を書くことはまったく出来なかった。
もちろん書こうとしたこともないのですが、ある日、なにげなく、「そういえばオレってストーリーっぽいことを書いたことってないよな」と思った瞬間から、物語を試しに書こうとしても、まったく書けない時自分に気がついた。せっかく文字を書くのが苦にならないくせに、なぜか物語を書くことが全くできないんですよ。
誰かが敷いたレールの上でオリジナリティを出そうとしている
そんな私でも、人一倍表現欲求は強いようで、常に何か作っていたいという欲望はあるんですね。
それは音楽でも、プラモデルでも、文章でもいいんだけれども、何か指先を動かして1秒前になかったものをカタチっぽいものにしたいという欲望はあります、小さい頃から。
だから、最近はプラモだったらガンプラばっかり作っているし、ちょっと前はベースばっか弾いていた。
その前はピアノを弾いたり、シンセサイザーをいじくりまくって曲を作ったり多重録音をして楽しんだりもしていたものです。
何かカタチにしていないと気が済まないんですね。
でも、ガンプラにしても、それはバンダイさんが作った「ひな型」、つまり、プラモデルが、かなり精密な状態で最初からあるわけで、それを組み立てて色を塗っているだけだから、メーカーが敷いたレールの上を、ただ単に走っているだけなんですよね。
それから、ベースだって弾いている曲は既存の曲のコピーやカバー、ジャズでいえば、ブルースかスタンダードばかり。
つまり、「すでに出来上がっているレール」の上を、他人と少しだけ違った走り方を追求しているだけなんですよね。
それからシンセサイザーにしても、結局やヤマハさんやコルグさんが組み立てた機械装置の上でツマミやレバーをいじくっているだけだから、これもすでに出来上がったものの上でクルクル回っているだけなんですよね。
もちろん、ガンプラもベースもシンセも組み合わせ次第では新しい価値が生まれる可能性は有るけれども、やはりすでに誰かが設定したルールの上をなぞっているという気分は心のどこかにヒッソリとあるわけです。
それに比べると、文字を書くことっていうのは、眼前にあるものは真っ白な紙、もしくはモニター上のテキストソフトではないですか。
真っ白なものの上を文字で埋めて、何らかの価値を創り出していかなければなならない。目の前の真っ白を埋めたい、汚したい!という原初的な衝動はあるんだけれども、と言うより、初雪の上を靴で踏み荒らしたいという幼稚かつ地味な欲求なのですが、せっかく真っ白を黒で満たしていくのであれば、意味があること、できうることならば、面白いもの、他人が読んでも価値があるものにしたいと思うわけですよ。
そうすると、どうしても、無の状態から新しい話を噤み出すのではなく、すでにあるもの、つまり聞いたことのある音楽や読んだことのある本、観た映画などについての「あれこれ」を書くしかない。
ようするに、評論野郎、批評野郎ってことなんだけれども、あんまりカッコの良いものではない(個人的には)。
でも、それが得意というわけではないにせよ、「苦にならない」わけなので、まあときには楽しいこともあるわけだから、細々と、このペースでなんとはなしに続けていくのがベストなのかな?と最近は半ば諦めを通り越した悟り気味の境地なのであります。
てなことを、香山リカ・著『「だましだまし生きる」のも悪くない』を読みながら、考えていました(笑)。
記:2011/11/22