鬼才、天才、フランク・ザッパ
text:高良俊礼(Sounds Pal)
フランク・ザッパ
ロック史最高の鬼才、天才、変態(失礼!)フランク・ザッパといえば、とにかく「凄い人だ」と語られることの多い、数少ない“ホンモノ”(色んな意味で突き抜けてる、という意味で)なアーティストの一人である。
今現在も真面目にイカレたロック好き、ギター野郎、ハードロッカー、パンク小僧、ジャンルに囚われないジャズファンetc...本当に幅広すぎる音楽好きから、彼へのリスペクトの声は熱狂的なものがあるのだ。
アナーキスト ザッパ
何でかっつうとザッパ本人も上に挙げたあらゆる音楽のジャンルをぜ~んぶ呑み込んで素晴らしいジャンルレスな音楽を作ってたから。
・・・いや、これは「もっともらしい嘘」。
本当のところはザッパがリスペクトされる理由は、その雑多な音楽性よりも、彼の真性のアナーキスト、パンクスよりパンクな表現姿勢によるものと思う。
極め尽くした結果なのかそれとも天然なのかよく分からない軟体動物みたいなギター・プレイで、作品毎に全然芸風が違ったりする多種多様な音楽性で、そして強烈な皮肉とユーモアに充ちた歌詞や発言の全てを総動員して、世界をバカにし、おちょくり続けた。
もしもアナタの身の回りに、物凄く頭が良くて、勉強もスポーツも何でも出来て、趣味も良い完璧な人が、その才能を全部「世間をおちょくること」に投入したら、アナタは彼と距離を置きつつ、心の中で畏敬の念を覚えるだろう。
フランク・ザッパとは、そういう人なのだ。
ワカ/ジャワカ
私はスティーヴ・ヴァイが全盛だった世代に、「ヴァイの師匠」という雑誌記事を見てザッパを知った。
当然「超絶バカテク、早弾き卒倒級」のウルトラ・ハードロックなギタープレイを期待して買った最初のザッパは『ワカ/ジャワカ』という、超ジャズ/フュージョン寄りのアルバムだったから、もう訳が分からないどころか、もうり付く島もない。
以前、ジミヘンの話を書いたが、その「訳の分からなさ加減」は、ジミヘン以上だった。ほどなく私は『ワカ/ジャワカ』をとっとと売りに出して、それ以降「フランク・ザッパ」という名前を記憶から消去した。
ザッパフリーク
しかし、巡り合わせというのは分からないものである。ハタチの頃にアルバイトとしてもぐりこんだレコード店の店長が、熱烈なザッパフリークであったのだ。
厳しい人だったので、直接ザッパの素晴らしさを説いてもらったことはなかったが、他の社員の人やベテランの先輩アルバイトの人たちとの会話を私は盗み聞きして、最初に書いたように「ザッパが如何に天才で、如何に変態で、如何に反骨精神に溢れた素晴らしいミュージシャンであるか」ということを知った。
更に驚いたのは、お店に来るお客さんで「ザッパ好き」の人たちの層の厚さである。
「ザッパフリーク」という、ザッパの再発から何から、或いは「特典が違う」というだけでレコードチェーン数社を渡り歩く人達は居たが、ザッパの再発盤を嬉々として買って行く人の中には、ジャズやブルースのお客さんが結構居たことに私は驚いた。
あるブルース好きのお客さんに、恐る恐る「あの~、何でまたザッパなんですか?」と尋ねたら「え? ザッパのギターってゲイトマウス・ブラウンとかジョニー・ギター・ワトソンの影響受けてんだよ。聴き込んでくと“あー、ゲイトマウスの影響受けてんなぁ~”てのとか段々分かってくるんだよ。面白いよ~」という答えが返ってきた。
あぁ何たること。
その2人のブルースマンは、私が丁度その頃「カッコイイな」と思ってCDを買いだしたばかりの人たちである。
「あぁ、やっぱりザッパをちゃんと聴いておけば良かったよ・・・」と、後悔し反省した私は、そのお客さんにこっそり「オススメのザッパ」を教えてもらい、メモをした。その時メモの中から『シーク・ヤブーティー』という何だかイカしたタイトルの作品をピックアップして購入した。
シーク・ヤブーティー
これは70年代を代表する傑作といわれ、例によってごった煮の音楽性と毒にまみれた「やりすぎ」感を遠慮なく出つつも、演奏はバッチリ決まっていて、ザッパの変態ギターもグイグイ前に出てカッコイイ。
何年もお気に入りで聴いて、私の「ザッパ感」は、この一枚を中心に形成されていったが、ひとつ困ったことがある。このアルバム「凄くイイよ!」と誰かに貸したまま行方不明なのだ。
自らの音楽性を簡単には掴ませないザッパらしいといえば、この「行方不明事件」も、天国のザッパ師に「へへ、おめぇごときチンピラに、簡単に俺の音楽分かるとかホザかれたくねぇよ~」とおちょくられているように思えて何だか感慨深いのである。
記:2014/10/11
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)