受け身な私ですが、将来は学校や教室のようなものを作れればいいなと漠然と考えています。
2016/11/19
こう書くと、「え~?」と思われる方も大勢いらっしゃると思うのですが(笑)、私は、とっても受け身な人間です。
いや、ほんと、そうなんですって。
音楽だって、持っているコレクションの7~8割が、人から勧められて、あるいはディスクガイドなどに薦められていたものを買ったものです。
そして、私の人生は、ほとんどが消去法でここまでやってきました。
どちらかというと、アクティブに、何かを得るために行動するよりも、自分が感じる不快なもの、嫌いなものを少しずつ身の回りからなくしていくことのほうが多いです。
そうすることによって、自分の周りに残るのは、少なくとも不快じゃないものが多くなります。
不快ではないものの中から、はじめて、「もしかして、俺はこれがとっても好きなのかもしれない!」というものに出会うことのほうが多いのです。
何かを切り捨てると隙間、空間が生じます。
この隙間にまた、新しい風が入ってくるのです。
んで、その新しく吹いてくる風を期待している自分がいる(笑)。
「オレはこういう人間だから、ああで、こうだから、そういうことなんです。」みたいに、あまり自分をワクにはめたくないし、ヘンなこだわり(しかも自分だけの思い込みで)で自縛、硬直化したくない。
やりたいこと、楽しいことは、お金払って趣味のほうに求めますって(笑)。
私の才能、能力(あれば、だけど)を買ってくれている方々がいらっしゃるとすれば、たぶんそれは、私の趣味の分野におけるスキルじゃないと思う。
で、その分野って、きっと自分が気付いていない部分なの。
だから、私は彼が求めていることをサポートしたりお手伝いするの。彼らのニーズがきっと新しい私のことを引き出してくれるの。
甘いかな?
いや、これでいいのだ。と勝手に納得している自分がいる。
ね? 受身でしょう?
この考え方は昔からあったようで、そういえば、今思い出したんだけど、私、学生時代に学習塾の先生をやっていたことがあるんですよ。
で、各教室の先生たち(全員バイトですけど)が一つの場所に集まり、月に一度討論会というかディスカッションの場が設けられていました。
最初は、なかなか向上心のある塾組織だなぁと思って参加していたんだけれども、そのうち、なんだか同世代には受け入れられない「イタい人たち」の大ルサンチマン大会と化していることに気がついた(笑)。
金持ち、モテてる人、遊んでいる人に対する嫉妬、憎悪、怨念がすごいんだもの。
そういえば、オレがその塾にバイトするために塾長に会いに行ったら、「おまえ、ディスコ行く人間か?」と聞かれたので、「いえ、行かない人間です」と応えたら、「よし! 採用!」だったもんなぁ(笑)。
当時はバブルが終焉を迎えつつある時期だったけれども、ジュリアナトーキョーとかにタムロしている男女たちを嘆かわしく思っている、というよりは、羨ましいんだけれども、参加できない自分たちを(参加しても相手にされることがないであろう自分たちを)正当化するための、はけ口としての機能を果たしていたんだと思う、その勉強会は。
で、ある日、その勉強会で、なんだかカンチガイしたポジティブ思考な先生たちが、「あれもやる、これもやる、こういう人間になる、こうしたい、ああしたい!」と汗水たらして、自分の目標やら決意を熱く語るんですよ。
それって、聞いているこちらとしては、超ウザイのよ(笑)。
できるわけねーじゃん、て思うのね。
塾の経営者を前に、ボク、こんなに向上心あるもんね!という売り込みポーズともとられかねないそのウザい熱っぽさって、見ているこちらが恥ずかしい(笑)。
さらに、そういうやつほど、イケてない(笑)。
皆の前で熱く語って酔ってるかもしれんが、そういう奴らほど、陰に隠れて、お気に入りの中学生の生徒(女子)を自分のクルマにのっけて送り迎えしていたり(途中ファミレスでパフェとかを奢ったりしてゴキゲンとって)していることを知っています。
さらに、気に入らない男子生徒を階段から突き落としたりしていることも私は知っていた。
なぜなら敏感な生徒たちは、そういうことに気付くと、すぐに私のところにチクりにくるから(笑)。
「あの先生、信用できない、なんとかしてください」って。
よその教室から、私のところに直訴しにきた女の子集団もいたほど、そのウザい先生の横暴っぷりや、エコひいきっぷりはヒドかったみたいです。
大学の中では(つまり同世代の中では)、イケてない自分という存在価値のウップンを、自分に逆らえない弱者(=中学生の生徒)相手に晴らしているんですね、その先生たちは。
イタい野郎どもだ。やってることがダサ過ぎだぜ。俺は知ってるもんね~、生徒はみんな俺のところに相談しにくるんだよ、なんて思いながら
「ボクはずっとイジめられっこでしたが、そんなボクでも、あれやって、これやって、それやって、何々を頑張れば、いつかひのき舞台に立てると思います! そして、ボクをいじめた奴らを見返してやるんです!」などと熱っぽく語るイケてない教師の独白を聞いていたんですが、その先生の言ってることとやってることのギャップにだんだん腹が立ってきた私は、「お前がやれるわけねーじゃん」とボソッとつぶやいて顰蹙買ったりして(笑)、
じゃあ、雲君の考える人間の“成長”とは何かを言ってみたまえと激昂されたので、「捨てることなんじゃないですか? あれもやる、これもやると抱え込み過ぎると身動きとれなくなりますよ。たとえば、煙草やめてみるとか、家にあるいらない本捨てるとか、そうして身軽になっていかないと、いつのまにかノルマが目的な生活になってしまいますよ。それって、あなたが忌み嫌う会社人間の典型じゃないですか?」なんて言ったら、「それは詭弁だ! 言葉の遊びだ! さっきの発言の揚げ足とりだ!」なんて、非難が殺到してしまってね(笑)。
でもね、私の考えはそのときから変わらないんですよ。
何かを得たければ何かを捨てなきゃいけないんです。
少なくとも、私はそれほど大きなキャパを持っていないから。
それに、あれもこれもやる、やってやるぞー!って豪語している人のイケてなさっぷりもそれを強く裏付けてまして、生徒の前ではエラそうなこといいつつも、生徒がいなくなると、「女、女、女!」と「やりてー、彼女ほしー!」などと下品なことをまくしたてたり、反抗する生徒を平気で殴るような人間の言ってることを信用できるわけないじゃないですか。
私は、彼のような人間にはなりたくない。
そんな彼は、「あれもやる、これもやる」といきまいている。
てことは、オレはその逆を歩めばイイわけだ、つまり、今までどおりでいいわけだ、と、意を強くしたわけです。
だから、結構、私の人生はふわふわと雲のように定まらないようなものだった気がします。
だって、雲って、風が吹いてくれないと動かないじゃない(笑)。それと一緒で、終始受身なんです。
でもね、そんな受け身人生の私でも、1つだけ自発的に「やったろうーじゃないの!」と思っていることがあります。
おこがましいかもしれないけど、分不相応なことかもしれないけれども、これは、私の使命でもあり、ミッションでもあると思うのです。
もっとも、これが実現するためには、あと10年か20年はかかることでしょう。
でも、これだけは、死ぬ前に実現しておきたいなぁ。
笑わないで聞いてね。
それは……、
ズバリ、「教育」です。
学校作りたい。
コ、、コラ、笑うな!(笑)
学習塾でもいいし、私塾でもいいし、志ある若者が集まるような集会のような場でもいい。
とにかく、学校作って、自分の失敗やノウハウを色々な人に伝えたい。
小さいころからの私の夢は、「先生になる」でしたが、大学生のときの塾のバイトで、教師という職業に多少失望を感じたんです。教師って、もしかして、くだらない人間が多いんじゃない? 自分より年上の保護者たちから「先生、先生」と言われているうちに、いつのまにか天狗になっていたり、イケてない自分の情けなさを「オレは教師だ」というプライドに転化しようとしたりと、なんだかこんな人たちと机を並べてオレは将来仕事をするわけ?それは絶対にイヤだ!と思って、しばらくは「教師」への熱が醒めてしまっていたんです。もちろん、私の周囲がたまたまヘンな連中が多かっただけの話なのかもしれませんが、それでも、大学1年生という若い頃に感じた失望とショックと自分の中のイメージとのギャップは大きかった。
だから、大学2年になっても、教職課程は専攻しなかった。
むしろ、自分のエネルギーを他者のためにではなく、自分の快楽のために使おうと決心した(笑)。
だから、ジャズ喫茶でアルバイトをはじめたし、出版社でもアルバイトを始めた。バンドも3つぐらい掛け持ちした(笑)。
こういう状態がズルズルとつづき、気付けば、「人になにかを教えながら、自分も学びたい」という欲求は完全に封印されていたのです。
しかし、最近、その欲求が再度むくむくとわきあがってきた。
学校を作るってことは、今すぐというわけではもちろんありません。
お金をたっぷりためて、今は目の前のやりたいこと、こなさなければならないことをやりながら、少しずつ経験値とお金を増やしていって、50代で学校をオープンさせることが当面の目標ですね。
教える内容もこれからゆっくり考えていきたいのですがす。
でも、大事なのは教える内容そのものよりも、教えることを通して、どれだけ生徒に“自分自身”を伝えられるかだと思ってます。
極端なこといえば、教える内容なんて何でもいいわけよ。
ベースだったら、今でも人に教えているし。
などと、10年以上先のことを夢想してわくわくしている私でした。
記:2007/12/22(from「趣味?ジャズと子育てです」)