人生で大事なことは砂場、じゃなくて、ゲームに学んだ、というよりはゲームに負けた子供に学んだ
2016/02/12
私は悔しがり屋でした。
今でもそうかもしれませんが、子供の頃はヒドかった。
トランプやオセロ、人生ゲームなど、とにかくゲームに負けると、すぐにキレる。
泣き喚きながらボードゲームはひっくり返すし、トランプのカードをベランダから空中散布したりもしました。
で、いつも親父に殴られて、さらにギャーギャー騒ぐという、迷惑でウルサイ子供だったのですね。
そんな自分と比べると、息子は立派だと思います。
勝っても負けても騒がない。
でも、中身はやっぱり私と似ているところもあるので、基本的には猛烈な悔しがり屋だということは分かります。
昨日、保育園に連れていく前に、ダイヤモンドゲームを2局勝負しました。
きっと皆さんもご存知のことでしょう。
星型の盤の上に、チェスのような駒を並べ、赤・緑・黄色と分かれて、自分の担当の色の駒を早く向かいの陣地に移動させたほうが勝ちというゲームですね。
2局とも私の勝ち。手加減してないので(笑)。
2局目の最後は、息子が移動させたばかりの駒を飛び越してゲーム終了。
わっはっは、お前の駒のお陰で一手早く終われたよ、と勝ち誇った私を、息子は一瞬だけ目いっぱいに涙をためて、悔しさをグッと堪えるような表情で見返しました。
声には出さないけれどもそうとう悔しかったんだと思います。
しかし、次の瞬間は元の表情に戻り、「そろそろ保育園に行かなきゃ、ボク、準備するよ」と着替えを始めました。
立ち直りが早い、というか、自分の感情のコントロールが巧いなぁと親ながらに感心してしまいました。
6歳の頃の私には、とても出来ない真似です。
昔の私だったら、ダイヤモンドゲームの駒を冷蔵庫やピアノの裏側に投げ捨て、「お前のせいで、もうゲームが出来なくなった!」とワケの分からんことを言いながら、発狂したように暴れていたことでしょう。
感情を押し殺し、すぐにポーカーフェイスに戻った息子ではありましたが、それでもかなり悔しかったのでしょう。
ダイヤモンドゲームではありませんが、息子にあげた古いマックにインストールされているオセロゲームと昨日は格闘していたようです。
今朝、息子はマックのオセロゲームを立ち上げ、「父上、見ててごらん」といいながら、一番易しいレベル1のモードに設定し、あっという間に盤上すべて黒い石で覆いつくしてしまいました。
たしかに、レベル1は誰でも勝てるレベルですが、私は、すべての石をひっくり返す完全勝利はしたことがありません。
むむ、こいつやるな、と思いました。
きっと、昨日の朝に負けた悔しさをバネに、私が昨晩、終電まで飲んだくれている間、オセロと格闘していたのだと思います。
悔しさのエネルギーは莫大です。
このエネルギーを有効に転化させれば、プラスなことに繋がるんだなぁと思いました。
すぐに暴れていた子供の頃の私は、悔しさのエネルギーを随分無駄遣いをしていたんですね。
ゲームという試合には勝った私ですが、“当たり前だけれども大事なこと”を息子から教えられた気がしました。
▼昔はマグネットオセロでよく遊んだものです。
マグネットオセロ
▼私もこれ読んで勉強しようかなぁ。
オセロ教室
追記
上記「オセロ本」、買ってはみたものの、いまだ読んでないであります。
記:2005/11/26(from「趣味?ジャズと子育てです」)