ゴーストライター9話 三浦翔平は編集者失格かも?!
ドラマ『ゴーストライター』もいよいよ物語は終盤に向かって進んでいます。
ゴーストライター騒動と、認知症の母親の介護で第一線を退いていた遠野リサ(中谷美紀)も、小説のアイデアが「溢れ出」はじめてきたようで、執筆活動を再開し、今度は逆に川原由樹(水川あさみ)が、抱えた連載の本数が増えたためか、書けなくなってしまたりと物語は新たな局面を迎えています。
ま、それはそうとして、川原由樹の担当編集者の小田楓人(三浦翔平)は、ダメっすね。
編集者失格ですよ。
このドラマが始まる前に、「単に“原稿くれくれマシーン”な編集者としての描写にならないことを祈る!(こちら)」というようなことを書いた記憶がありますが、実際そうなっちゃっていますね。
編集者の仕事は、借金取りのごとく、作家に原稿を催促することではありません。
もちろん、締め切りを守らない作家がいれば、それも仕事の一部ではありますが、「モチベーションを上げる」「育てる」という大切な役割のほうがメインです。
作家とのコミュニケーションも、三浦翔平の場合は、まるで「子どものお使い」の如くです。
神崎編集長(田中哲司)に、「そろそろ“元ゴーストライター”という帯に書かれた肩書を取りましょうよ」と進言しつつも、あっさり論破され、今度は川原由樹が「元ゴーストライター」という肩書きを取りたいと言い出したら、編集長が語った言葉と同じ言葉で説得しようとするところなど、自分の言葉を持たない「子どもの使い」そのものです。
普通だったら、「ボクもそう考えて、編集長にかけあっているんですけど(実際そうだし)、なかなか編集長、アタマ固くて認めてくれないんですよ」とか、「あの編集長は、内容よりも本の売れ行きばかり気にする人なんで、なかなかボクが言った聞いてくれなくて……」などと言って、二人の間に「共通の敵」を作ることによって怒りや不満を緩和させる方向に持っていくべきなんでしょうけどね。
そうすれば、遠野リサのゴーストライターをする前から面識があり、かつ、どのような性格の人間なのかを理解している川原由樹のことだから、「ああ、あの編集長だったら仕方ないですよね……」と、とりあえず、その場の不満は少し収まるかもしれません。
そこですかさず、「ボクも頑張って編集長への交渉は続けます! 肩書きより内容で勝負しましょう! あなたは良い作品を書いてください。ボクは引き続き編集長への説得を続けますから!」ともっていき、良質な作品を書くためのモチベーションアップにつなげていけばいいのに、と思いました。
この言葉の裏には「良い作品を書かなければ、いつまでたってもゴーストライターという肩書きは取れないんだぞ」という気持ちを込めればいんです。
そうすれば、“元ゴーストライター”という肩書きがとれなければ、それは出版社(駿峰社)だけが悪いのではなく、自分の筆力にも非があるのだという意識を植え付けることも可能です。
どうも、第一話からの三浦翔平の仕事っぷりを見ていると、「良い本を作りたいんだ」という理想はご立派ですが、良い本を作るための積極的な努力をあまりしているようには見えないんですよね。
せいぜい、持ち込まれた原稿を本にしましょう!と編集長にかけ合うぐらい。
でも、これって「受け身」な姿勢ですよね。
本当に「良い本」を作りたいのであれば、良い作品が編集部にやってくるのを待っているだけではなく、自分が担当している作家を焚きつけたり、多くの読者が喜びそうな企画をそれとなく作家に教えてその気にさせたり、作家が執筆中の作品に奥行きを出すための助言や資料を提供したりと、作家とチームを組んで一蓮托生の「共同作業」をしながら、自分と作家とともに「良い本」を作り上げていこうという前向きなアクションが必要。
しかし、彼にはそのような姿勢がまったく見られません。
せいぜい、作家先生の犬の散歩をしたり、麻雀の相手をつとめたりと、新刊の初刷りを作家の家にダンボールで届けたりと、やっていることは「雑用」や「ぱしり」の域を出ていません。
それで、「はぁ、編集者の仕事って疲れるなぁ~」とため息つかれても、「あの~、それって編集者の仕事っすか?」と突っ込みたくなりますね。
それ以上に、出版のことをよく知らない視聴者がドラマを見たら、「給料も高そうなわりには、編集者の仕事って、なんかラクで楽しそうだよね」などと、ヘンな誤解をするかもしれません。
もちろん「作家先生」のご機嫌を損ねないための「雑用」も必要かもしれませんが、それだけだったら、べつにバイトでも出来る仕事ですし。
私が編集者時代、雑誌の編集部では数人のアルバイトを雇っていましたが、彼らの仕事は、一言でいえば、いわゆる「便利屋さん」。
物を届けたり、カメラマンを雇う必要がない程度の撮影をしに出かけてもらったり、ちょっとしたコラムを書いてもらったり、アンケートの集計をしてもらったり、コンビニや書店に買い物に行ってもらったりと、とにもかくにも、なんでも頑張って仕事をしてくれていました。
だから、三浦クンがしている催促、雑用程度の仕事だったら、アルバイトにだって出来ることです。
社員である編集者本来の仕事ではありません。
もちろん、自分の担当編集者に世話を焼いてもらいたいというワガママな作家もいるのかもしれませんが、今の時代、編集者と作家の関係は、もっとドライなことのほうが多いです。
ベタベタ日常的につきまとわれるよりは、売れるアイデアや、今後の企画、出版後の販促計画などを積極的に作家にぶつけるべきでしょう。
そして、「書く人」は、それを待ち望んでいるはずです。
私も過去に何人かの書き手の担当になりましたが、彼ら彼女らは例外なくこう言ってきましたよ。
「自分は書くことしか出来ない。多くの人に読んでもらうための方法は知らない。だから、そちらのほうは、あなたに任せます」
中には、タイトルも一緒に考えて欲しいという人や、自分はこの作品の売りがどこにあるのか自分では分からないので、読者の気持ちになってどこを強く押し出せばいいのか教えて欲しいといわれる方も少なくありませんでした。
つまり、書き手が編集者に求めていることは、そういうことなのです。
決して「雑用」なんかではありません。
そういう意味では、まだ神埼編集長のほうがプロの編集者らしいですね。
また、担当編集者は、自分が書いた作品の読者一号でもあるわけですから、作家やライターは、自分が書いた作品に対しての積極的な感想を知りたい人が多いはずです。
それも、単に「面白い」「なんかイイ」程度の感想ではなく、「仕事」なんだから、具体的かつ詳細にどこが良くて、どこをどう修正すべきか、これを次にどう繋げるべきかなど前向きで忌憚のない意見を示すことが編集の仕事であるべきでしょう。
「文壇の女王」と呼ばれる遠野リサぐらいの「大物作家」ならば別かもしれませんが、川原由樹のように、今のところ話題性はあるけれども、今後の作品のクオリティが未知数な作家を担当する場合は、作品のテーマや構成、登場人物の造型や描写など、細かく感想を言ったりアドバイスをしたり、似たような作風やストーリーの小説が過去にないかどうかのネガティヴチェックをしたり、参考にすべき過去の映画や小説などの作品のサマリーを話してあげたりと、作家と二人三脚で良い作品を「作り上げていこう」という発想も行動もまったく欠落しているところが、見ていて非常にジレったいのであります。
そこまでしなくても、作家の良き「聞き役」になってあげる「聴き上手」になるだけでも、作家にとってはプラスになります。
あれこれ話しているうちに、次第に自分が漠然と考えていることが、具体的なアイデアや言葉に結実されることは意外に多いからです。
しかし、三浦クンの場合は、それすらやってあげている気配がない。
たまに仕事が終わったら、出版社近くの居酒屋で一緒に飲む程度。
もちろん、編集部持ちの奢りなのでしょうが。
結果、川原由樹は世間の期待に応えようというプレッシャーから「書けなく」なりつつある。
それは、作家の原稿を待ち、受け取るだけの「原稿くれくれマシーン」でしかない編集者・小田楓人(三浦翔平)の責任でもあると思うのです。
いや、本当は彼が悪いのではなく、そういう編集者に育てなかった「小説駿峰」編集部の上司、あるいは編集長の田中哲司の責任なのかもしれないですね。
記:2015/03/11