正義の味方を気取って「弱い者」を助け、そして裏切られる

      2015/07/14

ahiru

先日、久々に息子が起きている時間帯に帰宅したので(最近は、22時以降は眠くなくても寝床にはいるようにいっている)久々に息子といろいろ話しましたが、どうやら息子、学校の男の子の友達から、「こわい」といわれているらしいんです。

もちろん、冗談めかして、「おまえ、こわいよ」といわれている程度のようですが。ある日、クラスメート3人か4人がひとつの机に固まってほかのクラスメートの悪口を言っていたらしいのです。

息子は、そういう陰口みたいなのが大嫌いなので許せなくなったらしく、机をゲンコツでバン!と叩いて、「お前ら、そういう話は本人の前で言えや!」とタンカをきったらしい(笑)。

んで、「どうしても悪口を言いたいなら、俺の悪口言ってもいいよ、バカ、バカっていうんだったら、俺のことをバカといえ!」とも言ったらしいんであります。以来、なんか友達から、「おまえ、こわいからなぁ~」と二言目には言われるようになったみたいで、なんだかなぁ~とこぼしてましたが、本人はマンザラではない様子。

おまえ、カッコつけ過ぎだよ、と本人には言っておきましたけど(笑)。

私もべつに正義感を気取っていたわけではないけれども、息子ぐらいの年齢のときは、わりと息子に近い言動をとっていたから、なーんか、親子だなぁ、似てるなぁと思いました。

ただ、息子の場合は、まだクラスのみんなと円満にやっているようだからいいけど、私なんて要領悪い上に、やりすぎちゃうから、先生からは常に要注意人物としてマークされていたみたいです(笑)。

たとえば、私、すごくオセッカイだから、弱い子とか、泣いている子を見ると放っておけないところがあって。

だから、ある日、イジメられて泣いている子がクラスにいたから、いじめている奴のことを「弱いものいじめするなー!」ってボコボコにしたんですよ。

その子泣きます。

先生がやってきました。

泣いているいじめっ子に聞きます。

「誰にやられたの?」

泣いているいじめっ子、私のほうを指差します。

さらに先生、いじめられっ子にも気づき、「誰にやられたの?」と尋ねます。

私が助けたつもりの いじめられっ子も私のほうを指さすんです(!)。

おいおいおい、やったのは、俺じゃなくてアイツだろ!

しかし、先生は、私のことを「問題児」だと思っているので、弁解は通じません。

私は「二人を泣かした問題児」になってしまいます。先生の頭のデータの中では。

さらにこういうこともありました。

遠足かなにかの翌日、国語の時間の作文の課題が、「昨日のことを作文を書きましょう」でした。

私は、昔から文字を書くのが好きだったので、ま、3枚ぐらい書いてしまえば、先生も文句はないだろうと、さっさと書いちゃったのですね。

そしたら、隣の席の男の子が、じーっと動かない。

作文に何を書いていいのかわからずに、ウンウンとうなっているのです。

かわいそうに思った私は、「僕の作文を見せてあげるから、適当なところで文章を変えて、僕の作文を写して書きなよ」と自分の書いた作文を彼に渡しました。

……しかし、小学校2年生の子供に、しかも作文書けずにうなっているような子供に、「リライト素材に使いなよ」というほうが間違っていた……。

なんと、その子、私の作文、丸写ししやがったのです(笑)。

私の作文と違うのは、名前のところだけ。

で、作文が返されたとき、彼の作文の余白には五重丸の花丸がついていて、「大変素晴らしい内容です」みたいな寸評が書かれているんですね。

「おー、俺の文章が先生に認められたぜ!」と喜び自分の返された作文を見ると、一重丸しかついていなくて、「人の話だけではなく、自分の言葉で書きましょう」と書いてある(涙)。

そうか、先生、俺のこと「隣の友達の書いた作文をとりあげて書き写した悪い奴」と思ってるな、と思うと悲しくなりました。

なにが悲しいって、事実確認もしないで、思い込みと先入観で、私のことを悪いやつだと決め付けてしまっていることについてです。

なので、ここでコトを荒立てるのも面倒だし、最初から先生は俺のことを信用していないのだから、どんなに弁解しても自分がツラくなるだけだと思い、抗議するのはやめました。

これと似たようなことは小学校、中学校のときはしょっちゅうありました。

「経験から学べよ!」と自分でも思うのですが、ついつい困っている子や、弱っている子を見ると生来の「世話焼き心」に火がついて、余計なオセッカイを働いてしまうのです。

そして、感謝されるどころか、むしろ私が悪いことになってしまうことが多い。

つまり、私は、助けたつもりになっていた人からも、いつも裏切られるのです(涙)。

だから、ずいぶん長い間、「弱い奴は人を裏切る。だからいつまでたっても弱いんだ。いじめられるんだ」と思い続けていました。

助けてあげたチンピラから撃たれて死ぬ松田優作のジーパン刑事みたいだぜ、俺は、と思ってました(笑)。

でも、ある日、私のほうにも問題があったのかもしれないと思うにいたりました。

つまり、「弱いやつにもプライドがある」という発想がまったく私の中には欠けていたのです。

私は弱い子のために尽力し、助けた「あげた」、力になって「あげた」と思っているのかもしれないが、相手は、私に「情けをかけられた」と思っていたのかもしれない。

そして、私はそのつもりはなかったにせよ、心のどこかで優越感を感じていたのかもしれない。

それが、相手にとっては、それがイジっ子にイジメられることよりも、イヤなことだったのかもしれない。

余計なお世話だったのかもしれない。

何一人でカッコつけてんだよ?だったのかもしれない。

だから、ドタンバで裏切られるのかな?

そういうことに気づいたのは、ずいぶん後になってからですが……。

人間の心って難しいよね。

記:2008/10/07(from「趣味?ジャズと子育てです」)

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