『ジャズ批評』編集長に、教えられた。
2018/01/11
私は文章を人に習ったことがない。
学校の作文の時間を除けば、身銭をきって文章の書き方など習ったことのない人が大半だとは思うが、ライターや作家の養成学校のようなところもあるので、中には「キチンと文章を習いたい」という需要はあるのだろう。
私の知り合いは、興味半分で「アダルト小説の書き方」という温泉宿に泊り込みの合宿にも参加したという。
そこでは、喧々諤々と「様々な人間の部位の表現方法・呼称・文学的表現」などについての議論や、読者を引き込むための濡れ場へのもっていきかたなどが、数名のポルノ小説家たちによって指導されていたと言って大笑いしていた。
世の中、いろいろな「書きたい人」がいるし、それらニーズの受け皿もキチンとあるんだなぁと感心することしきりだが、特に私はそういうところで習ったことがなく、習おうとまでは思わないが、そういうところではいったいどんな指導がされているのかには興味があるので、ライタースクール出身のライターさんに授業内容を聞くこともある。
学校や先生によっても講義のスタイルや、教える内容も様々なので一概には言えないが、テクニカルなことよりも、「とにもかくにも書く」ことのほうが重要で、書かないことには何もはじまらない。
書いた上で添削される、というスタイルが多いようだ。
書くだけではなく、企画の立て方や、取材のときのうまい質問の仕方などもライタースクールでは教えているようなのだが、「どんな内容だった?」と何人かのライター学校を卒業したライターに聞いても、「うーん、いろいろ習うんだけど、なんだったっけ?」とあんまり具体的な内容までを教えてもらえたことがない。
彼らも忘れてしまってるのかもしれないし、「これこれこうしましょう」と一言で言いきれる内容ではないのかもしれないし、身銭切って習った内容を、そう簡単に教えたくないのかもしれない。
とにもかくにも、学校で教わる内容自体も知らないまま、私は自分で書いたり、人が書いた内容に赤を入れたりしている。
過去にも何度か、ジャズ関係の書籍の原稿を書かせてもらっているが、書きなおしや修正指示をもらったことは一度もない。
「文字を●文字削ってください」という指示は何度かあったが、内容や表現に関してのダメだしや、やり直しをくらったことがないので、「本当にこんな感じでいいのかなぁ?」という不安と、「向こうがいいっていうんだからいいんだろ、ラッキー!」という能天気な気分がいつも同居している。
ただ例外があって、一度だけ、自分の文章に関して軽い指導があった。
以前編集していた雑誌の記事。
予算が苦しく、ライターを使えない時期があったので、月に何本も取材をし、取材をしては書き、書いては取材しての連続だった頃、私が書いたある記事を読んだ編集長に、「文章が淡々としすぎです。あなたが“面白い!” “すごい!”と思った気持ちが読み手に伝わってきませんね。もっと読者を喜ばすように、煽るぐらいの気持ちで冒頭とラストを書きなおしたほうがいいですよ」と、最初と最後の部分的な書き直しを命じられたことがあり、「え?煽っていいの?それなら簡単、はい出来上がり!」とばかりにサクッと直して、あとは何も言われなかったので、編集長的には、それでOKだったのだろう。
したがって、私が過去に指導を受け、やり直しをさせられた原稿は、その1本だけ。
自分がつまらないと思ったことは、文章に出てしまうものだから、嘘までは書かないにせよ、面白おかしく読ませるサービスと工夫はするべきだな、ということは学ばせてもらった。
非常に貴重な教訓だったと思う。
以来、淡々と書いてしまった内容は、読み返す際して手直しする際は、少しでも、ほんの微量でもいいから、文中の1箇所なり2箇所はほぐすようになった。
私が文章に関しての指導を人から受けたのは、数年前のこの一件のみだった。
あとは、良いのか悪いのかも判断つかぬまま、依頼があれば書き、頼まれれば「はーい、書きまーす」を繰り返している。
ところが先日、ありがたいことに、私の書いた文章に、懇切丁寧に指導をしてくださった方がいる。しかも、大事なメッセージの部分は手書きで。
『ジャズ批評』の編集長、松坂比呂さんだ。
12月発売号のコラムの原稿を先日書いて送ったところ、ファックスが返ってきた。
そのファックスには、「いただいた原稿に手直しを加えてみました」と書いてある。
どこが手直しされたのかな?
私が書いた原文を読み比べてみると、大幅な直しではなく、2~3センテンスが削られていた。
冗長な部分のセンテンスが削られるだけなのだが、まったく別の文章を読んでいるような感触。
たった数か所の部分が削られただけで、贅肉がそぎ落とされ、スリムで読みやすくなっていたのにはビックリ。
手書きのコメントで、「サービス過剰かなと思われる部分はカットしました」という旨が書いてあり、
“もう少し読者に想像力と余韻を与えた方が良い”
“妬まれないための工夫も必要”
などのアドバイスも、丁寧な手書き文字で書かれてあった。
なんだか、とてもうれしい気分になった。
こんなに懇切丁寧な指導を受けたのは初めてだったからだ。
さらに、私の文章の冗長な部分を削ったり、今後の書く上での心構えを諭しつつも、当初は1ページの予定だったコラムを2ページに拡張してくれることになったので、原稿には至らない点があったものの、大枠では認められたんだなぁという感慨もあった。
ただし、1ページを2ページに増やしたことによって、今のままでは文字数が足りない。加筆する文字量の指定があったので、急いで加筆した。
嬉しい気分だったので、ものの10分で加筆終了。
ワードで文字数を数えてみたら、1文字の狂いもなく、ピッタリと先方の指定通りの文字数だったので驚き。
加筆した原稿をメールで送り返し、送り返した時間がすでに深夜だったので、今朝、ジャズ批評編集部に修正現行を送った旨を伝えようと電話をかけた。
すると、松坂さんご本人が電話に出られて、
「高野雲です」
と名乗ったとたん、
「ごめんなさい。怒ってない?怒ってない?怒ってるでしょ?」
としきりに聞いてくる。
「え?何に怒るんですか?」
と聞き返すと、
「昨日、あなたの原稿に勝手に手をいれてしまって、さらに指導もしてしまったでしょ? あなた怒ってるんじゃないかと思って」
とおっしゃるので、
「なにを仰るんですか。 怒るどころか感謝していますよ。ありがとうございます」
と、私の文章をよりよく改善するためのヒントと、具体例まで示してくれたことに対してお礼を言った。
たしかに、今後の私にとっては、文章が冗長になりすぎることは克服すべき新たな課題だと思ったし、今後は、読み手の感情と想像力が働くよう、ちょっとしたスペースを設けることも考えねばならない新たな視点だと感じたのだ。
自分の中で漠然と治さなきゃと思っていたところを、具体的にわかりやすく今後の課題を与えてくれた『ジャズ批評』の松坂編集長には感謝してもしきれない。
もちろん、文章のクセを治してゆくには、一朝一夕にはいかないとは思うが、課題と新しい視線が植え付けられただけでも貴重なこと。
松坂さんは、非常に物腰やわらかいご婦人だが、ビシッと現在の私が抱えている漠然とした問題点をわかりやすく炙り出す見事な手腕には、ダテに長年ジャズ雑誌の看板を守っているだけのことはあるな、と思った。
追記
この記事を読んだのだろうか、先日「2ちゃんねる」に“ジャズ批評編集長に文章の書き方を教わって喜ぶ高野雲は、シロート投稿家だ”みたいなことが書かれていた。
周囲の推測だと、この書き込みをした者の正体は、業界内でも文章がヘタクソで有名な某評論家だろうとのこと。
私はそのジャズ評論家はジャズマンの訃報記事が専門分野だと思っていたので、あまり文章の巧拙に関しては意識したことはなかったが、書き方や取材のマズさで随分損をしている人だということは、いろいろな人が指摘していることを知った。
また、その評論家は重度の「2ちゃんねらー」だというのも、もっぱらの噂。ご自身のブログには匿名掲示板(2ちゃんねる)など、ネット社会を批判する記事を頻繁に書いている。
あたかも社会の病理を憂う社会学者然として。
しかし、表では匿名ネット社会を批判しながら、裏では「匿名」「なりすまし」書き込みを頻繁に行っている人だというのが、多くの方々の共通認識のようだ。
そして、周囲の事情通からのお話によると、アマチュアブロガーなどを攻撃&落としめる書き込みを平然とやってのける「警戒」が必要な「要注意人物」なのだそうだ。
10人中10人が、そのような推測をするのだから、たぶんそうなのかもしれない(笑)。
しかし、もしそうだとしたら、その文章力がないことで有名な某評論家さんは、人のことを「シロート投稿野郎」とあげ足をとる暇があったら、もう少し謙虚になって文章の練習なり、人の意見に素直に従う謙虚さを身につけられたらどうだろう?
その評論家先生に会った人からの話を聞くと、「態度がデカくて“先生然”としていた」というような感想が多い。
きっと、人の忠告・アドバイスに謙虚になれないプライドの高さが、「文章がヘタ」という業界内での「よからぬ噂」を招いているのではないかと私は思う。
もちろん、その書き込みをした人物が、某評論家先生だということを前提に私はこれを書いているので、もし違う人であれば検討違いもはなはだしい内容になってしまっているかもしれないが……。
少なくとも私は、今後もさらにお世話様になり、良い関係を築き上げてゆこうと思っている『ジャズ批評』編集長・松坂さんには謙虚な姿勢で接しますよ。
そんなこと当り前じゃないですか(笑)。
この姿勢が「アマチュア投稿家」のように映るのであれば、それはそれで構わない。勝手にほざいてろ、と思うだけです。
記:2008/11/12