ホンモノに触れることが大切

   

gold

先日、四谷のジャズ喫茶「いーぐる」でおこなわれた講演会に出席してきました。

講演テーマは「ジャズ喫茶の歴史と功罪~反懐古趣味の視点」。

講演者は、マイク・モラスキー氏というアメリカの大学で日本文学を教えている教授です(スタンリー・トゥッチに似ている・笑)。

戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ

最近出版された氏の著作『戦後日本のジャズ文化~映画・文学・アングラ』(青土社)の出版記念もかねた講演会なのですが、この本の第5章にある「ジャズ喫茶解剖学~儀式とフェティッシュの特異空間」についてを1時間ほどにわたっての講演。
1時間を参加者同士によるディスカッション形式にて行われました。

ジャズ喫茶でジャズ喫茶批判の講演をやるというのもユニークですが、なかなか興味深い考察でしたし、このような内容は日本の学者・評論家からは語られていないテーマで、外国の目から、このような考察が出たこと自体が非常に興味深いことでした。

ちなみに、私はこの本のジャズ喫茶の章の部分は、すでに読んでいたので、講演の内容事態も、ほぼ、この章に書かれたことに則ってました。当たり前だけれども。

でも、やはり、実際の著者から間近にお話を聞くとの、読むだけでは理解の質も深さも大違いです。

講演会で思い出しましたが、ライブドアの堀江社長(ホリエモン)が、なにかの本に書いていましたが、彼は講演会やセミナーに参加することは時間の無駄とみなしているみたいです。

なぜかというと、セミナーや講演会に参加したところで、著者は、著者に書いてること以上のことは言わないので、参加するだけ、時間と費用の無駄という、いかにも、彼らしい、ドライで効率的な考えがのべられていました。

しかし、本当にそうでしょうか?

たとえ著作と同じ内容が繰り返されるとしても、講演に参加することは「無駄」な行為なのでしょうか?

私はそうは思いません。

もちろん、自分の興味のある分野に関しては、という前置きは必要ですが。

先述したとおり、たとえ、本と同じ内容が講演で語られたとしても、ナマで聞くのと、目だけで理解するのは大違いだと思います。

さらに、尊敬する人、興味のある人物の、人とナリを間近で感じつつ、お話を聞くわけでしょ?

心への、カラダへの染み込み方がまったく違います。

ちなみに、会場となった四谷の名物ジャズ喫茶「いーぐる」。
ここは、私が学生時代にアルバイトをしていた店です。

アルバイトをしていた理由は、ここのマスターが書いた本を読んで、「おお、ここの店のマスター、オモシロイこと言ってるなぁ、イイこと言っているなぁ、近くにいれば、もっといろいろなことを吸収できるかもしれないぞ」でした。

ホリエモンに言わせれば非効率なことかもしれませんが、私は、非効率ながらも、興味をもったテーマや人物の講演会には参加したほうがよいと思います。

じかにその人に会って、その人からパワーをもらったほうが、100冊の本を読むよりも、ずっとずっと心の栄養になると思います。

息子にも機会があれば、“ホンモノ”に接する機会を設けてあげたいと常々思っています。

これまで、息子には、本の著者や何人かのタレントに合わせていますが、
彼にとっておそらく心の栄養となっているのは、東陽一監督、マイケル・ジョーダン、『千と千尋の神隠し』でリンの声を担当した玉井夕海さんの3人じゃないかと思っています。

東監督は、昨年の『風音』封切のときに、映画を見せたあと、私が原稿を書いている映画批評サイトのインタビューに立ち合わせました。
1時間ほどにわたって、じーっと監督の話に聞き入っていた息子は、どこまで話の内容を理解したかは不明ですが、監督に「いい子だねぇ・エラい子だねぇ・将来が楽しみだ」と言われたことが、ずっと心に残っているみたいです。

マイケル・ジョーダンは、渋谷に出来たバスケットボールの会場のテープカットのとき。

玉井夕海さんは、映画関係者と飲みに行ったときに連れていった。パワフルな彼女の姿に息子は圧倒されっぱなしでしたね。だって、リンそのものなんだもの(笑)。

上記3人の中で、息子にとっては、やっぱりマイケル・ジョーダンのインパクトが凄かったらしく、「僕もああいうカッコいい人になりたい」と感動していました。

マイケルのカッコ良さを味わってもらうには、MBAのビデオを何本かを見せればいいだけの話かもしれませんが(実際見せたけど)、ホンモノの人物が醸し出す、存在のオーラ、佇まいのようなものに間近に触れることこそ、最大の勉強であり、教育だと私は思っているのです。

お、もう15分経過。

今日はここまで。

バイバイ。

記:2005/08/14(from「趣味?ジャズと子育てです」)

 - 雑想 雑記