マルサの女とナサケの女

      2018/08/10

mansatsu

ナサケの女

米倉涼子主演の『ナサケの女〜国税局査察官〜』を見ると、かえって伊丹十三監督の『マルサの女』の凄さが浮き彫りになってくる。

もちろん『ナサケの女』だって悪くはない。

一話完結仕立ての内容になっているため、様々な業種や、脱税の手口のバリエーションが楽しめ、なおかつ「ナサケ(情報部門)」、「ミノリ(実施部門)」、「タマリ(隠している現金)」などの業界用語もバシバシ出てくるので、勉強にもなる。

主人公の松平松子(米倉涼子)や、おかまバーのママ(武田鉄矢)は、マンガ的なキャラではあるが、脱税の仕組み・手口、それにストーリーの輪郭をわかりやすく視聴者に解説してくれる役回りだと思えば、さほど目くじらを立てるほどでもない。

このドラマが『マルサの女』を意識しているこということは、冒頭のナレーションに津川雅彦を起用していることからも明らかだろう。

『マルサの女』は、津川雅彦のターニングポイント的な作品でもあったからね。
彼は1988年の第11回日本アカデミー賞にて最優秀助演男優賞を受賞しているが、この作品を契機に、これまでの役柄のイメージを払拭し、新しい役柄の領域を拡張するキッカケとなった作品でもあった(ちなみに、この映画そのものも第11回日本アカデミー賞にて最優秀作品賞を受賞し、山崎努が最優秀主演男優賞、宮本信子が最優秀主演女優賞を受賞している)。

『ナサケの女』の放映を契機に『マルサの女』を改めて鑑返すと(これで何度めだろう?)、やはり素晴らしい作品だなと思う。
この映画に一貫して漂うムードがとても良いのだ。

本多俊之のサウンドトラック

この映画に一貫して漂うムード、これを一言で言えば、緊迫感あふれるシリアスな空気だ。

そしてこのムードを醸成し、さらに拡張させているのは、いうまでもなく本多俊之のサウンドトラックだろう。

よく聴くと、生演奏のバージョンがあったり、バックのトラックが打ち込みのデジタルビートのものがあったり、さらにそのデジタルビートのトラックにフランジャー(フェイザー?)をかけて、さらにエグく締まりのあるオケのバージョンもあったりと、同じテーマも細かくバリエーションが作られており、それをシーンごとにうまく挿入するトラックを使い分けているところもミソ。

そして、バックの音色が多少変われど、あの印象的なソプラノサックスの旋律は変わらないので、あの「例のフレーズ」が映画全体の基調をなしているのだ。

しかも、セリフを強調させたいところは思い切りボリュームを落とし、またセリフが終わるとボリュームが元に戻るなど、かなり細かくボリューム調整をしているほど、とにかく徹底的に本多俊之のメインテーマの旋律を劇中に流しまくっていたことが功を奏している。

サウンドトラックの効果

どう功を奏したのかというと、単なるラブホテル経営者の小金持ちへのガサ入れの話が、まるで社会の巨悪に立ち向かうかのような緊迫感とスケール感を感じさせることだ。

山崎勉演じる権藤グループの会長・権藤英樹は、たしかにヤクザ(関東蜷川組)ともつながりのあるワルにも見えるが、しょせんは複数のラブホテルを経営する一介の実業家に過ぎない。

もちろん億単位の所得隠しをしてはいるが、億万長者とはとても言えない小金持ちな中小企業経営者に過ぎない。
ケイマン諸島などのタックスヘイヴン(租税回避地)を用いている世界各国の大企業や富裕層とはスケールが違うのだ。

そんな、小金持ちの中小企業のグループの会長をマルサ(国税庁査察官)たちが内偵し、ガサ入れするわけだが、ガサ入れのシーン直前は、まるで、いよいよ悪の棲む城に乗り込むかのような緊迫感がある。

これは一にも二にも本多俊之の音楽の効果だろう。
それに加えて、権藤英樹を演じる山崎努という役者の不敵な存在感ももちろん大きい。
この2つの要素が相乗効果をなし、『マルサの女』は、上演後の20数年を経た現在においても、不朽の輝きを放っているのだ。

大胆な映画音楽と名優たちが揃ったこの作品、シリアステイストの映画やドラマが現象しつつある現在、改めて観返すと新鮮な気分になれること請け合いだ。

記:2010/11/13

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