老化とモノ忘れの関係 メモ、ノート、アイデアマラソン
2019/08/30
忘却は、必ずしも老化とは関係ない
年を取ればとるほど、物覚えが悪くなる。
物覚えの悪さは老化であり、ボケだ。
これはある面では真実ですが、ある面では誤解の部分もあります。
というのも、なんだっけな、以前、なんかの雑誌で読んだんだけれども、高齢者のもの覚えの悪さというのは、必ずしも記憶力の衰えや、脳の老化とは限らないようなのです。
一時記憶
もちろん、頭を使ってない人は、どんどん脳は劣化するでしょう。
しかし、40代、50代で現役でバリバリ仕事をしている上長クラスの人たち。
彼らは、部下から見れば、「言ったことすぐ忘れるんだから」ということが多いかもしれませんが、しかし、これは記憶力の悪さからくるものではないようです。
つまり、覚えることが多いからだということ。
覚えることが多ければ多いほど、記憶が定着しません。
試験前の一夜漬けを思い浮かべればわかるでしょう?
翌日には忘れちゃってますよね?
なんで定着せずに忘れてしまうか?
それは、ワーキングメモリーだからです。
キャッシュメモリーともいいますね。
つまり、一時記憶。
パソコンで文字をコピー&ペーストするときって、コピーしたときに、一時的にパソコンに文字がメモリーされますよね?
その一時的な記憶と同じようなものです。
用を果たしてしまえば、あとかたもなく消え去るメモリー。
たとえば、50代目前のA部長がいます。
彼の周りでは、公私問わず、いろいろな問題が持ち上がり、いろいろとやらねばならないことが持ち上がり、いろいろと記憶しなければならないことがあります。
たとえば、机の上で、A部長は以下のことを順番にとりとめもなく考えたり、思いついたりします。
1、日曜日は久々に家族サービスしようかな
2、山積みになっている書類に目を通して決済印を押さなきゃ
3、山田さんに電話してしておこう
4、そういえば、明日が新入社員の面接の日だったな
5、会議の資料、そういえばまだ上がってきてないな、催促しよう
6、今晩あたり飲みにいこうかな
この後、
7:部下から「部長!お客さんからクレームです!」
8:取引先から電話で「来週、赤坂あたりで一杯どうですか?」
9:妻から電話で「あなた、ケンヂが友達のこと怪我させちゃって」
という新たな案件がはいってきました。
最初に考えた、1、2、3については、A部長、たぶん忘れちゃってますね。
トコロテン式に記憶が忘却のかなたへと押し出され、せっかく「日曜日は家族サービスしよう」と考えたワーキングメモリーも、あらたに記憶しなければならない案件に押し出されちゃいました。
「決済印を押さなければ」ということも、一応は考えたのですが、飲みの誘いの話で、すっかり忘れてしまい、部下からは「まだやってないんだから」と内心思われます。
さらに、息子さんのトラブルで、「山田さんに電話をしておこう」と思ったことも忘れてしまいました。
さて、そんなA部長のことをあなたは「記憶力が悪い。ボケ部長だ」と非難できるでしょうか?
私は出来ませんね。
それだけ、多方面にわたって、記憶せねばならない案件がむしろ、責任のある立場になればなるほど増えてくるのです。
逆に、部長の記憶力の無さをなじる若い社員のほうがヒマだったりする可能性のほうが高い。
たとえば、新人の仕事の内容は、少なくとも責任のある仕事は任されないし、全体を統括する仕事をさせられていない。
だから、自分の担当している仕事“だけ”を考えていればよいわけです。
考える量も記憶する量も、全体を統括している立場からしてみると、圧倒的に少ないです。
だから、メモリに余裕があるから、部長と比べれば自分の記憶力のほうが上だと思うかもしれない。
ところが違うんだな。
覚えること、やることが少ないから、メモリーに余裕があるだけ。
そこを勘違いすると、結局自分自身も年をとったら、部下から「物忘れのひどい上司」として見られてしまうわけです。
えーと、なにが言いたいのかというと、だから、「メモ」って大事なんですよってこと(笑)。
思いついたらすぐにメモ!しかし…
人間って、誰もが、ボーっとしていると、けっこういろいろなことを考えるし、いろいろなことが思い浮かぶものなのです。
その大半がクダラナイことなのですが、なかには、結構面白いアイディアが浮かぶこともあります。
で、大半の人は、思い浮かんだアイディアは、面白かろうと、くだらない内容だろうと、すぐに忘れてしまいます。
なぜなら、その思いつきはワーキングメモリーのレベルだからです。
「このアイディア、面白いかもしれないな。家に帰ったら、いっちょ実行してみようか」と思いつつも、その後に、電話がかかってきたり、新たなアイディアが閃いたり、やってしまわなければならない案件が出てきたり、帰りの電車で新聞や週刊誌を読んでいるうちに、ワーキングメモリーの領域がオーバーしてしまい、せっかく思いついたアイディアもデリートされてしまうのです。
だから、思いついた段階で、外部記憶装置に記憶させてしまわなければならないのです。
私の場合は、よく雑誌やネットに文章を書いていますので、無意識に文章を考えているのでしょう、ときどき、カッコイイ文章(笑)が閃きます。
自分がカッコイイ文章だと思うほどの文章だから、忘れるわけがないだろうと思うのですが、すぐに忘れてしまう(笑)。
パソコンに向かい原稿を書き始めると、カッコイイ文章が思い浮かんだことは覚えているけれども、どういう内容だったかは綺麗サッパリ忘れてしまっているのですね。
これまで、それで何度モッタイない思いをしたことか…。
これまでに私が思い浮かんだ文章のフレーズをすべて何かにストックしていれば、もっと充実した原稿を書きまくれているのにと後悔することしきりですが、もう後の祭りなんですね。
では、どうするか。
思いついた段階で、すぐにメモリさせないといけない。
私の場合、机の上にじっと座っているときよりも、歩いているときのほうがいろいろなアイディアが浮かびやすいんですね。
しかし、歩きながらメモするのって難しいし、面倒臭い。
だから一時期、ICレコーダーをポケットに忍ばせてなにかが閃くたびに、ICレコーダーにぼそぼそと閃いた文章やアイディアを吹き込んでいたのですが、すぐにやめてしまいました。
だって、恥ずかしいじゃないですか。
アメ横のような雑踏で、「レニー・トリスターノのピアノには、ただごとではない佇まいがある。ほのかに立ちこめる狂気。一見イーブンでいながらにして、そのくせ目も眩むような不可思議なノリは、まさに怨念グルーヴとでも呼べるもので…」なんてことをICレコーダーに向かってボソボソと喋れますか?
「狂気」だの「怨念」だのを交えた言葉を、公衆の雑踏の中では中々言えるものではありません。
あるとき、すごくエッチなことを思いついたので、駅のホームで人が少ないことをこれ幸いとばかりにICレコーダーに向かって、ボソボソとスケベな言葉を延々と喋っていたら、
いきなり私の目の前を通り過ぎた若い女性2人組に、変質者を見るような厳しい目線を頂戴してしまいました。
さらに、このように恥ずかしい思いをしてまで吹き込んだ自分のアイディアも、面倒くさくていちいちICレコーダーを聞き返さないんですよね。
たまに聞き返しても、自分の声とは思えない自分の声が、なんだかワケのわからないことをボソボソと喋っていて、聞き返しているうちに恥ずかしい気分になってくる。
喋っている内容も、たいした内容ではないようにすら感じてきてしまうので、私の「ICレコーダーメモ術」はこうして幕を閉じたのであります。
そういう経緯があって、今現在では、やっぱり紙と鉛筆のメモが一番自分にとっては良いのかなということで、もっぱら私はノートを活用することにしています。
で、ノートについて書くと…、
汚くてもいい。ノートにその場で書く。
携帯電話型のノートがあればいいのにね、って
そうすれば、街中を歩きながらも、電話をしたフリをしながら音声メモできるから。
「もしもし、そうそう、トリスターノの件ですけど、
へ?あれですか?
ふんふん、たしかにヘンなピアノですわなぁ、
最初はマトモに感じますけどねぇ。
あなたも、やっぱ、そう思いますか。
ダテにツウじゃありませんなぁ。
そうそう、あれ、いっちゃってますわ。悪いけど。
うんうん、なんっつーか、音の端々がさ、
殺気立っているっていうか、
怨念だよね、怨念、ノリがさぁ。」
なんて、誰かと会話をしているフリをしながら、要点を話していけば、忘れることはないのになぁと思うのです。
ICレコーダーに声を吹き込むときは、マイクを持ちながら喋るような態勢になってしまうので、どうしても身構えちゃうし、緊張しちゃいますよね。
で、緊張するからぼそぼそとした声になり、ぼそぼそとした声で、「殺気」とか「怨念」なんて単語を発するから、周囲から頭のオカシイ人だと思われるんだなぁ。
ま、それはいいとして、ICレコーダーがダメなら、もうノートしかないわけです。
だから私はここ1年半ほど、使ってますですよ、A5サイズのスパイラル式のノートを。
なぜスパイラル式なのかというと、中綴じのノートよりも、パタンとページを真っ二つに折りたためるでしょ?
真っ二つに折りたたんで書けば、書きやすいし、表紙&背表紙の厚紙が芯となり、下敷きとなってくれるから、立ったままでも書きやすいのです。
なぜ、A5なのかというと、A6だと小さいし、B5だと大きいし、要は手ごろな大きさなのです。
で、このノートに予定とか、やりたいこととか、メモとかをグチャグチャ書いちゃうわけです。
美観とかはまったく無視して。
というよりも、美観とかレイアウトを意識した時点で、ダメです。
せっかくのアイディアが忘れてしまう可能性があるから。
とにかく、閃きという無形をカタチにする第一歩は、グチャグチャした文字やグニャグニャな絵からなんですね。
そう、歩きながらでも、いいの。
私が歩きながら書く文字は、ダッチロールした飛行機の中で、必死に書く家族への遺言のような、それはそれはとてつもなく判読しづらい、まるでミミズがはいつくばったようなヒドイ文字になってしまいますが、それでもいいの。
忘却のかなたに押しやられるよりは。
後で読み返そうとしても、読めないかもしれない、なんてこと、気にしないの、そのときは。
自分で書いた文字は、どんなに汚くても、けっこう読み返せるものです。
ただ、やっぱりノート片手にメモしながら歩く姿って、ハタから見ると、奇異に見えることもあるので、人混みの中でひらめいたら、ささっと店の角や、電信柱の下などに小走りに走って場所を確保した上で、さらさらっとメモしたほうがよいかもしれないですね。
歩きながらよりは、立ち止まって書いたほうが、だんぜん綺麗な文字が書けますからね。
今日の私は、午前中の新宿通りを歩きながら、10個も新しいアイディアをメモしました。
日曜日の新宿通りって、ガラガラで車も人もいなくて、気持ちいいんですよ。
下駄を履き、乾いたアスファルトにカランコロンと音を響かせ、ノートに文字をぐじゃぐじゃ書きながら歩いている男の姿は、たしかにヘンというか異常ですが(笑)、広い通り、しかも車も人もいないような通りを一人で歩いていると、気分が大きくなるのか、色々なことが閃きやすいのです。
なぜ“書く”ことが大事か
なぜ、とにもかくにもメモすること、というよりも、“書く”ことが大事なのかというと、“見る”からです。
普通、目をつぶって字は書きませんよね?
頭で想い、手を動かして文字を書き、目で書いた文字を確認するわけですね。
はい、ここで、すでに頭、手、目の三つの器官が使われているのです。
さらに、目で認識した文字は、脳にフィードバックされるので、
頭→手→目
↑←←←↓
という循環が出来上がるわけです。
頭だけで考えた漠然としたモヤモヤな思いは、そのままにしておくと、ワーキングメモリーとして一時記憶しかされなく、なにか新しい記憶が入力されると、どんどん記憶の外に押し出されてしまいますが、手と目という器官を働かせることによって、より具体的な形となり、記憶が強化されるわけですね。
いや、記憶を強化しなくてもよいのです。
むしろ、パソコンで言えば、外付けのHDやUSBメモリー(クリップドライブ)のようなデバイスにファイルをバックアップしたと思えばよいので、安心して忘れられます。
安心して忘れられれば、脳の中のメモリを他のことを考えることに割り当てられますね。
継続させるには?
では、この習慣を続けるにはどうしたらよいでしょう?
一番簡単なのは、書きとめたメモに数字をふっていくことです。
つまり、ナンバリングですね。
人間って不思議なもので、数字が増えれば増えるほど、もっと増やしたいと思います。
だから、続ければ続けるほど、ますます、アイディアが浮かび、いや、数字を増やそうという思いから、アイディアが“湧く”のではなく、自発的にアイディアを“捻り出す”モードに意識が変換されてゆくのです。
そうすると、モノを見る目が、常にネタ探しの目になってきます。
だからといって、常に目が血走って、町中をギョロギョロするわけでもありません。
いたって普通に日常生活を送りながらも、ちょっとだけアンテナが敏感になるんじゃないかなと思います。
この方法は、「アイディアマラソン」といって、発案者の樋口健夫さんから学んだ方法なんですね。
なんと樋口さんは、今年の時点ですでに、23万個以上のアイディアを出しているという、恐るべき人です。
あ、実際は温和な方ですが……。
1984年にアイディアマラソンを開始したそうですから、20年とちょっとで、23万個。
1年に1万個以上のアイディアを出している計算になりますね。
今でも、1日に40~50個のアイディアを出すことを自らに課しているそうで、160円コーヒーのヴェローチェでエスプレッソを飲みながら、ノートに発想を書き留めるのが日課のようです(笑)。
樋口さん言うには、1000個のアイディアを出せば、3つか5つぐらいは、素晴らしいアイディアがあるそうです。確率的に。
はぁ、1000個に5個ですか…、少ないですねぇ。
でも、まぁこれは引越したての蛇口の水と一緒なんでしょうね。
長く使ってない水道の水は、蛇口をひねると、最初は赤錆の水が出てきます。
そして、しばらくすると、だんだん綺麗な水になってきますよね。
ですから、5つの素晴らしいアイディアを出すためには、脳の中から995個の赤サビを出さなければならないということなんでしょうね。
同じようなことをコピーライターの友人も言ってました。
代理店の制作部に配属されると、まずは合宿に行くそうですが、そこで、1時間弱の間に、100個ぐらいコピーを書かされるそうです。
最初の20~30案は小手先や、アイディアのストックで書けますが、それ以上になると、脳ミソを捻らざるをえない。
脳を絞って、絞って、絞りまくって、最後は半ば無意識に出てきた言葉に面白いものや、面白くなくても、自分の内面の意外な発見があるのだそうです。
うん、分かるような気がする。
脳は、使って使って使いまくらないと、面白いことを思いついてくれないんですね。
そのためには、とにかく、アイディアのアウトプット、アウトプット、アウトプットを繰り返してゆく必要があるのでしょう。
ちなみに、私は長らくノートにナンバリングしていませんでした。
だって、面倒だから(笑)。
しかし、先日、ついに買っちゃいました。
マックスのナンバリング5桁のスタンプを。
面白いですよ。
アナログでタフで手ごたえのある鉄の重たいカタマリなのです。
パソコンのプリンターは、トナーをカチャッ!とセットすれば、あとは自動的に印刷されますが、これは違うのです。
手でインクをスポンジに刷り込まなければならない。
手間がかかる。
でも、これが面白いんだなぁ。
重たいのをガチャン!と押す手ごたえと楽しみ。
これは、結構病みつきになります。
で、これを買った日の夜から、息子と、ノートに絵や字を思いつくままに書きなぐって、ガチャン!ガチャン!とナンバリングをして遊んでいるのです。
まだ、お互い100を越した程度ですが、2桁が3桁に変わる瞬間って、快感です(笑)。
ナンバリングをすることによって、息子も絵や字を書くモチベーションがアップして、目についたもの、考えたものをどんどんノートに描いています。
字を書き、絵を描き、ナンバリングするって楽しいよ。
……と、じつはこのことが一番書きたかったことなのです(笑)。
すいません、お付き合いありがとうございました。
●樋口さんのアイディアマラソンを学びたければ、以下の本を参照されるとよいでしょう。
記:2005/09/09~13