ミニカーをたくさん買い与えることは良いことなのか、悪いことなのか?

   

minicar

先日、東京駅の八重洲の地下街に行ってきました。
「トミカタウン」がオープンする日だからです。

夏休みだということもあり、開店前から、すごい行列でしたね。

トミカはトミーが出しているミニカー。

ミニカーマニアの大人も多いようで、けっこうイイ年したオジサンも行列の中に加わっていましたが、多くは、お母さんと子供という組み合わせでした。

あとは、新聞社やテレビ局。
じつは彼らが一番、場所を喰っていたかもしれない……。

私が開店直後の「トミカタウン」を訪れたのは、半分以上が興味半分と好奇心。

最近の八重洲の地下街には、ラスカルだけのグッズを売る店とか、レゴの専門店など、面白い店がどんどん出店していますからね。

だから、ミニカーそのもに興味があったというわけではなく、それどころか、私の場合は、子供の頃からミニカーにはまったくといって良いほど興味ありませんでした。

むしろ、ロボットとか、飛行機とか怪獣とか、そっちのほうが好きだった。

今も昔も、あんまり車には興味がなく、いまだにクルマの免許ももっていないほどですから。

しかし、息子にはずいぶんミニカーは買ってあげたなぁ。
数えたことはないのだけれども、たぶん50台以上はあるかもしれない。

ミニカーって安いから、オモチャ屋に行くと、ついつい買ってしまうんですよね。

よその家では、お父さんがあまりに子供にミニカーを買い与えすぎると、お母さんが「そんなに買ってどうするの!もっと我慢させなさい!」と怒る家も多いみたいですね。

うちは、野放しですが(笑)。

さて、ミニカーを子供に大量に買い与えることと、ミニカーを子供に我慢させること、どちらが大事でしょうか?

一口に「大事or大事じゃない」とは言えないことだと思います。

要は親のイマジネーションと、子供になにをさせたいか、どういう子供に育てたいかの問題のような気がします。

まず、大量にミニカーがあると、比較分類する目線が無意識に養われると思います。

チワワからシベリアンハスキーまでが「犬」で括られるように、ひとくちにクルマといっても消防車からレーシングカーまでさまざまな種類があります。

たくさんの種類のミニカーを並べることによって、無意識に分類比較の目が養われるのではないでしょうか?

大好きな一つのものを凝視するだけでは分からないことがある。
見えてこないこともある。

たくさん並べて、はじめて、全体の中の位置づけを知ることも多いのです。
対象が無意識に相対化されてくるのですね。

これは、私の場合は、ジャズのアルバムを集めているうちにわかってきたことです。

大好きなアルバムも、100枚、1000枚と、他のジャズのアルバムを聴いているうちに、聴こえ方が変わってくるのです。

もちろん「好き」という気持ちは変わらないのですが、多くの似たものに触れることによって目や耳が養われると、かえって好きなものの中から、自分が知らなかったこと、思いもよらぬこと、気づかなかったことが見えてくることが多いのです。

だから、単純に「たくさんある」という状態は、非常に子供にとっては勉強になることだと思います。

もちろん、「このクルマと、あのクルマ、どこが違うんだろうね?」といった親の助言も必要だとは思いますが。

さらに、ミニカーをたくさん持つと整理整頓をするようになります。

いくら小さなオモチャとはいえ、40台、50台と床に並べると、かなり壮観です。

うちなんかだと足の踏み場がなくなってしまうほどです。
遊び終えたら、当然キレイに片付けなければなりません。

もとより男の子はコレクションが大好きです。
だから、自分の好きなものに対しては(この場合はミニカー)、自分なりの法則やルールを作って、分類しながら整理整頓するようになります。

あとは生活の中での目線ですね。

道を歩いていると、パトカーや焼きイモ屋を見るたびに、「あ、あのクルマうちにあるね!」と反応するようになります。

多くのモノに触れていると、普段見過ごしがちな街の風景にも敏感になります。

以上が、私がミニカーを息子に買い与えて、「いいな」と思った点です。

しかし、もちろん、買い与えすぎが良くないと主張される人の意見も分かります。

1、我慢する心が養われないかもしれない
2、お金がなくなる
3、なんでも買ってもらえると思われると、大きくなったら困る

うん、たしかにそれぞれ分かります。

「1」の場合は、私は別の方法で我慢心を養わそうとしています。
「ガンバリ表」というマス目のようなものをエクセルで作っているのです。

なにか良いことをしたり、お使いに行ったり、算数のドリルをやったら1マス塗りつぶす。
100点だったら3マス塗りつぶす。
こういったルールを設けているのです。

「もしミニカーが一つ欲しければ、30個のマス目が塗りつぶされるまで我慢しなさい」といったような報酬制をとっているのです。

親と子のありがちな会話で、
「ねぇ、ミニカー買ってよ」
「こんどね」
というのがあると思いますが、その「こんど」って一体いつなんだ?

その点、ここまでマス目を塗りつぶしながら、確実に手に入るんだというビジョンを見せてあげたほうが、イイカゲンじゃないし、子供にとってもデジタルで分かりやすいですよね?

頑張れば、すぐに30マスぐらいはすぐに埋まるし、何もしなければ、いつまでたっても手にはいらない。

馬とニンジンの関係のようですが、この方法は子供のモチベーションをアップするにはピッタリの方法です。

さて、「2」の「お金」ですが、まぁ、ミニカー程度だったら……。
1回の飲み代を我慢すれば、20~30個は買えますからね。

「3」の「なんでも買ってもらえると思われると困る」ですが、これは「1」の方法が有効です。

「ガンバリ表」の存在自体が、
「なにもしなければ、なにも手にはいらない」
「なにかしなければ、なにも得られない」
という心を自動的に育んでいるからです。

中学、高校になったら、たしかに子供が欲しいものの額はたしかに高くなります。

しかし、だったら、それ相応の対価(がんばり)は支払わなければならないことをキッチリと教えます。

高校生になれば、バイトも出来るんだから、バイトさせます。
高額なものが欲しければ、ね。

「親に対して頑張って親から報酬を得るよりも、社会に対して頑張って社会から報酬をいただけ!」とキッチリ教えるつもりでいます。

記:2005/08/11(from「趣味?ジャズと子育てです」)

追記

と、上記テキストを書いてから、すでに11年。

高校生になった息子は、バイトで稼いだお金で、色々と好きなものを買っています。

もちろん小遣いは与えていますが、ファッションに興味を持っている息子は、当然、私から与える小遣いだけでは物足りない。

だから、自分で稼いだお金で、稼いだ範囲内で買えるものを計画を立てて購入しているようですね。

コートとか、帽子とか、シャツとか、パンツとか、ベルトとか、アクセサリーとか、いつの間にやら息子の部屋は見慣れぬファッションアイテムが増えています。

もちろん、友だちと食べに行ったりなど遊びに行く費用もあるので、そのあたりは、うまく計算しながら計画的に使っているようです。

給料もらったら、まずは全額銀行に預けて、あとは、その都度、必要な金額だけ引き出したほうが良いぞ、という私のアドバイスを忠実に実行しているようですね。

で、夏には海外に行きたいみたいなので、アルバイトで稼いだお金は、全部は使わずに貯金をしているみたいです。

取り合えず、欲しいものがあったら、親に依存せず、自分で何とかするという癖がついて、良かった、良かった。

記:2016/05/01

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