お金のお話

      2016/05/02

money

お金はあるにこしたことはありません。
しかし、お金だけが目標の人生は、つまらないと思います。

なぜかというと、お金はカジノやゲームセンターで使うコインのようなものだからです。
あるいは、肩叩き券のようなものかな?

つまり、「あなたは今これだけの量を持っていますよ、これだけのものと交換出来ますよ」という権利を分かりやすく(数えやすく)カタチ化しただけのものなのです。

たしかにたくさん持っていれば安心感はありますが、たくさん持っているという「状態」は、幸せでも不幸せでもありません。

元銀行の外回りだった女の子に聞いた話ですが、彼女は、世の「金持ち」と呼ばれる人たちは、持ちすぎたがために疑心暗鬼になって、人を疑ってばかりな人に、うんざりするほど出会ってきたそうです。
そういう人は少なくとも私は幸福には見えない。

たくさん持っていること自体は、たんなる状態であって、心が豊かか、そうではないかとはまったく無関係。
効果的に使って楽しい思いをすることが幸せなのです。
もちろん使わなくても、楽しい思いをすることは可能です。

お金稼ぎは、“何かを出来る権利・点数”を集めることなのです。

そう、お金は、点数なのです。点数が貯まれば貯まるほど、たくさんのモノやサービスを買える権利を獲得出来ますが、点数“だけ”を集めることに躍起になるのは本末転倒です。

私は学生時代は貧乏でしたが、とても楽しい生活をエンジョイしていました。
100円しかなければ、100円での楽しみ方や腹の満たし方を考えたし、千円あれば、千円で満喫できる楽しみ方をしていたような気がします。

ふり返ると、手持ちの駒を最大限に使うことを考える訓練をこの時期にしていたのかもしれません。

もちろん、お金を貯めることも大事だと思います。
それと同時に、欲しいものを手に入れるための権利をどう集め、どう使うかを考えることも大事だと思います。

さきほど、カジノのコインに例えましたが、では、このコインは何が変化したものでしょう?

時間です。

有効に、生産的に使った時間がコイン(=お金)に換算されるのです。

そう考えると、無駄な時間はあまり使えなくなりますね。
ま、無駄の定義も微妙ですけれどね。

たとえば、私は小学校から大学まで、ほとんど勉強せずに、勉強するフリをして本を読むか漫画を描くかのどちらかばかりをしていました。
親や先生の目からすれば、「勉強をせずに無駄なことばかりしおってからに」かもしれませんが、現在の私からしてみると、そのときの無駄があったからこそ、人と人のつながりも生まれたし、仕事にも役立てているし、それ以前に過去の無駄がなければ、今の自分にはなっていなかったでしょう。
つまり無駄じゃなかったんです。有益だったのです。

だから、自分の行動の一つ一つにいちいち目くじらを立てて、「今の時間は無駄だった」とか「ああ、無意味な時間をすごしてしまった」とはなるべく思わないようにしています、最近は。

要は、自分の経験やインプットされた情報を、どう引き出し、どう使うかが大事なんでしょうね。
それが、お金になることもあれば、ならないこともある。
お金にならなくても、人を喜ばせたり、笑いをとったりすることぐらいは出来るかもしれない。

すべてをお金には換算したくはないし、それ以前に、それは無理でしょう。

楽しい気分、心に不安のない状態。
これが私を含めておそらく多くの人が望む状態なんじゃないでしょうか。

もちろんお金があれば、楽しい思いや、心に不安のない状態になれる確率は高いです。
でも、なくても、なれないことはないと私は信じていたいですね。

もちろん、お金はあるに越したことはないです。出来れば、私だって現在の年収の2倍ぐらいあると、すげぇラク(笑)。

でも、毎日が不安な精神状態と疲労と笑顔の無い年収2倍の生活だったら、とくに大きな不安もなく、比較的楽しい毎日を過ごしている現在の生活のほうがいいや。

ぐだぐだと色々書きましたが、ま、今の私のお金観はそんな感じです。

もちろんお金を否定しているわけでも、金持ちをやっかんでいるわけでもありません。ましてや、お金を持っている人を妬んでいるわけでもありません。

繰り返しますが、やっぱりお金はないよりは、あったほうが良いです。
でも、そのことと「心が豊か」な状態は、まったく別の土俵の話なのです。

私? 充分に豊かだと思ってます。感謝です。

記:2005/05/30

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