村石雅行のドラム
2019/12/03
カッコいいフィルイン
先日、私のベースの師匠のライブが銀座で行われたようだが、私は残念ながら観に行けなかった。
なぜなら、すぐに予約で一杯になってしまったから。
師は、毎月、親交のあるミュージシャンをゲストに迎え、セッションスタイルでライブを催しているのだが、その日のドラマーは村石雅行氏、ヴォーカルが彼の奥様の村石有香さんだったことも、すぐに予約が埋まってしまった一因だと思う。
村石雅行といえば、すぐに思い浮かぶのが、椎名林檎の『下克上エクスタシー』のドラミングだ。
『下克上エクスタシー』は私も見にいったが、ドラムの凄さに驚いた記憶がある。
この時の模様はDVDにもなっていて、我が家ではよくかけるのだが、私以上に、ドラムが大好きな息子が村石雅行のドラムに反応する。
彼のドラムは、フィルインがとにかくカッコイイのだ。
べつだん、複雑怪奇なことをやっているわけでもなく、逆に基本に忠実というか、分かりやすいドラミングなのだが、なんだか、ちょっとした「ヒネリ」のようなものが加わっているがために、彼ならではの独自のテイストを持っているのだと思う。
ちょっとした「ヒネリ」や「訛り」を加えるだけで、あんなにトッポくなってしまうのだなぁ、という点では、全然関係無いかもしれないが、私はいつもトランペッターのリー・モーガンを思い出してしまう。
Lee Morgan Live at the Lighthouse
リー・モーガンのラッパは、本当にラッパらしいストレートで明快な響きだし、フレーズもクリフォード・ブラウンを発展させたスタイルで、王道的なプレイだといえる。
しかし、ハーフ・ヴァルブを使用して、フレーズ最後の音を「クイッ」とねじ曲げたり、共演者を喰ってしまうアドリブの展開の仕方などを聞いていると、オーソドックスなスタイルに、ちょっとだけ独自な「ヒネリ」と「アレンジ」を加えただけでも、格好良さを倍加させてしまうのだな、と思う。
リー・モーガンはトランペットを始めてからデビューするまで、一日に8時間以上の基礎練をしたという。
私は、「実力が無い言い訳としての、それしか出来ない奇抜なスタイル」よりも、基本をキッチリと押さえた上で、その人独自の味付けをされた表現の方を好む。
村石雅行のドラムにも、リー・モーガンのラッパにも、同じようなテイストを感じ、かつ格好良いと感じてしまう理由はその辺にあるのかもしれない。
先人の業績を吸収&消化し、それを踏まえた上で、自分独自の色を加えて新しいカタチで昇華させること。
これこそが、真のオリジナリティと言うのではなかろうか?
言うまでもなく、この段階に至るまでには、おびただしい時間と労力を要する。
オリジナリティはおろか、基礎を身につける過程だけでも、多くの人はウンザリしてしまい、挫折してしまうのだろう。
しかし、そんなもんだと思う。
楽器をやっている人は、それこそ何百万人もいると思うが、歴史に名を残す人、歴史に残らずとも、相応の評価を受ける人は、その中の何千分の一だと思う。
別に誰もが無理してオリジナリティを獲得する必要も無いのだし、無理して楽器や音楽をやる必要だって無いのだから。
記:2001/12/03