『おかえりモネ』とはいったいなんだったのか
2021/12/10
異色の朝ドラ
先日最終回を迎えたNHKの朝ドラ『おかえりモネ』とは、どういう話なのかを一言に凝縮すると、
「一度地元を離れた人に対して、地元の人は冷たい」だ。
もちろん、物語に登場する役者たちは露骨な冷たさを出す演技はしていない。
また、一瞬そのような表情をしたり、思いを言葉にしたりすると「ごめん」と謝ったりもしている。
しかし、その言動から見え隠れするものは、どこかしらモヤモヤとした「こちらの自分・あっちに行ってしまった人」と無意識に分けているように感じる。
そして、それに主人公・モネ(永浦百音/演:清原果耶)も悩み苦しむし、この主人公の思いがこの物語を貫く主題でもあったように感じる。
「東日本大震災の際、地元にいなかった」という主人公の過去も、この主題をより強固にするための設定なのだろう。
「(地元を離れた人が)何をいまさら戻ってきてるの?」という、言葉にまではならないにせよ、そのようなボンヤリとした違和感を抱いたまま、それでも表面的には普通に接してくれてはいる。
「上京して芸能人なり、成功して故郷に錦を飾る」なら分かるけれども、主人公・モネのスタンス、キャリアは、良くも悪くも中途半端といえば中途半端。
たしかに、上京したら全国放送のニュース番組のお天気お姉さんになったということは、地方の人からしてみれば、「この子のこと昔からよく知っている」と周囲に自慢をしたくなるほど「あっちの世界の人」になってしまっているのだろうが、それも束の間、「地元の人たちのために」と、生まれ故郷に帰ってきてしまうのだ。
だから、「何をいまさら、しらじらしい」という想いを抱く幼馴染みも出てきている。
モネの幼馴染のりょーちん(永瀬廉)だ。
もちろん、マイルドなトーンで揶揄し、そしてすぐに謝ってはいるが、やはり地元で生まれ、地元で必ずしも順風満帆といえる生活を送っているとはいえない者の本音なのだろう。
こちとら母親は津波で行方不明だし、以来、親父はアル中だ。母親がいなくなってからオカシクなってしまった父親の所業に多感な時期から気を揉む日々を送る者からしてみれば、東京でうまいことやっている(ように見える)人が何をのこのこ帰ってきているんだよ、一段高いポジションから俺たちのことを構いにきたのか?」という想いも芽生えてしまうのだろう。
このモヤモヤに関しては、幼馴染のりょうちんに代弁させているが、りょうちんに限らず、他の地元の人たちも同様な想いを抱いている人もいるであろうことは想像に難くない。
だとすれば、そういう思いが芽生えること自体、どこか「東京は特別なところ」という気持ちが根っこにあるのだろう。
東京都民からしてみれば、べつに東京って特別なところでもなんでもないと思うんだけど、「そう言っていること自体、やっぱり自慢してる」みたいなニュアンスで揚げ足を取られてしまう可能性がある。
実際、地方の教習所に合宿免許を取りに行った息子たち東京下町ボーイズは、他府県の同世代からはなにかと「東京から来たからって気取ってんなよ」と言われたのだという。
もちろん、冗談交じりの口調ではあったそうだが。
パスカルだかゲーテが言っていた言葉に、「不幸になるもっとも簡単な方法は、比較すること」というものがある。
地方すべての人がそうだとはまったく思わないが、それでも無意識に地元と東京を比較する人が多いのではないだろうか。
比較するからこそ、何かと張り合おうとする。
「ここは負けてるけど、そこは勝ってる」みたいな感じで。
だからこそ、いったん上京して地元に戻ってきた、いわゆる「Uターン」なモネに対して向けられる目線がどこか冷たい。冷たいとまではいかないにせよ、「どこまで本気なのか、もう少し観察しよう」という目線なことは確かだ。
もちろん人間関係に大きな摩擦やぶつかり合いは無いにせよ、どこか「うすらよそよそしさ」的なものが漂う。
都会に出ていた者と、ずっと地元の人の微妙なギャップ。
これがテーマだとしたら、朝の8時から毎日15分放映されるドラマのフォーマットに落とし込むのはきわめて難しいテーマだったんじゃないかと思う。
朝っぱらから重たいんだよ。
そういう感想を抱く人も中にはいたことだろう。
『あまちゃん』や『おちょやん』のように、竹を割ったようにハッキリとした泣き笑いをストレートに提供して欲しいと感じた視聴者も少なくないのではないだろうか。
まあ、朝ドラにはちょっと難しいテーマだったのかもしれない。
しかし、脚本だけがドラマではないわけで。
演出や演技だって重要な要素。
しかし、『おかえりモネ』の場合は、けっこう有名どころや一流どころの俳優・女優を投入したにもかかわらず、「表面的には分かりやすいけれども、よくよく考えるとかなり重いテーマ」だと視聴者に感じさせる内容にまでは昇華することが出来なかったように感じる。
「私は東京に残る・地元には戻らない」というモネの同級生・明日美(恒松祐里)をもう少し描写して、生き様や考え方の違いを対比させる描写をもう少し盛り込むなどの工夫があっても良かったのかもしれないね。
私はどちらかというと、ヘンに地元や地元民との距離感と何かせねばいけないという自らの存在意義を確立しようとする主人公や、やたら姉と自分を比較してウジウジ暗い妹・未知(演:蒔田彩珠)よりも、東京で元モデル(現在は人気気象予報士)をしっかりと捕まえて、たくましく生きる明日美のほうにシンパシーを覚える。
『半分、青い。』の鈴愛(演:永野芽郁)のように、次から次へとステージを変え、そのどれもが中途半端な主人公もいるが、結果が失敗であれ成功であれ、生き方が一直線かつエネルギッシュな人物像のほうが、朝ドラというフォーマットには収まりやすいのかもしれない。
そういった意味では、したたか&あざと女子な神野マリアンナ莉子(演:今田美桜)も同様に、欲望に忠実、かつ分かりやすい生き方をしており(しかも熱量も高い)、朝ドラの主人公向きかもね。
それに比べると、モネの場合は、ちょっと蛇行が多く低体温な感じが否めず、そこがこの作品の評価が分かれるところなのだろう。
それこそ『おちょやん』のオープニングテーマ、秦基博の《泣き笑いのエピソード》の歌詞に凝縮されている「頑張って、しくじって、立ち直って、泣いて、笑って、弱音を吐かず、強く成長していく」ような「泣き笑いのエピソード」が慌ただしい朝の15分の中に詰め込まれている内容こそが、多くの人が思い描き、かつ期待するオーソドックスな「朝ドラ」なのかもしれない。
そういった意味では、『おかえりモネ』は、各人が持つ「朝ドラ」観が浮き彫りになる、ある種「朝ドラ」の作品の中では特異な実験作だったのだろう。
記:2021/10/30