秋晴れ、皇居、そして、マイルスの『オン・ザ・コーナー』
2015/07/09
散歩などをしながら、ノンビリとした気分でぶらぶらと歩いていると、時折、ある一つの音楽のフレーズの断片が思い浮かび、無意識にリピートさせてしまうことがある。
あたかも、舌の上で飴玉を転がすように。
私の場合、しばしば頭の中で突然再生される曲の断片が、『オン・ザ・コーナー』の《ブラック・サテン》だ。
つんのめった感じのせわしないドラム。
グルーヴしまくるベース。
もう、このリズムの組合せだけでも、クラクラと眩暈がしそうなほどなのに、マイルスの、あの“ねじくれたラッパ”だ。
それに、生々しくて、ラフなハンド・クラップときたものだ。
卒倒してしまいそうな組み合わせだ。
このパターンが延々と続くのが《ブラック・サテン》という曲。
だから、頭の中でこの曲の断片が再生されると、電車の中だろうが、会議中だろうが、電話中だろうが、パソコンを打っていようが、いつまでもノン・ストップで鳴り続けてしまうのだ。
グチャグチャした音の感触。一見エキサイティングでノリの良い感じなんだけど、このグルーヴ感に対して、カラダはどのように反応してよいのか戸惑う。
いや、カラダよりもむしろ、頭の中が静かに興奮しているのだ。
と同時に、妙に醒めたクールな感触が全体を貫いているで、単純に興奮しているというわけでもない。
要するに、アタマのほうも、この演奏に対しての適切な対処法を見出せずに困っているのだ。
あと、もう少しで高揚感の絶頂に登りつめる寸前に、寸止めをかけ、冷や水を浴びせるような冷徹なマイルスの構成意識。
マイルスって人は、つくづく狡猾で残酷な人なんだなと思う。
熱いんだけども冷ややかなマイルスの視線が、終始重たく横たわっているアルバムが『オン・ザ・コーナー』だが、こと《ブラック・サテン》において私はそれを強く感じる。
もどかしい。
だけども、気持ちがいい。
そこが不思議。
それにしても、この鎮静感って、いつも思うのだが、スライ&ファミリーストーンの『暴動』に似てはいまいか?
肉感的なくせに、えらく醒めた触感を両アルバムからは感じる。
違う切り口と、違うレベルの恍惚感を模索しているような演奏なのだ。
マイルスはスライからも影響を受けたというが、ひょっとしたら、1年前に発売された『暴動』を聴き、アプローチではなく、音の“肌触り”を自分なりに表現する方法を模索していたのではないのだろうか?
あくまで推測だが。
今日も、20分ほどこのアルバムのフレーズを延々と頭の中でリピートさせながら、皇居の堀の周りを、およそ1/3周ほどぶらぶらと歩いていた。
気持ちの良い秋晴れの日に、皇居。
そして、『オン・ザ・コーナー』。
なんともヘンな組合せではある。
澄んだ秋空の元、ヘビ笛のようにトグロを巻くデイヴ・リーヴマンのソプラノサックスが、不思議とクリアで澄み渡って聴こえてくる。
記:2003/09/29