「愛」も「お金」も大事だが、「その先」にあるものも大事。~プラスティックスが教えてくれる

   

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ザ・プラスティックス

ザ・プラスティックスが好きだった。
いや、今でも好きだけど。

いやいや、今だからこそプラスティックスのポップで異色なセンスを、こんな時代だからこそ、ますます楽しく享受したい。

自由奔放なオリジナリティ

The Plastics。
日本のテクノポップ・バンド。
と同時に、日本のテクノの草分け的存在なバンドでもある。
(個人的にはニューウェーヴ色の強い手法がテクノのバンドだと思っているけれど)

プラスティックス、プラスチックス、プラスチクス……?
表記はいろいろだけど、とにもかくにもセンスが良いバンドであることには変わらない。

知らない人、詳しく知らない人はウィキペディアを読んでみてね。

あ、あと、YouTubeで検索して、カッコ良い映像も見ておくんなせい。

とりあえず、こんな映像が見つかりましたよ。

私が彼らのことを知ったのは中学生の時だったが、このようなハイセンスなバンドに出会えて、本当に良かったと思う。

プラスティックス以降、プラスティックス的なバンドって出現していないよね。

ま、強いていえばPolysicsがそうなのかもしれないけれど、そのセンスの幅というか自由な発想のスケールは随分矮小化されているような気がする。

それはそれで悪くはないし、彼らの音楽も大好きなんだけど、プラスティックスほど肩の力が抜けた自由奔放さと広がりを感じさせるオリジナリティあふれるバンドって、そうは出現していないよね。

ダサい時代のハイセンス

私が中学生の時は『ビックリハウス』と『宝島』文化にドップリと染まっていた。

いわゆる「ヘンタイよい子」だった私の音楽の好みに合うクラスメートってほとんどいなかった。なにせ、時代は「ツッパリ・ハイスクール・ロックンロール」と「聖子ちゃんカット」が良しとされていた時代でしたからね。

テレビでは『金八先生』をはじめとした教師ものや「ツッパリもの」のドラマが一世を風靡し、これらの作品に漂う価値観に感化されていた大勢の同級生たちとは、話が合わないな~と常々思っていたものです。

というか、あまり話もしたくなかった。

もう、筆舌に尽くしがたくカッコ悪くてダサダサな田舎くさいカルチャーが跳梁跋扈していた時代だったんでしょう。

当時、そんな世の中の(私からしてみれば)暗黒な雰囲気に包まれた時代だと感じていたのは、きっとYMOとその周辺の音楽、そして、その中でも特に突き抜けた軽やかさとセンスをたたえたプラスティックスが好きだった私だったから、そう感じていたことは、致し方のないことだとは思うのですが。

もっとも今でもそうだけど。

恋バカ・金バカ・その先は?

この時代から、愛が大事、恋は素敵、さぁ恋をしよう、愛し合おう、その過程における消費もしようという価値観が、電波および音楽を通して流され、このムードに対してなんのフィルタリングもせずに受け入れてしまった「恋バカ」こそが、私と話しが合わない人達の大半だったように記憶しています。

猫も杓子も、愛だ、恋だと、要するにメディアに「発情」を促され、発情できる相手を躍起になって探し求め、一喜一憂している暇があったら、もっと他にも楽しいことがあるのに、と私は常々思っていました。

特に、恋に恋するクラスの大勢の女子たちを見ていると、もっと他にも楽しいことってあるんじゃないのかなぁと思っていたものです。

もちろん、愛も恋も大事です。
特に愛は、ヒトとして欠かすことは恐らく出来ないことがらでありましょう。否定は、まったくしません。
むしろ肯定派ですらあります。

でもね、だからといって、それが「目的」になってしまうと、いや、「ゴール」になってしまうと、どうなのかなぁ? という気持ちは常々ありましたね。

「お金」もそうだけれども、「愛」も得た瞬間、次のステップで待ち受けているのは「退屈」でしかないような気がしていたのね。

得ることが目的のものではないはず、という気持ちが大きかったのね。今でもそうだけど。
得た後のほうが、むしろ、その人の品性やセンスが問われる大事なフェイズに突入していくのではないかと。

手に入れた後、それをどう使うか、どう育むのか、むしろそちらのほうが大事なことだと思っていたのね。
今でもそうだけど。

つまり、「得る」ことを「目的」としてしまっている人、「得る」ことが「ゴール」になってしまっている人って、その先に訪れる出来事をイメージ出来ているのかな? いや、むしろ「得た」ことがないからこそ、「恋に恋する」ではないけれども、得ること以上のイメージが湧かなかったかもしれないんでしょうね。

その先にある快楽のイメージ持ってますか?

何度も書いておきますけど、私は「恋」も「愛」も「お金」も、生きていくには必要不可欠なものだと考えています。

しかし、大事なことって、それだけじゃないでしょ?とも思っているんですね。

「愛」とか「お金」って、もちろん大事だけど、それが最終目的になってしまうと、「その先」にある快楽ってイメージできないだろうし、享受するつもりも失せるんじゃないかと。

その先にある快楽?

きまっているじゃないですか。私の場合は音楽。

それも単純明快に「いえ~!」な音楽も嫌いではないけれど(昔は嫌いだった)、どちらかというと脳味噌がムズムズする音楽のほうが好き。

全身が解放され「いえ~!」となる音楽も嫌いではないけれど(昔は嫌いだった)、どちらかというとフィジカルに「クル」要素は、全身ではなく、みぞおちとか下半身にムズムズくる音楽のほうが好き。

細野晴臣氏が、イエロー・マジック・オーケストラ結成時のコンセプトとして、「下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラ」というキーワードを掲げていたけれども、まさにそれ、それ、それ!って感じです。

こういう音楽を聴いているとき、願わくば、こういう音楽をバンドで演奏しているときが今の私にとっては一番幸せなのかもしれません。

もっとも、こういうバンドは結成していないんですけれどね。メンバー募集!です、いやほんとに。
ベースでもいいいし、シンセでもいいです。

ニューウェーヴの精神

話を元に戻してプラスティックス。

テクノポップの走りと先ほど書きましたが、まあシンセベースとドラムマシンが疾走するピコピコサウンドであることには間違いないけれども、これ、私の中では完全にニューウェーヴなんですね。

別にジャンル分けなんて厳密にする必要はないのだけれども、手法はテクノかもしれないけれども、彼らの底流に流れているマインドは徹頭徹尾ニューウェーヴのものだと感じます。

乏しい情報しかない私の頭の中でのニューウェーヴの位置づけは、パンクの反社会的、反抗的な精神が、もう少し洗練されたものだと捉えています。

パンクほど露骨に破壊的ではないのだけれども、根っこに流れるマインドは、やはりパンクと同様に既成概念への疑問だったり、破壊衝動もあったりするはずです。

やっぱり破壊衝動のようなものは、「校舎のガラスを割った」り、「バイクを盗んだ」りといった言葉で表現するのって(特に)昔の私は感じておりまして、こういうことこそ、音だけで伝えられるほうがカッコいいと私は感じていました(今でも)。

もっとも、破壊衝動といっても、単に古い価値を壊してしまうだけではなく、それと同じくらい新しい価値を創造しようというエネルギーもあると思うんですよ。
私はそのポジティヴなエネルギーがわりと好きなんですね。

だから、ジャズも好きになったのかもしれないけれど、(昔の)ジャズマン、特にビ・バップ期のバッパーたちの意識に流れていたものって、既成概念の否定、あるいは改変と、なにか新しい価値(それが自分自身のオリジナリティのためだけであっても)の創出だったと思うんですね。

べつに、彼らがそう広言していたというわけでもないのだけれども、音からくるエネルギーが、単に私の誤解かもしれないけれども、やっぱり何か決まりきったルーティンの引力から脱却しようとする衝動のようなものが、音の襞についているような気がして。で、そういうヒリヒリさと緊張感が伴った音って、やぱり好きなんだなぁ。

ヒリヒリ、緊張感なんて書くと、なんだか苦行じみたニュアンスに受け取られかねないかもしれませんが、それこそが音楽の快楽なのです(少なくとも私にとっては)。

プラスティックスの音楽も本当に、突き抜けるほど快楽的。

楽器のテクニックとか音楽性とか、そういうレベルの問題じゃなくて、アイデアと楽しさ一発で、もうエナジー全開でドバーッと駆け抜けきってしまう、迷いのないクレイジーさとでもいうのかな?

ああいう境地で、今までの歌謡曲やらロックやらを綺麗に無視して我が道を突き進んでいくクールさもたまりません。

こういうマインドが私は好きなんですよ。
自由ですよね。
この人たちのような人間になりたいと中学生の頃から常日頃思い続けております。

30年近くも生きていると、それに伴って付着してくる人生の垢みたいなものがたくさんついてくるものだけれど、そういった思っ苦しい垢をボロボロと削ぎ落とし、ツルリとプラスティックな肌になりたいと願っている今日この頃なのであります。

そして、こういう境地に達することこそが、お金や愛を超えた究極の個人的野望だったりするのです。

で、そんなことをプラスティックスの音楽は言葉ではなく、音からにじみ出る姿勢で教えてくれるんですね。

もちろん、この時代になって初めてプラスティックスを聴く人は、たまらなくチープに聴こえてしまうかもしれませんが、えもいえぬノンシャッランなテイストは、今の時代にこそ必要なエッセンスなのではないでしょうか?

記:1999/03/23

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