『全裸監督』と黒木香に見る80年代のテレビ文化
『全裸監督』の後半のストーリーは、黒木香が新しいスタイルのAV女優としてテレビのバラエティなどに登場し、脚光を浴びてゆく様が描かれている。
これって、まさに80年代の中盤までの時代の空気を象徴する出来事なんじゃないかと感じた。
つまり、70年代まではテレビには普通登場しないような職業の人が、続々とテレビに登場し新風を起こした。……といえば聞こえは良いが、要するに、常日頃見慣れていた芸能人たちとは違うテイストが面白がられるようになってきた時代が80年代だったということだ。
たとえば、件の黒木香は「わき毛」が注目された一要因だが、もうひとつ、横浜国立大学の現役女子大生ということも注目された理由の一つだったのではないだろうか(劇中では「横浜国際大学」となっている)。
つまり、これまではAV女優という職業は、通っている大学名や、勤務先などは明かさなかったし、明かすものでもなかった。
ところが、黒木香は、あけすけに通っている大学を公表し、バラエティ番組に登場することで注目を集めた。
AM女優という職業の黒木香に限らず、大学の教授、ミュージシャン、評論家、映画監督、小説家などなど、それぞれの専門分野を持つプロも、テレビに登場するようになっている。
私の記憶があいまいなので、もしかしたら時系列がずれているかもしれないが、大学教授だったら栗本慎一郎や大槻義彦、ミュージシャンであればYMOやメンバーの一人だった坂本龍一、評論家なら竹村健一、映画監督だったら大島渚、小説家なら村上龍などなど。
彼らのような職業の人々は仮にテレビに出演するにしても、NHKの教育テレビなど専門色の強い番組がせいぜいだったのかもしれないが、積極的に民放、それもゴールデンタイムのバラエティなどに登場し、脚光を浴びるようになってくる。
大学教授なら象牙の塔、音楽家ならスタジオやステージ、映画監督であればスタジオや撮影現場といったように、それぞれ守備範囲や職業的技能を活かす「場」で黙々と仕事をし、テレビとは縁がなかったはず職業の人々が、テレビに引っ張り出されて、面白がられ、さらには文化人として認識されていったのが、80年代の中盤頃までのテレビ文化であり、世の中の風潮だったような気がする。
それとシンクロするかのように、雑誌ではへんたいよいこの『ビックリハウス』や、サブカルチャーの『宝島』などが一部の若者の文化と感性をリードし、プロより素人の感性を面白がるような文化も形成されていった。
ま、それだけ「プロ」が飽きられはじめた時代といえるのかもしれない。
そしてそれは、ある意味戦前より脈々と続いていた「徒弟制度の崩壊」ともいえる。
つまり、従来の「芸能」というのは、浅草なら浅草界隈の世界、吉本なら吉本界隈、それぞれのエリアで師匠のもとで修行をし、少しずつその界隈のしきたり、芸風を身につけながら頭角をあらわしていく流れがあった。
もちろん、タモリのように、そういう世界には属さず、福岡でサラリーマンをしていた人が、師匠を持たずにパッと出で登場することもあったが、それはどちらかというと例外で、ビートたけしにしろ、明石家さんまにしろ、最初は師匠の下で研鑽を積んでいたし、そのようなステップを踏みながら一人前になってゆくルートが普通だった。
しかし、その過程で染みこみ、醸し出る「玄人っぽさ」が飽きられるようになってきたんだろうね、80年代になると。
だから、トークは素人くさいが、逆に新鮮さも感じられるということで、芸能という領域外のプロフェッショナルがもてはやされるようになったのが、80年代初頭あたりの風潮だったのだろう。
当時中学、高校生だった私も、見事に、テレビに登場する「文化人」たちに感化され、憧れを抱くようになったものだ。
しかし、守備範囲を持たずに(専門的な土台)を持たずに、玄人くさくない感性の部分のみを売りにして登場した人々は、ことごとく飽きられ淘汰されていったのが、1990年代以降。
結局、生き残ったのは専門領域をきちんと持っている人たちだった。
先述した若者のサブカルチャーをリードしていた雑誌も、パルコの『ビックリハウス』は休刊し(1985年)、『宝島』もバンド⇒アダルト⇒経済⇒ゴシップなどと路線を変更し延命しつつも、2015年に休刊した。
やっぱり、長い目で見れば、ベースとなる軸持っている方がベターなのだろうね。メディアに注目されることは一瞬だし、人々の興味も一過性のものだから。
……なんてことを、先日、『全裸監督』の後半を観ながら、つらつら考えていました。
もし、マスコミやテレビなどで注目されたいと考えている方がいらっしゃれば、さて、あなたの、コアコンピタンス(中心的専門能力)は何でしょう?
記:2020/03/11