ロボットに求めるもの、子供に求めるもの

      2016/05/02

qrio

先日、女房&息子を連れてお台場のメディアージュに行ってきました。
ここのビルの5Fにある、ソニー・エクスプローラーサイエンス。

目的は、ここで行われるQRIO(きゅりお)ショー。

QRIOとは、ご存知の方も多いとは思いますが、ソニーが開発中のロボットです。

身長1m足らずのユーモラスな外見のロボットの中には、ハイテク技術が満載。
障害物をあらかじめ察知した上で慎重に歩行もするし、バランスが崩れる寸前のキワドいポーズでダンスも踊ります。

さらに、人の会話に常に傍耳を立てているので、ときには、会話に反応して可愛らしい声で
「な~に~?」
「呼んだぁ?」
などというリアクションもします。

このロボットのダンスやアスレチックのショー、ならびに、開発者による解説などが行われるショーで、ロボット好きな私としてはいても立ってもいられなくなり、どうせなら家族も巻き込んじゃえ!ってことで連れていったわけです。

それと、QRIO見物の目的はもう一つあっのですが、ま、それについては、機会があったら書くことにしましょう。

息子にはソニーのHPなどから、踊るQRIOの映像は見せていたのですが、やはり現物の“ナマQRIO”に接すると、全然反応が違いますね。
大きな目をさらに大きく見開いて興奮していました。

息子はQRIOに夢中でしたが、私は、開発者の解説が非常に興味深かった。

彼らは、技術的なことのみならず、人間の心理、コミュニケーションも研究しているんですね。

たとえば、テレビを観ていたとします。
突然、そのテレビが番組を中断して、突然、

「さて、クイズです!」

という画面が出てきたら我々はどう思いますか?

「なんだよ、このテレビは!せっかくイイところだったのに!」
と、普通は怒りますよね?
ところが、人間の形をしたQRIOが、

「クイズの問題を出してもいい?」

と突拍子もなく話し出しても、我々はテレビほどは怒らないはずです。

なぜならば、QRIOは人型ですが、テレビはやっぱりテレビ。

テレビとQRIOに我々が暗黙に求めている役割が違うゆえに、人型の機械が発するワガママを受け入れやすいのです。

このような解説を聞くと、なるほどなぁ、と思ってしまいます。

さらに、QRIOが話し方の抑揚は、比較的人間に近い話し方なのですが、あえて抑揚を抑えて話すこともできます。

QRIOは人間のように首を振ったり、手を動かしながら話すので、とても自然に感情移入が出来るのですが、あえて、話す抑揚も、体の動きも止めて話してもらうと、かなりの違和感を感じます。

まるで、機械と会話をしているよう、というか、そもそもあまり会話をしているという気分にならないのですね。

抑揚をおさえて、動かないで話をする。

ただそれだけでも、QRIOに対して我々が持つイメージって変わってしまいます。

元に戻して、普通の抑揚で身振り手振りをまじえながら話すQRIOを見ると、今度はすごく親近感を抱く。

我々は、このQRIOというロボットに「人間」という役割を求めているんだなぁということ実感すると同時に、ソニーの開発者は、技術的なことだけではなく、こういう細かいところまで考えて開発しているのだなぁと感心してしまいました。

さて、我々親も、暗黙に子どもに「子供らしい役割」を暗黙に期待してちゃっていますよね? 

もちろん、私も期待しちゃっているところがあります。

言葉には出さないけれども、なんとはなしに、
「こうあるべきだ」
「こうあって欲しい」
というような願望なり期待は持っています。

それは、子を持つ親なら、誰もがそうでしょう。

しかし、子供って敏感だから、そういうことって、簡単に気づいちゃうんですよね。

なぜならば、赤ん坊の頃から、自分の生命維持に必要な情報のほとんどが、親の一挙一動や表情ですから。

親の機嫌や気分を察知するのは、子供にとっては、自身の生命にかかわることでもあるのです。

だから、ある程度の年齢になって知恵がついてくると、親の望む、親が暗黙に求めている「子供像」を無意識に演じることがあります。

私もそうでしたから、それはよく分かります。

だから、子供の無邪気なリアクションや、子供っぽい幼稚な振る舞いのすべてが、子供の本音だとは限らない。

このことを念頭に入れて子供と接していないと、将来、「うちの子に限ってそんなこと…。うちの子供は、とってもイイ子なんです」と先生や警察に言うハメになりかねない。

QRIOのショーを見て、そんなことを考えていました。

お、今日は、タイマーを間違えてセッティングしてしまった。
今、ちょうど、20分のアラームが。
本日はここまで!

記:2005/08/08

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