根拠なき自信と正しいセルフイメージ

   

「根拠なき」自信・「根拠のある」自信

よく「根拠なき自信」といいますよね。

私も若い頃は「根拠なき自信」のカタマリでしたし、先日会った就活生も、最終面接で「自分には根拠のない自信があります」と力強く主張したら内定が決まったと言っていました。

彼は某カード会社の営業部門に内定したようなのですが、やっぱり営業マンには根拠なき自信は必要なのかもしれませんね。

しかし、根拠なき自信を持つことも大事だけれども、「根拠のある自信」も少しずつ作っていく必要もあるんじゃないかと常々思っています。

というのも、セルフイメージとパブリックイメージが、あまりにも乖離している人って、傍から見ると、かなり痛い人に見えませんか?

どう見てもそうには見えないのに、飲み屋とかで、俺は世界一の大金持ちになれる人間だとか、俺が「その気」になったらあんな会社の一つや二つ……みたいなことを言っている人って時々いますよね?

もしかしたら、本当にそのようなポテンシャルや実力を持っているのかもしれませんが、まあだいたいは第三者が感じるその人のイメージと中身は一致していることが多いものです。

本当は大富豪なんだけれども、趣味でホームレスをやっている人もいるのかもしれませんが(『夜王』みたいにマンガチックだな……)、そういうマンガ的な例外を除けば、まあ、だいたいは路上で生活している人がいれば、多くの人は「この人ホームレスなんだな」と思うはずです。

それと同じくらい、その人が発しているオーラやイメージと、中身って一致することが多いものです。

なのに、「俺ってすげぇ」「将来はすげぇ」と思っているだけの人は、年を取るごとにだんだんと「ザンネン化」していきます。

そうならないためには?

もう、これは自信の根拠、裏付けを積み上げていくことが、いちばん気楽で手っ取り早くて確実な方法だと思います。

べつに宗教や瞑想やドラッグやセミナーなどに頼る必要はありません。

「積み上げ」というのは、言語化、あるいは数値化できる実績です。

たとえば、資格でも良いでしょうし、仕事の実績でも、趣味でも構いません。

個人的には「見返りを期待する資格マニア」になることは推奨しませんが、それでも、英検準1級やビジネス実務法務検定2級を持っていたとしたら、それは厳然とした事実なので、「私は英検を持っている」とか「検定2級を持っている」と言語化出来るということは、事実と心をイコールで結べる等身大のセルフイメージです。誰からも「いや、それは違う!」とは言われません。

この誰もが否定しようもない事実を積み上げていくだけでも、とりあえずは、「自分は何の取り得もない根無し草のようなダメダメ人間なのだ」というマイナスイメージのカタマリのような人間にはならないと思います。

要するに、言語化、数値化できるものを持っているか、否か、です。

これを持っていれば、「今の自分は、まだまだだとは思うけれども、とりあえずは、これとこれとこれはやった」という立ち居地を確認することが出来るため、必要以上な自己嫌悪感に苛まされる可能性は低くなるはずです。

たとえば、私はこの20年間で複数のブログ(最初はホームページでしたが)の記事を、大小合わせて合計1万記事前後は書いています。

だから、「俺って凄いだろ」ではなく、淡々とした事実として「自分は1万記事近く自分は書いた」と思っているだけです。

「凄い」とか「凄くない」とか「そんなの普通」などと評価するのは、あくまで第三者で私ではありません。

ちなみに私自身は、このことに関してはまったく「凄い」とは思ってません。なぜなら「目指して」得た数字ではなく、「頑張って」たどり着いたこと状態もないので。

しかし、まあ20年間続けてれば、けっこうな数にはなるもんだよね、チリも積もれば山となるという言葉は本当なのだ、という静かな確信はあります。

これが私の自信とまではいきませんが、自分自身に関しての等身大なセルフイメージの一つではあると思います。

こういうものをいくつか持っていれば、少なくとも誇大妄想狂だとは他人からは思われませんし、大言壮語を吐くわりには何もできないミジメな人間であると自分を責めることもなくなるでしょう。

40歳を過ぎて「自分はこの世になんの爪痕も残せなかったから死にたい」と言っていた人がいましたが、少なくとも、そういう類の人種になることは回避することが出来るはずです。

>>生きた痕跡を残してないから「死にたい」と彼は言った

つまり、言語化、数値化できることを積み上げて、正しいセルフイメージを持つことは、自分の心が崩壊することを防ぐための「守り」にもつながるのです。

もっとも、「俺は●●の資格を持っている」とか、「俺は3千個の●●を持っている」というように、対外的に主張したり、振りかざしたりすることは、下品な行為だと思いますので、必要以上に口外することは避けたほうがよろしいかと思いますが、あくまで自分の内なる芯として持っていれば良いのではないかと思います。

そして、「正しいセルフイメージ」が「守り」だとすれば、「根拠なき自信」は、心の起爆剤としても活用できる「攻め」の未来イメージだと思います。

この「守りのセルフイメージ」と「攻めのセルフイメージ」を両輪に、楽しく充実した人生を送りたいものですね。

記:2020/03/19

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