「宇多田」と「だんご」
2018/01/24
モノが売れなくなった、不況だと言われるようになって久しい。
ところが、「宇多田ヒカル」と「だんご3兄弟」は猛烈な勢いで売れている。
ヒットチャートのチェックはしていないので、何百万枚売れたのかは分からないのだが、とにかく過去の記録を塗り替える勢いだとか。
雑誌や新聞では「宇多田」「だんご」の単語にお目にかかれない日は殆どないと言っても良いくらいだ('99年5月上旬現在)。
テレビや雑誌上で識者や評論家らがヒットの秘密を分析したりコメントをしたりしている。彼らの分析に対しての私の感想は、心霊写真集やノストラダムスの予言解釈本の読後感と同じで、「まあ言われてみればそうだねー、そう言う風に取れなくもないねえ」って感じなんだけど。
『だんご3兄弟』も『泳げ!たいやき君』も食い物の歌だ。基本的に人間誰しもが持つ関心ごとは食い物だから老若男女問わずに興味を引き付けられる。
『だんご』も『たいやき』もマイナー調だ。『くろねこのタンゴ』も『だんご3兄弟』もタンゴ調だ(つまりマイナー)。日本人はマイナー好きなので昔からタンゴに馴染みがあった。
世の中不況だから、時代は「宇多田ヒカル」のような女神(ミューズ)を求めている。アメリカン・スクールに通い、将来はコロンビア大学に進学を希望している才女だという話題性。藤圭子の娘で親父さんがプロデュースしていることからも分かるように、幼少時から音楽環境に恵まれていた、つまり音楽的素養がある。
…などなど、上記のような意見が多い。
言われてみればナルホドね、と分かったような気分にはなるから、まぁ当たらずしも遠からずなのだろう。
ただし、過去の記録を塗り替えるほどのヒットとなった理由としては、説得力に乏しい気もする。
だってそうでしょ?食い物の歌をマイナー調で、芸能人を親に持つアメリカンスクール通っているお嬢さんが歌えば記録を塗り替えるほどの大ヒットになるのか?
そこそこヒットするのと、記録を塗り替えるヒットとは別次元の話だ。
かく言う私自身、『だんご3兄弟』も宇多田ヒカルも当然のことながら何度か聴く機会があったので、感想を述べておく。
まずは「だんご」。
歌詞というよりは、ちょっとお遊びの入った広告コピー的な発想が面白いなとは思いつつも、メロディーもアレンジもどちらかと言うとチープな部類に属していると思うし、このチープさというのは半ば意図された遊び心によるものではないのか、と穿った見方も可能。どちらかと言うと通が内輪受けを狙ったお遊び的要素が強いような気がした。
こんなにヒットして驚いているのは実は作った当人たちなのではないのだろうか。
宇多田ヒカルの《Automatic》。
まず歌がうまい思った。
ただし、年齢の割には、という条件付きでだ。
彼女は16歳だという予備知識があったので、どうしても同世代の「SPEED」なんかと比較して聴いた結果「うまい」「落ち着いている」というだけの話しなんだけど。
歌詞とメロディは全くこちらの心には届かない。ただし、バックの「シーショコ、シーショコ」したリズムと、懐かしのミニム-グを彷佛させるアナログ・シンセライクなリード音が気持ちよく、これは「歌」としてよりも「サウンド」で聴れば心地良い音楽だなと思った。
ただし、アルバム『ファースト・ラヴ』を最初から最後まで聴き通すまではかなりの忍耐が強いられるが。歌い方もアレンジも一本調子なのだ。
以上、あくまで私感です。
いずれにしろ、私ごときがどう感じようが、売れているもんは売れている。
何故なのかを私なりの考えを述べていこうと思う。
私の関心は、「モノが売れない」と言われている時代に、何故ここまで爆発的に売れているのかという一点に尽きる。
上に述べた評論家たちの考えも当然あるだろう。
しかし、それは「マイナー」「題材」「歌がうまい」といった要素は、送り手側の技術論だ。
私は技術論だけでは、到底ここまでのヒットには及ばないと思う。
「技術的」に「うまい」音楽なんて他にも星の数ほどあるんだから。
また、他の人はどう感じているのかは知らないが、少なくとも音楽の力ではないと思うし、音楽ごときの力だけでは到底これほどまでマスを動かすことは出来ないと思う。ちょと寂しい話だけど。
私なりの結論はこうだ。
一言、
「不況だから。」
……ガクッときたあなた、スイマセン。説明しますです。
CDショップに行くと、ひと昔前に比べるとタイトルの充実ぶりにいつも驚いてしまう。私は主にジャズのCDを買うことが多いのだが、「幻の名盤」「稀少盤」と呼ばれていたアルバムがどんどんCD化されている。
また昔のアイドルの歌、アルバムには収録されていなかったシングルカット曲などを編集したものも出回っているし、再発も多い。
個人的趣味だが民俗音楽のCDなんかもシリーズですごく充実しているので嬉しい。駅前の露店なんかでは、ヒット曲や有名曲だけを集めた安価なCDが売られている。
つまり、ソフトの選択肢は昔よりもはるかに多いのだ。だからリスナーは「自分の好きなジャンル」「自分の好きなCD」を豊富な選択肢の中から選んで買うから、普通なら売れ行きが分散してヒットアルバムは出にくい状態になるのではないかと思っていた。
ところが事態は逆で、選択肢の広さに反比例した一極集中現象。
これはどうしたことだろう?
結論からいうと、お金がないからなのだ。
消費者がCD購買につぎ込めるお金のパーセンテージが減ったのだ。
昔だったら、1ヵ月に3枚買っていたところを、せいぜい1枚しか買えないような経済事情になったらどうだろう。やはり話題のアルバム、周囲が良いと言っているCDに手が伸びるのでは?
内容の善し悪しも分からないアルバムを、一か八かの掛けで買うぐらいなら、
1、周囲が良いと認めている安心感。
2、「聴いた」という事実を周囲と共有出来る。
3、流行を一応追いかけている。
4、話しのタネに出来る。
という付加価値付きのコストパーの高い商品を選んでしまうのが人の常というものだろう。
もちろん、音楽好きなら、それでも自分がヒイキにしているミュージシャンや、興味のあるCDを買うことだろう。
しかし、皆が皆、音楽ファンという訳ではない。
むしろ、重要なのは「音楽ファン」以外の浮動票にどうアピールするかが、ベストセラーの大台に乗せるか乗せないかの最大の課題だといっても過言ではない。
これは書籍にも言えることで、ベストセラーになる本は、普段本を読んでいない人間も買うからベストセラーになるのだ。逆に言えば本好き以外の人間に買ってもらわなければベストセラーにはならない。
最近では『五体不満足』が良い例かもしれない。
良い本には違いないが、NHKや民放で取り上げられなければ、あそこまで売れたかどうか。
少し前の『ソフィーの世界』や『知の技法』。この2册も人文・哲学の本でありながら驚異的な売れ方をした。しかし最後まで読んだ人間は圧倒的に少ないと聞く。
いわゆる、本棚のコヤシ本だ。
我々は「話題」と「旬」をレジに持っていき、「安心感」を購入しているのだ。
「だんご」も「宇多田」もこのようにして「安心感」として消費されていったのではないのか?あれだけのメディアの露出量だ。聴いてない自分だけが周囲から取り残されているんじゃないか、という疎外感を感じる人だって多いだろう。
二匹目のドジョウを狙った「元祖だんご4兄弟(?)」「急須3兄弟」なる歌が続々と生まれてワイドショーやスポーツ新聞などで紹介されたりしているが、オリジナルの「だんご3兄弟」の価値を高めるだけで(つまりエピゴーネンがあらわれる程すごい歌だと認識される)、ますますブームに拍車がかかるという寸法だ。だって関節的には「だんご3兄弟」の宣伝をしているようなもんだもん。
宇多田ヒカルの場合も露出を抑えるだけ抑えて、マスコミとファンの飢餓感を煽り、渋谷のタワーレコード店頭での公開DJと大阪&東京で行ったライブぐらいしか公衆の面前に姿をあらわしていない(99年5月現在)。
この数少ない機会を逃さず、最大限にメディアは流すので、物凄いパブリシティ効果となる。そしてますますブームに拍車がかかる。
つまり、半ば偶然、半ば意図的なメディア露出の連続が、お財布の中の使い道の限られた購買層にうまくアピールできた結果なのだろう。
え?お財布の中の使い道が少なくなった理由?
簡単じゃないですか。携帯電話を始めとした通話料ですよ。
通話料はものすごく消費を圧迫している。使う人は平気で数万も使う。
5年前は誰もこんなものにお金を使っていなかったはずだ。ところが毎月コンスタントなペースで大きな消費が通話料金に流れてしまっている。
月々1万円としても、年で12万円。5年で60万も払う計算となるわけだ。そりゃ消費の選択肢は絞られますがな。
限られたお金の使用選択肢は、結局周囲と同じモノ。
娯楽も情報も同じものを共有して安心している。
もし俺が王様や将軍様や大名だったら、こんなにシビリアンコントロールしやすい国民はいないな、と手を叩いて喜んでいることでしょう。
記:1999/05/09
追記
6月16日の読売新聞朝刊に、市川森一、柏木博、香山リカによる「メガヒット現象どう読む」の対談が掲載されていた。
「タイタニック」「だんご3兄弟」「宇多田ヒカル」「五体不満足」の4つをキーワードに各人が「メガヒットはあっても中小のヒットが無い現状」に対して様々な考察を試みていた。
興味深く読んだのは言うまでもない。
要約すると、
~市川~ (宇多田の歌も含めて)ノスタルジア。時代の先が見えないので、郷愁を求める心理が働く。
環境の平均化と個性の喪失、家族の崩壊&伝統の否定、ゆえに青少年は教化されやすいので、流行モノに一挙になだれ込む。
~柏木~
意識がバラバラな時代に共有感覚・繋がりを求める心理。
90年代のマーケットの特徴は、自分の好みに合わせた消費ではなく、皆に合わせて買うという方向に動いている。、
~香山~
皆が「売れるモノが良くて、売れないものはダメ」と思うようになった。
メディア側の戦略が巧妙。自分の意志で選んでいると見せかけて、実は皆と同じものを選択するように仕向けている。
最後に市川氏が「突然のメガヒットが生まれ、あとは拒否されるという現象は私たちの意識や気分を容易に操作できる土壌に通じる懸念もある」と結んでいるが、私も最後に「シビリアンコントロールしやすい国民」という言葉で結んでいる通り、正にその通りだと思う。
記:1999/06/23