ジパング/ピンク・レディ
『週刊モーニング』に連載されている、かわぐちかいじの《ジパング》ではない。
ここでは、ピンク・レディの《ジパング》だ。
私が小学生の頃、ピンク・レディは、社会現象と呼んでも差し支えがないほどの大ブームだった。
《モンスター》、《UFO》、《透明人間》、「カメレオン・アーミー》などといった曲を発表するたびに、次々とヒットを飛ばしていたピンクレディ。クラスの話題は、いつもピンクレディのことで持ちきりで、男子生徒も「ミー派」と「ケイ派」に分かれて論争(?)を繰り返しているほどだった。
しかし、どういうわけか、当時の私は、ピンク・レディの歌にも、さらにはルックスや衣装にもあまりピンとこなかったし、決して嫌いとまではいかないにしろ、あまり馴染めなかった。
この時からなんとなく漠然と感じていた違和感。
言葉を持たぬ当時の私には、この感覚をうまく表現する術が無かったが、今になって考えてみれば、それは、一生懸命過ぎるほど「キッチュさ」を演じようとしている姿に息苦しさを感じていたのだと思う。
「人気のために無理してる」とまでは言わないが、初期の森高千里が脚線美と、コスプレ路線ばかりを強調するステージ演出を繰り返させられていたのと同様な、「これで売りだそう!」「ここのところを思いっきり強調しよう」という意図からの「一点過剰演出主義」の強烈な匂い。
もちろん、一点の過剰演出に関しては、それはそれで別に全然構わないとは思う。実際、その後に登場したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のテクノカットや、人民服のあざとい演出の虜に私はなっていたのだから。
要は、好みの問題なだけの話しなのだが、人気絶頂時のピンク・レディは、衣装やふりつけなどの演出が過剰になればなるほど、安っぽさと下世話っぽさが露骨に浮き彫りになり、手品のタネが分かった瞬間のシラケた気分になっていたのだと思う。
とくに、ピンク・レディの歌のテーマは、怪物ネタやオカルトネタという大袈裟なものが多かっただけに、演出のタネやキーワードが分かりやすく、なんとなく「種」や「シカケ」のようなものが見えてしまった時点で、「素直に夢中になってあげるわけにはいかないな」などと思っていた私は、カワイクない小学生だったのだ。
他の人たちは、そんなことは先刻承知の上で、上手に騙されてあげていたのだろうが、その当時から、私は野暮な「騙され下手」だったのだ。
私の「上手に騙されてあげることの出来ない石頭」っぷりは、現在でも、モーニング娘。に熱中している30代以上のサラリーマンなどを見るにつけ、大人になった今でも続いているのだなと思う。
彼らのほとんどは、本気で彼女らに惚れているわけではないし、ただ、ちっちゃい女の子たちに、ちょっとしたお小遣いをあげる程度の感覚でCDや関連グッズを買っているにすぎないわけで、そういう人たちは、「遊ばれてあげる」のが上手なんだなと思うし、この割り切った「遊び・遊ばれ心」は、私の中には無いものだと思う。
実際、キャバクラやバーのようなところで、若い女の子と他愛もないお喋りを楽しめるという感覚が私には欠如していると思うし、どうも「魂胆は分かっているんだけど、それを承知で遊ばれてあげる・騙されてあげる・そして、その状態を余裕を持って楽しむ」というセンスが備わっていないのかもしれない。
モーニング娘。が好きなお父さんたちも、そして、当時の私の周囲のピンク・レディのファンたちも、積極的にブームを「祭り」だと割り切って、楽しく「モーニング祭り」や「ピンク・レディ祭り」に参加して、嘘の中を上手に楽しんでいたのだろう。
余談はさておき、とにもかくにもそんな思いも手伝って、ピンク・レディのヒット曲を素直に楽しめなかった私だった。
やがて彼女らは、「海外進出」ということで、しばらく日本を離れたことが理由なのか、それとも既に世間からは飽きられた存在になってしまったのか、人気が低迷するようになる。
ピンク・レディの「ピ」の字も周囲の話題には登らなくなり、ゴダイゴの《モンキー・マジック》や《ガンダーラ》、堀内孝雄の《君の瞳は1万ボルト》などの歌が流行していた時分のある日、ふとラジオのスイッチを入れた私。
音楽番組だった。
DJが、「まだまだ元気!次の曲は、ピンク・レディの新曲です。タイトルは“ジパング”」といったような喋りに被さるような感じで流れてきた曲が《ジパング》だった。
速めのテンポにのって、せわしないメロディを軽快に歌ってゆく彼女らの歌声からは、いままでのヒット曲とはかなり違う印象を受けた。
なんだか、肩の力が抜けた感じ、自然で無理をしていない感じというべきか。
たまたまラジカセの中には空のテープが入っていたので、思わず録音ボタンを押した。
この曲の、明るくて軽やかな雰囲気が気に入ったので、途中からの録音だったが、録音したテープは、その後何度も聴きかえした。
この曲との出会いは、ビジュアル抜きの、音のみだったことが良かったのかもしれない。もしかしたら仰々しい衣装で歌っていたのかもしれないが、音楽の良し悪しを判断する以前に植え付けられてしまう可能性の高い余剰物抜きで、音そのものだけに接することが出来たのだから。
この曲は、どんどんメロディが忙しく展開してゆく。メロディの調子が次々と小気味良く変わってゆき、一体どこまで曲が発展していっちゃうんだろう?と思うぐらいのスリルに溢れた構造になっている。
♪ジパング、ジパング、信じなさい
このサビは、キャッチー過ぎて、ありふれたメロディなのだが、この後にさらに展開される
♪アイラーンド、アイラーンド、ミラクル・アーイランド
のところが、この曲の肝だと思う。
歌詞そのものには、取り立てて惹かれる要素はないが、とにかくこの曲の良さは、ノリの良いリズムと、キャッチーなメロディが惜しげもなくぶち込まれた贅沢さだと私は思うし、実際、楽しんでいた。
いや、いまでも楽しんでいる。
『ピンク・レディ全曲集』という、『飛べ!孫悟空』というドリフの人形を模した人形劇のテーマソングから、当時のCMで歌った曲まで、ピンク・レディが活動中に歌ったすべての曲を収録した贅沢な編集のCDが家にあるのだが、いつも決まってかける曲は「ジパング」なのだ。
カラオケでもよく歌っていた。
札幌へ行くと、必ず一緒にカラオケをする女性がいるのだが、彼女はとてもハモリが上手く、私が「ジパング」を歌うたびに、気持ち良いハモリを入れてくれた。
「くれた」と、過去形で書いたのは、最近はこの歌がカラオケにないから。
そう、「ジパング」はとても歌いやすいし、ノリも良いので、カラオケ向きの曲だと密かに思っていたのだが、最近は、古い曲として削除されてしまったのか、「ジパング」の入っているカラオケには、とんとお目にかかっていない。
これは、とても由々しき事態だと思う(←大袈裟)。
記:2002/04/07
追記
あれから、妙に「ジパング」を歌いたくなったので、何軒かカラオケ屋を巡ったが、「スーパー・ジョイサウンド」には、「ジパング」があった(嬉)。
記:2002/04/10