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ジャズと映画と本の日々:高野雲

ドイツ的残業なしの社会を実現するには?~『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』

   

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5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人 ドイツに27年住んでわかった 定時に帰る仕事術 (SB新書)

有能なドイツ人、無能な日本人?

タイトルの『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』と、帯に書いてある「なぜドイツは1年の4割働かなくても経済が絶好調なのか?」というキャッチコピー。

そして、表紙に描かれている颯爽と帰宅するイケメンドイツ人と、ため息をつきながらパソコンと睨めっこしているメガネ日本人ビジネスマンのイラストを見れば、「ドイツ人⇒有能、日本人⇒無能」なのではないかと錯覚してしまう。

また、本書に書かれている「ドイツでは残業するビジネスマンは無能」というフレーズからも、ますます、「どうせ日本人は無能で要領悪いですよ~だ」と悪態の一つでもつきたくなってしまうものだ。



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問題は個人の能力ではなく社会のシステム

しかし、本書を読み進めればわかるが、決して就労時間の多寡は、必ずしも国民一人ひとりの能力によるものではなく、結局は社会システムの問題なのだということが分かってくる。

最近だと、電通の新入社員・高橋まつりさんの時間外労働による過労自殺が大きな社会問題となり、この事件については本書でも言及されてはいるが、たしかにこの一件は日本人の労働時間を見直し、考える一つの大きな契機となったことは確かだ。

しかし、時折テレビで見かける「時短コンサルタント」のような人は、仕事の質や内容や生産性よりも、とにもかくにも「残業なし・就業時間を短くすること」を目的としているきらいがあり、単に会社にいる時間を短くすることだけをゴールにしてしまうと、結局のところ「自宅持ち込み残業」が増えてしまうだけで、本質的な解決にはつながらないのではないだろうか。

職場街残業

実際、この本の著者も職場で仕事が出来ず、社外で「持ち出し」の仕事をすることで、かえって大変な目に遭っている。

この本の著者・熊谷徹氏はかつてNHKの記者だったそうだ。

『NHKスペシャル』の制作に参加した際、NHKの労働組合がストライキに突入し、放送センターの編集室が使えなくなってしまったが、夜間の残業なしに番組を完成させることは出来ない。
しかたなくホテルの一室にスタッフたちが缶詰になって、煙草の煙がこもる狭い室内で、皆、不健康な顔をしながら、なんとか番組の編集を仕上げたのだという。そして、この編集作業に携わったスタッフのうち2人は既に鬼籍に入っているとのこと。

このように、社内で仕事が出来なくなる状況の中、それでも締め切り(納期)まで仕事をせねばならない会社員は、どうしても社外で仕事をしなければならない。

しかし、社内で仕事をすればスムースに行くものも、外で作業をすると、かえって効率が悪くなってしまい、時には健康を害し寿命を縮めてしまう可能性すらあることは著者自身も経験していることだ。

となると、社員を社屋から追い出すように「早く帰す」風潮を生み出すだけではなく、「社外で仕事を終えた上で早く帰す」システムを構築しなければならないわけだ。

ドイツ社会の徹底ぶり

結局のところ、日本人の残業を減らし、就労時間を減らすことを本気に考えるのであれば、法制度を根本から変えるしかないのだということが、逆にこの本を読めば明らかになる。

ドイツだって、厳しい法規制があるからこそ、ドイツ人はその中で仕事の段取りやシステムを工夫しているわけで。

いや、工夫というよりは徹底している。

休日中も取引先から社内に届いたメールを外からはブロックして見れない会社もあるというほどの徹底ぶり。

このような徹底したドイツの時短労働の背景にはどのようなシステムや工夫が施されているのかが紹介されているのが本書だ。

もちろん、著者自身も語っているが、「ドイツはこうだから、日本もドイツを見習ってそっくりそのまま真似をしましょう」というわけではない。

ただ、「時短」「残業無し」を実現させ持続させるためには、ここまで徹底した工夫やシステムの構築が必要なのだということが、本書を読めばよく分かることだろう。

民間レベルの意識改革では無理

おそらく根本的に日本の就労時間を短くするのであれば、「任意」とか「自主性に任せる」といった緩い規制では無理だろう。

たとえば、極端な例だが、コンビニエンスストアの「セブンイレブン」が自主的に「本来の7時から11時までの営業時間に戻そう」と、24時間営業をやめたとしても、ライバルの「ファミリーマート」や「LAWSON」が相変わらず24時間営業を続けていれば、セブンの「ひとり負け」になってしまうわけで、同業種かつ競合するライバルとの熾烈な競争を考えれば、一斉に新しい規制を施行するしかない。

現在の日本は、「電通事件」を契機に、少しずつ就労時間の見直しをはかる会社も増えてきてはいるものの、各社が「自主的に」だけでは手ぬるいだろう。

やはり、本当に根底から日本人の生活をドイツのように「時短労働で余暇を楽しむ人間らしい生活をしつつも経済成長」という状況を目指すのであれば、国が真剣に法改正と施行を徹底させるしかない。

国民意識を大きく左右する「言葉」

この本の中で「目からうろこ」だったのは、ドイツ語には「頑張る」という単語がないということだ。

なるほどな~と思った。

人は想像以上に言葉によって行動が規定されているからだ。

あるヴァイオリン弾きの学生から聞いた話だが、演奏活動で海外で各国からやってきたヴァイオリン弾きと楽屋でコミュニケーションをはかっていた際、欧米には「肩こり」という言葉がないということに気が付いたとのこと。

ジェスチャーで、ヴァイオリンを弾いていると肩や背中が痛くなるということを示し、「カタコリ」という言葉を教えたところ、他の国々のヴァイオリン弾きたちは一斉に「Oh,カタコ~リ!」といって、自分の肩を揉みだしたというのだ。

つまり、新しい言葉によって新しい概念がインプットされた瞬間から身体感覚が変わった(言葉によって無自覚だった肩こりに対しての自覚が生まれた)というエピソードだが、「頑張る」という言葉がないこと自体、そもそも「仕事を頑張ろう」という気持ちが生まれないわけで、なるほど、ドイツ人と日本人の仕事に対する考え方も、言葉の違いでずいぶんと認識が違ってくるものだなと思った。

ドイツには「忖度」という言葉もない

ちなみにドイツには「忖度」という言葉もないそうだ。
「忖度」という言葉がないということは、「忖度する」という概念もないわけだ。

さらに、日本人は「サービス」という言葉が好き、というか、いかにサービスが充実しているかを競う傾向にあるが、ドイツ人は「サービス」という言葉は、人に仕える召使いがすることだと認識しめいるため、自分からサービスをすることを良いことだとは思っていない。
召使いがご主人様にご奉仕する「サービス」という行為は、当然、無料ではなく、対価が発生して(チップなど)得るもの、するものだと思っているそうだ。

言葉のバリエーションや、解釈が国民性を形作る大きな要因なのだ。

いっそのこと、「オモテナシ」や「勿体ない」という日本語が世界中に知れ渡ったように、「忖度」や「滅私奉公」、「一所懸命」という言葉と概念をドイツに輸出してみたら? などと、どうでもいいことまで考えてしまった。

いずれにしても、様々なことを考えるキッカケとなる本ではある。

記:2017/11/21

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