カフェモンマルトル

text:高野雲

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ダイエット考

      2016/03/07

ichigopan

私は、痩せている上に、喰っても太らない体質なので、ダイエットをする人の気持ちがよくわからない。

これ以上痩せる必要なんてないんじゃないかと思われる体型の人まで「もっと痩せなくちゃ」と目を血走らせているのを見ると、なぜ?と思わざるを得ない。

まぁ人それぞれ事情や理由があるのだろうけれども。

でも、その理由って何だ?

まず最初に思い付いたのは、単なる数字遊びなのかな?、ということ。

ちょうど「ドラクエ」のようなロールプレイングゲームの主人公の「経験値」のように。

ゲームの主人公は、敵と戦うたびに、少しずつ経験値を増やしてゆく。そして経験値が増えれば増えるほど強くなる。

数字というのは便利なもので、「偏差値」のように人と自分を比較する上での格好の基準となる。

数字の多い少ないで、優越感を感じたり劣等感を抱いたりすることも多い。

もちろん数字だけがすべてではないし、数字だけで能力を計測することは不可能だ。

恐らくそんなことぐらいは誰もが分かっていることだと思う。

しかし、不思議なもので、そうはいってもやはり数字が大きい(あるいは小さい)方が良いにこしたことはない、と思うのも人情。

この心情が極端になると、本末転倒な数字そのものが努力目標となってしまうのだろう。

現に「ドラ・クエ」。

ゲームの進行そのものよりも、モンスターを一匹でも多く倒して経験値を上げることを目標にしてしまっているゲ-マ-もいたくらいなのだから。

相手よりも1キロ軽い、3キロ体重が減った、確かに数字の高低は人の気分を左右するに充分な不思議が魔力を持っているのかもしれない。

しかし、たとえば5キロの減量を目標にしている人が、5キロ痩せることに成功したとしたら、その先には何があるのだろう?

満足感?達成感?充実感?

それだけ?それで終わり?

たしかに「私、3ヶ月の間に5キロ痩せたの」と話す人の声は誇らしげだ。

言外に「頑張った私を褒めてね、エライでしょう?」という雰囲気が漂う。たいがい周囲のリアクションは、「へぇ、すごいじゃん。よく頑張ったね」と、本心はどうだか知らないが、とりあえずは努力を讃える反応なので、褒められた本人もまんざらな気分ではないのだろう。

しかし、友人に褒められて、自尊心が満たされて、それでオシマイなのかな。

まさか友人に褒められて嬉しい気持ちになるためでけに、食べたいケーキやお菓子を我慢するわけでもあるまい。

また、雑誌の誇大広告のように、痩せたとたんに異性からモテはじめるなんてことは嘘っぱちだということに気がついていないとも思えない。

おそらく「異性にモテる」ということは、彼女たちにとってはあくまで「あわよくば」の世界で、ダイエットが成功したあかつきの副産物的なものなのだろう。

では、彼女たちは減量後の「その先」に何を見据えてダイエットに励むのか?

もっとも、ダイエットは手段ではなく、ダイエットそのものが目的なのだと答える女性もいるのかもしれないが……。

と、ここまで書いて一つ気がついた。

「服」。

痩せなきゃ着れない服がある。痩せていないと似合わない服もある。

そうだ、彼女たちは着たい服にあわせるために自らの身体をカスタマイズしようとしているのだ。

確かに昨今の女性向けの服のサイズは小さめだ。

これは、『ウィメンズ・クオータリ-』という雑誌で、ミ-ガン・グードンという女性ライターが唱えた説なのだが、どうやら女性の体重と体型へのコダワリは、「女性解放」と関係があるらしい。

経済的、政治的に女性が力をつければつけるほどに、女性の服はかさばらなくなてきている。つまり体型を隠してくれなくなる。

コルセットの時代の女性は、細いウエストに大きく脹らんだスカートが体型を隠してくれたので、中の脚が太かろうがO脚だろうが誰も気にしない。当の本人も脚の太い細いなどあまり意識しなかったにちがいない。

ところが、参政権を求めてデモ行進を始めたあたりから、スカートがズボンに変化。

さらに、フェミニズム運動とともにピチピチとしたジ-ンズを履くようになり、ブラジャーまで燃やしてしまったので、体型を隠すものが無くなってしまった。

あら大変。

体型を覆い隠すものがなくなってきた以上、自分を「見せる」要素の割合と関心が「服」だけではなく、己の「カラダそのもの」に移行したのだろう。

逆にいえば良い服を着るだけじゃダメなんだ、もっと自分自身を鍛えなくちゃいけないんだ、という意識と緊張感を常に持たざるを得なくなった。

これはとても良いことなんじゃないだろうか。

もっとも日本の女性の大半は、フェミニズム運動や女権に関しての関心や意識が高いとは到底思えない。

おおかたファッションモデルや映画に登場する女優のルックスに憧れて、あるいは周囲に対する優越感の獲得といった他愛もない動機が出発点なのだろうと思う。

しかし、それでも良いではないか。

理由や動機はどうであれ、目標を設定して、実現に向かって邁進する女性はカッコいい。

片岡義男も昔、何かのエッセイに書いていた。

女性がもっともセクシーなのは、アイディアを思いつき、それを実現しようと能動的になった瞬間だ、というようなことを。

アグレッシブなぐらい能動的な女性の方がカッコいい。少なくともノンベンダラリと緊張感に欠けた日々を送る女性よりは。

まぁ、これは私の好みだが。

ダイエット?そんなこと無意味よ、したってどうせ同じだもん、と開き直ったり、最初から努力を放棄している女性はカワイくない。

まだ、ダイエットする必要などさらさらない体型にも関わらず、「ああ、もっと痩せなくちゃ」と呟いている女性の方がまだカワイげがある。

まぁ、これも私の好みだが……。

好み、といえば、私は太めより細めの方が好みだ。まぁ私の好みを書いたってしょーがないか。

そういうわけで、ダイエットしたい女性達よ、ダイエットしたければ、どんどん励みなさい。

いや、励んでちょーだいね。苦しいかもしれないけれども、頑張っているアナタの姿はきっと魅力的に映ることでしょう(少なくとも私には)。

ただし、無理や極端な方向に走ってくれぐれもカラダを壊さないようにね。

そして、ダイエットの実現だけで満足&消耗したりせずに、「ダイエット後の、その先」のビジョンもしっかり持ってもらえると、カッコ良さ度に磨きがかかることと思う。

カッコ良さといっても、それはあくまで私の好みだが。

なんか、さっきからこればっかりだな……。

記:2001/11/18

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