雑想 2000年6月
2024/11/11
プリンス ジョイ・イン・レペティション
プリンスの『グラフィティ・ブリッジ』収録の《ジョイ・イン・レペティション》。
曲後半の「情念の」ギターソロがなかなかグー。
マイルス 黄金のクインテット
マイルス・デイヴィスの黄金のクインテットのメンバーといえば、言わずとしれた以下のジャズマンたちによる編成だ。
テナーサックス⇒ジョン・コルトレーン
ピアノ⇒レッド・ガーランド
ベース⇒ポール・チェンバース
ドラムス⇒フィリー・ジョー・ジョーンズ
ところが、当初マイルスは、上記メンバーでの結成を考えてはいなかった。
ベースのチェンバースは、マクリーンの紹介で雇ったものの、残りの3人は、ある意味「仕方ないから、この人たちを雇った」というような成り行きに近いものがある。
まず、テナーサックスのコルトレーンだったが、マイルスはソニー・ロリンズを使うことを考えていた。
ピアノもアーマッド・ジャマルの起用を考えていたし、ドラムスもジミー・コブを使いたかった。
つまり、
テナーサックス⇒ソニー・ロリンズ
ピアノ⇒レッド・ガーランド
ベース⇒ポール・チェンバース
ドラムス⇒ジミー・コブ
というのが、当初のマイルスが頭の中に描いていた編成だったのだ。
しかし、それぞれのジャズマンたちは、もろもろの事情で参加できなかったり、参加そ固辞したりで、結局のところ、コルトレーン、ガーランド、フィリージョーという布陣で固まったのだ。
結果オーライというわけではないのかもしれないが、結局のところ静と同のダイナミクスのギャップが功を奏したのか、この面子での活動は大成功を収めている。
とはいえ、もし、ロリンズ、ジャマル、コブを擁したクインテットだったら、どんな演奏を聞かせてくれたのだろうかという興味もぬぐえない。
もう少しまとまりがあって、落ち着いたハードバップになっていたんだろうな。
エリック・クラプトン
ヤードバーズやクリームの時代から、最近の『アンプラグド』、『チェンジ・ザ・ワールド』まで、一通りエリック・クラプトンの代表作を聴いたのはつい最近のことだ。
ジェームズ・ブラッド・ウルマーやマーク・リボーの「捩れギター」、チャーリー・パットンやブラインド・ウィリー・ジョンソンのボトルネック奏法、マイルスバンドに在籍時のジョン・マクラフリンやピート・コージーなどの個性的でアクの強いギタリストに親しんでいた耳にとっては、分かりやすい教則模範演奏を聴いているような気分だった。
曲自体はメロディアスで、ニクイほどセンスの良い曲が多いのだが、ひとたびギターソロに耳を向けると、フレーズは教科書的で分かり易くちょいと喰い足りないが、ギタリストにとっては、お手本の宝庫なのだろうな、とは思った。
そこに魅力を感じる人も多いのだろうが、どんな時においても破綻が無く、優等生のように几帳面で丁寧な演奏を聴かせるクラプトンのギターは、私にとっては刺激が足りなくてあまり面白いものとは言えない。もちろん、好きな曲、好きな演奏はあるんだけどね。
フィニアス・ニューボーン Jr.
女房が好きだというアルバムの一枚にドラマーのロイ・ヘインズがリーダーの『ウィ・スリー』がある。
ピアノがフィニアス・ニューボーンJr.のトリオ編成で、何の大仕掛けも大上段に構えたところもないアルバムなのだが、とても洒落たフィーリングに溢れていて、私も最近はよく聴くようになった。 私はフィニアス・ニューボーンのピアノは、高音部のタッチがとても美しいと思っているし、圧倒的なテクニシャンと謳われてはいても、ただ単に指が動くだけではなく、「聴かせる」ピアノをきちんと弾くことができる非常にツボの抑え所が巧みなピアニストだと思う。
広く浅く
職業柄そうなっちゃったのか、それとも生来の集中力がなくひとつに留まっていられない気質なのかはわからないが、とのかく、「広く・浅く・たくさん・楽しく」が私の信条だ。
いや、信条というと、常に自分に言い聞かせているようなところもあるので、「そうであろうとしている」わけではなく、天然にそういう自分が生まれたときから現在に至るまで、ここにいるという感じなのかもしれない。
ゴダイゴ
思いがけないところで、昔の古いポップスがかかっていて、「ああ、やっぱりいいなぁ」と感激し、帰宅後改めて聴いてみると、もう納得しちゃっているからあまり感激しないことを、泉昌之の名作『ダンドリくん』では、「お祭りの焼きそばの原理(ウチに持って帰るとおいしくもなんともない)」と分析しているが、なかなか言い得て妙だ。
私の場合、「焼きそばの原理度」を感じてしまうのが、「ゴダイゴ」だ。
カラオケで誰かが歌っているのを聴いて「いやー、懐かしいなぁ、やっぱりいいよなぁ」と感激するが、帰宅して改めて聴きなおしてみると、カラオケで聴いたときほどの感動と興奮がない。
つまり、もう醒めてしまっているという……。
いや、だからといってゴダイゴのこと嫌いなわけじゃなくて、むしろ、大好きなんだけどね、《モンキー・マジック》とか《ガンダーラ》とか《銀河鉄道999》なんか……。
小学生の頃は夢中になって聴いていたものです。
聴くたびに興奮していたもんです。
今聴くとミッキー吉野のシンセの音色なんか、かな~りチープなんだけれども(リードシンセのフレーズも)、いやチープだからこそ脳裏に何十年も焼き付いているのかもしれませんね。
記:2000/06/21
ヴィンテージフェンダー 塗装
ジャコ・パストリアスが使っていたフェンダーのオールド(ヴィンテージ・フェンダー)はボディの塗装がボロボロだった。
カッコいいと思う人もいるだろう。
私もその一人だ。
しかし、現在、楽器屋さんの店頭に並んでいる新品のベースをあのようなボロボロな状態にするのは難しい、というより不可能なんじゃないかと。
もちろん、自分で手を加える(レリック)は別として。
あのような自然の剥がれは最近の楽器では不可能だ。
なぜかというと塗料が違うから。
60年代のギター、ベースに使用されていた塗料と、現在の塗料は違う。
ニトロセルロースラッカー塗装とポリ塗装の違い。
そう、昔のフェンダーは、ニトロセルロースラッカーで塗装されていた。
だから、良い意味で塗装がはがれやすく、あのような風合いを生み出しているのだ。
どの時期からポリ塗装に変化したのかは定かではないが、少なくとも、オーダーメイドをしない限り、店頭にあるベースはほぼすべてがポリ塗装なので、あのような「カッコいい剥がれ方」は期待できないのだ。
狂ったように仕事が忙しいときにはマイルスのアレと阿部のアレ
シゴトが狂ったように押し寄せ、パニック寸前状態にまで追い詰められる時ってしょっちゅうあるよね?
無い人もいるかもしれませんが、私の場合はしょっちゅうです。
「一人でこなせるキャパの限界はとうに超えてるっちゅーの!」な状態が、数年前から標準モードとなっていますから。
で、シゴトが狂ったように押し寄せ、パニック寸前状態にまで追い詰められる時に、マイルスの『ダークメイガス』を聴きながら、ぞわぞわとした高揚感にまで気持ちをスイッチさせるのは、非常に正しい行為だと思う。
それよりも、もっと音楽と一緒に今の自分の状況を、「ぎょわ~!ぎょえ~!」とシンクロさせたいときは、なんといっても、高柳昌行と阿部薫による即興演奏、『集団投射 Mass Projection』が最適でしょう。
凄まじい音源だが、「今のオレだって、今聴こえる音より、もっと凄まじいかもしれないんだぜ!」と、がむしゃらモードで音に張り合えるかもしれない。
で、いつのまにか、シゴトも片付いてました、ってなるのがもっとも理想的な状態だが、かえって興奮して後先左右考えずドバドバ仕事し過ぎて、かえって状況や机の周りがとっ散らかったりして。
で、今の私が、まさにこのような状態。
とほほのほ、なのであります。
いっそのこと、さらに現状をかき乱すとか?
ジャズマンではありませんが、けっこう刹那的かつ一瞬の勢いで生きているところがある私でした。