心地よき動く写真集としての『ひそひそ星』
心地よく観れた
タルコフスキーの『ソラリス』のパクリっぽいとか、退屈だとか、昭和のレトロチックな器物がアザとい等、『ひそひそ星』、いろいろいわれているようですが、私はこの映画、好きだな。
フツーの映画、いわゆる「起承転結」で構成された分かりやすいスジがあったり、バックに効果的なBGMが流れていたりと、そういう映画に比べると、やや異質に感じるかもしれないけれども、だからといって必要以上に「難解」だと構える必要はさらさらないと思う。
私は最初から最後まで心地よく見ることが出来た。
感想を一言で言えを言われれば、それに尽きる。
もちろん、私が感じた心地良さというのは、バハマのビーチでピナコラーダを飲みながら太陽の光を浴びているような心地よさではもちろんない。しっとりとした緊張感をたたえており、最後まで美しい画面とささやく声が醸し出す独特な世界に浸れたということだ。
動く写真集
とくに、この映画は、構図も色彩もとても美しい。
少なくとも私好みだ。
まるで、植田正治の写真集を眺めているよう。
ノスタルジックでありながらも、昭和や平成などの時代の垣根を飛び越えた「超時代的」なテイストを醸しだす植田正治の写真、私は大好きなのだ。
そうそう、『ひそひそ星』は、植田正治のようなテイストの写真が動いているように感じる。
つまり、動く写真集といえるのかもしれない。
写真が好きな人、写真集のページをゆっくりとめくるのが好きな人にとっては、まるで映像による写真集という見方も出来るのではないかと思う。
そうすれば、べつに筋書きや設定などを深読みする必要などまったくなく、さりげないSEとひそひそ声とセピア調(とモノクロ)の画面だけで楽しめてしまうハズだ。
べつに、福島の被災地で撮影をしたとか、監督が問題作を発表しまくっている園子温だとか、主役のアンドロイド・鈴木洋子は監督の奥さんの神楽坂恵だったとか、そういう予備知識は、かならずしも必要ではない。
実際、私もそのような情報は鑑賞後に知ったが、逆にヘンな先入観を持たずに純粋に美しくノスタルジックな100分として鑑賞できたのだと思う。
「昭和テイスト」だから良いのではない
私は昭和生まれで、昭和の文化、特に昭和の音楽を浴びて育った世代ではあるけれども、特に、昭和に深い思い入れがあるわけではない。
生活の便利さからいってしまえば、平成の今のほうがずっと楽チンだし、世の中も清潔だ。
もちろん、多感な時期にYMOやその周辺の音楽の影響はものすごく受けていたが、だからといって「音楽が素晴らしかったから、だから昭和がイイんだ」とまでは思っていない。
たしかに小学校高学年から中学校にかけては、YMOや彼らの周辺の音楽を聴いたり、さらに彼らが影響を受けた音楽を聴いていて、凄いなとは思っていたけど(戸川純とかゲルニカとか立花ハジメとかブライアン・イーノとか)、むしろ彼らの音楽は、その当時の世の中の主流ではなく傍流だった。
その当時、一般的に流れている音楽といったら、松田聖子にたのきんトリオに横浜銀蝿とか松本伊予とかもんた&ブラザーズでしたから。
周囲の大多数の人たちは、「ザ・ベスト10」から流れる、野暮ったい音楽(と私は思っていた)に熱中していたわけで、そういう音楽に熱中していた人たちが大多数で、小中学校のクラスの中でYMOを熱心に聴いている生徒なんて、1人か2人でしたよ。
さらに『宝島』や『ビックリハウス』を読んでいる人なんて、学年に1人いるかいないか。本当、そんなもんでしたよ。今では「あの頃は俺もサブカルしてたぜ」なんて嘯(うそぶ)くオッサンも少なくないかもしれませんが、初期の『宝島』の発行部数なんて2000部そこそこですよ。YMO全盛期はもっといっていたと思うけど。実際『宝島』の編集部にいた私が言うんだから間違いない(笑)。
現在日本の高校の数は4000弱で、中学の数は1万強です。当時はもっと多かったと思いますが、仮に当時の中学高校の数を1万4000校だとすると、発行部数が1万部にも満たない『宝島』は、5~7校に1人くらいの割合の読者しかいなかったわけです。
要するに、このような雑誌を読んでいる「ヘンタイよいこ」は非常にマイノリティな存在だったわけで、当然、私のような者は、他のクラスメートと音楽の話が合うわけはなかったし、私自身、彼らと話を合わせようと無理して当時流行していた音楽を聴こうとはしなかった。
この経験からも、私の幼年期から多感な時期にかけての「昭和」の文化って、そんなにセンスが良いものだとも思わないし(だからこそセンス良いと思っていた音楽や雑誌に逃避していた)、一部の例外(センスの良い音楽)を除いては、必要以上に昭和は素晴らしいとも思わないし、昭和にノスタルジーを覚えることはほとんどない。
だから、この映画に登場するコンセントやキッチンやヤカンのデザイン、それからハタキで埃を取ったり、畳をゾウキンがけする習慣のような昭和チックなものが、ふんだんに盛り込まれてはいるけれども、それをもってして、懐かしいとなどとは思わない。
これらのアイテムや行動様式が美しい映像でおさめられているからこそ、そして、これらの昭和くさいアイテムを、それらに相応しいアングルと色調で映し出されているからこそ、私はこの映画を心地よく観れたのではないかと考えている。
環境映像にも最適
この映画は、環境音楽のように、環境映像として流し続けても良いのではないかと思った。
観たいテレビ番組がないときは、常に『ひそひそ星』のDVDかBlu-rayを部屋の中で流しっぱなしにしておくの。
会話もほとんど「ひそひそ声」だし、ストーリーもあって無いようなものだから、ふと仕事中の手をとめて画面をボンヤリ眺めみたり、気になるところだけをじっくり眺めて、あとは掃除や洗濯ものを干したりするの。
目の半分だけは画面を見ることなく見ながら。
こういう鑑賞の仕方をしても良いんじゃないかなと思ったし、実際、私はそうしてみたが、なかなか部屋の空気が10パーセントほど意味深になって面白い。
この静けさ、スタティックなテイストから醸し出るそこはかとない色気に性的興奮を覚える人が出てきても不思議ではないと思う。
良い映画、というよりは、不思議な体験と余韻を味わえる映画と言ったほうが相応しいかもしれない。
おすすめ!
記:2017/12/26