雑想 2020年3月

      2024/02/20

絶妙な心地よさ!増田ひろみのアルトサックス

ちょうど良い案配、というか。

ガツーン!としたインパクトはないかわりに、なんというかジャズ的心地よさのツボをビシッ!といちいち刺激してくれるアルトサックス。

さりげなくバップやクール派の表現スタイルの隅々までを押さえており、なおかつ流麗、破綻がない。

しかし、ただ単に「巧い」だけでは終わらない何かがある。

聴けば聴くほどまた聴きたくなる不思議な魅力。

オーソドックスといえばオーソドックス。
だけど、味わい深い。

アルトの音色もすごく好みで、塩辛さとマイルドなクリーミーさがの塩梅が素晴らしい。

私の中にあるジャズ的経絡秘孔から1センチでも、いや、1ミリでもズレたら、単に巧いだけのサックスになるところ、ちょうど良い箇所を的確に、しかもさり気なく突いてくるアルトなのです。

追悼 プロデューサー行方均さんの思い出

日本の「ミスター・ブルーノート」(と、私は勝手に思っている)、行方均氏が先日お亡くなりになられました。

突然の訃報に驚いてしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。

レコードプロデューサーである行方さんは、数々のジャズの「おいしいトコロ」を精力的に私たちに紹介し、届けてくれました。

中でも、数ある行方さんの功績のひとつに、「大西順子という才能」を発見し世に紹介したことなんじゃないかと思っています。

デビューアルバムの『WOW!』は、今聴いても強烈かつ鮮烈ですからね。

WOW
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ユニバーサル ミュージック (e)

>>WOW/大西順子

また、過去に私がTFMで収録していた番組でもゲストに登場していただき、ブルーノートについて色々と丁寧に教えてくださいました。

あと、じつはその前から行方さんと私は不思議な縁があって、私が住んでいたマンションに一時期行方さんが住んでいたこともあるんですよ。

まだ、中学、高校生だった頃のことですが、エレベーターで何度か会ってはいるんですよね。

もちろん、その時の私はジャズを聴いていなかったので、行方さんという東芝EMI(当時)のプロデューサーと同じマンションに住んでいるなんてことは知りませんでしたけれど。

それと、私が大学生の頃。
『スイングジャーナル』誌上で、各レコード会社やジャズ関係者が提供した景品が懸賞で当たる「お年玉プレゼント」の中に、行方さん制作のレコードがあったんですね。

抽選で1名にしか当たらないレコードです。

社内用にプレスしたブルーノートのヒット曲のベスト盤レコードなのですが、このレコードのジャケットが行方さんの手書きだったのですね。
青クレヨンで蝶とかテントウムシが書かれていたような記憶があります。

これ欲しい!と思った私は、妹にイラスト入りの応募ハガキを書かせ、「女性からの応募」ということを強調したところ、見事当選しました(笑)。

ジャズ喫茶でアルバイトをしていた学生の時も、時折マフラーを巻いた行方さんがいらして、もちろん会話はしませんでしたけれども(当時の私からしてみれば、恐れ多すぎる存在だったので)、マスターと話している行方さんの姿を遠巻きに見ていることがよくありました。

また、昨年出版された行方さんの著書『ジャズは本棚にあり』の編集者は、私の『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』と同じ方でした。

このように、なんとはなしに付かず離れずの距離感だった行方さんですが、まさか68歳というご年齢でお亡くなりになるとは……。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

マッコイ・タイナー死去

先日、3月6日に、ピアニスト マッコイ・タイナーが亡くなりました。

享年81歳で、死因は明らかにされていません。

コルトレーン、ギャリソン、エルヴィン……。

コルトレーン・カルテット、最後の生存メンバーだったマッコイ。

個人的には、マッコイのピアノは、やはりコルトレーン・カルテットでの演奏に光るものが多いと感じているのですが、彼のリーダー作だと、やっぱりガンガン攻めまくる『サハラ』の《エボニー・クイーン》がマッコイらしくて好きですね。

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もちろん、クラーク・テリーと共演したニューポートのライヴ盤のように、デリケートでしなやかな一面も見逃せません。

しかし、やはりマッコイ自身、コルトレーンのもとで培ってきたハードなタッチこそが、多くのリスナーから求められているスタイルであることも自覚していたのでしょうか。

マッコイが69歳の時の2007年のライヴ盤は、強さはそのままなのですが、ちょっと細かなところが荒いかな?なソロピアノなのですが、その荒さも含めて、マッコイはやっぱりガンガンなスタイルが良いですね。

マッコイのリーダー作で、個人的にはもっとも愛聴しているのは、ブルーノートの『ザ・リアル・マッコイ』です。

ハードなタッチと、繊細な一面が心地よく同居しているバランスの良い演奏を楽しむことが出来ます。

ジョー・ヘンダーソンのテナーとも抜群の相性。

《パッション・ダンス》がカッコいい!

ご冥福をお祈りします。

バンド運営の大変さ

バンドを切り回すためには、さまざまな力量が必要とされる。その多くは、音楽とは一切関係ないものだ。これまでもくり返し述べてきたが、敵が多く、冷淡で、競争の激しい音楽業界のなかでひとりの個人が生き抜いていくためには、広く大きな背中と相当な自信が必要だ。ジョーの精神的な回復力には驚異的なものがある。人生において、立ち直れないほどに落胆したり、意気消沈したり、行き先を見失うことはほとんどなかったように思える。

「私は演奏に対して金を払っているんじゃない。ツアーに出ることの苦痛に対して金を払っているんだ。」

(ブライアン・グラサー『ザヴィヌル~ウェザー・リポートを作った男』より)

ロリンズの雲がくれは、いつからいつまで?

ソニー・ロリンズは3度シーンから身を隠している。
いわゆる雲隠れだ。

1回目は1954年からの1年間。
麻薬癖から抜け出すため、療養所に数カ月入院していた。
カムバックのきっかけは、ブラウン=ローチ・クインテットのメンバーに誘われたため。

2回目は、1959年から61年まで。
これが「橋」のエピソードで有名な、ウイリアムバーグス・ブリッジでの練習期だ。

3度目は、1968年からの1年前後だ。
インドに行ったり禅の修行をしてみたりと、もっぱら東洋思想がバックグラウンドとなる精神修養をしていたという。

いつだって奔放なブロウを放つロリンズではあるが、その裏には常にストイックな自己探求の姿勢があったのだろう。

記:2020/03/26

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