雑想 2006年9月
2024/01/03
ジワリなピアニストのノリノリ演奏
ジュニア・マンスのピアノは黒い。
しかし、この黒さって、たとえばボビー・ティモンズのような、分かりやすい粘りのある黒さとは違う。
また、レイ・ブライアントのように露骨ともいえるくらいタッチとフレーズに特徴のある分かりやすい黒さでもない。
あくまで、どこまでも、さりげない黒さ。
この彼の黒さの特質がよく出ているのが、ヴァーヴの『ジュニア』だと思う。
個人的には彼の一番の「代表作」だとは思うのだが、ニューヨークでジュニアに会った人の話によると、やはりその人も『ジュニア』はいいっすね、大好きっすと彼に語ったのだが、「うーん、ずいぶん昔のことだからね」と返されてしまったそうだ。
まあ確かにね。
これをVerveに録音した後のキャリアもずーっと長いですからね。
これが良い、最高と言ってしまうと、本人にとっては「じゃあ、それから先の俺ってダメなの?」と複雑な気分になってしまうのかもしれない。
とはいえ、やはりこれは一番ジュニア・マンスの特質が最も良い形で表出されたピアノトリオ名盤だと思うんだよね。
もっとも、淡白ながらも、ジワリと体の内奥から濃い汗がにじみ出てくるような代表作、『ジュニア』も良いが、マンスにしては、サービス全開じゃないの?ってぐらいノリにノリまくったヴィレッジ・ヴァンガードでのライブも悪くない。
じわりではなく、あっけらかんなほどノリノリ。
昔、間近でジュニア・マンスのトリオを見たことがあるが、これほどまでノリノリではなかったからなぁ。
とにかくスゴい。
ブラインドしたら、たぶん、おそらく多くの人がまさかジュニア・マンスのピアノだとは思わないだろう。
快濶さ、闊達さが光る、楽しいアルバムだ。
相変わらず、夜も昼もシゴト三昧、終わったら蕎麦喰いたい(笑)。
いやはや、シゴト、ピークです。
昨日も、夜中に蕎麦を食べたくなったので、いったん終電で家に帰り、ビールを飲んで蕎麦を食べて一段落したものの、明け方まで、ずっとシゴト。
シゴトする場所が変わっただけで、やってることは同じ(笑)。
朝までメール、携帯のやり取りの応酬でした。ここで横になったら絶対寝るだろうなぁと思いつつ、横にはならなかったけれども、座ったままウツラウツラしていた(笑)。
朝、起きてきた息子と話したり、私が留守の間、原稿用紙に童話のような話を書いていたので、それをワードで打ち直してプリントアウトしてあげたりした後、またもやシゴト場に移動。
現在、もくもくとシゴトを続行中であります。おそらく、明日の朝になれば、一段落つくのかな、なんて読みがあるけど、この読みもアテにならないな。とにかく、あと24時間以内にすべてが片付いていることを祈ります。
すべてが片付いたら…、そうだなぁ、やっぱり蕎麦喰いたい、ビール飲みたい(笑)。
もし午後に片付いたら、午後から蕎麦屋でビールで乾杯しながら、天ぷら蕎麦を食べるのもいいねぇ、なんてひとり妄想しております。
そういえば、もう少しで、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』が封切られますね。試写会で観て、おもしろかったので、息子に連れてってやると約束したので、来週あたり、時間を見つけて連れていってやらないとな。
iTunesと預金残高と運動会と
家のPCでメールやネットやりながら音楽を聴くときは、iTunesを立ち上げています。
好きなアルバムや、新しく購入したCDを思いついたときにiTunesに入れ、シャッフルしながらかけていることが多いです。
iTunesの下ほうを見ると、PCに放り込まれ、iTunesとリンクされている音源データの数が表示されますが、いつのまにか、1万2000曲近くになっていた。
えー、そんなに音源入れたっけ?!
ですが、そんなもんなんでしょう。
銀行の貯金通帳も、そのような感じで、気がつくと「えー、こんなに貯まっているよ!?」だとイイのですが、そればっかりはそうはいきません。
えー、もう残高こんだけかよ!? のほうが、むしろ多い。
あ、そうそう、今日は息子の運動会でした。
特筆すべきこと、今のところは特になし。
Great Summit ルイ・アームストロング デューク・エリントン
ルイ・アームストロング
⇒ジャズの巨人
デューク・エリントンも、
同じく
⇒ジャズの巨人
では、この2人の共演は?
……というと、
ありそうで、ないんですね。
この盤を除くと。
1961年。
このアルバム録音のための、わずか2日間だけが、この偉大なる2人の巨人が共演した時間だったのです。
内容?
……それはもう。
言うだけ野暮です。
聴いてください。(・∀・)b
TWINS I&II ジャコ・パストリアス
ジャコ・パストリアス・ビッグバンド 東京、大阪、オーレックスでのライブを収録。
いつ聴いても大興奮! 飛び出す音のひとつひとつが喜びと勢いにあふれているのです。
ニューヨークではうけなかったディキシージャズ
ニューオリンズ的編成のディキシーは、不思議なことにニューヨークではうけなかったのです。というのは、ニューヨークのダンス・ホールはシカゴの秘密酒場などとちがって大規模にできており、たとえばハーレムの「サヴォイ・ボールルーム」などは一度に二千カップル(四千人)も踊れるというだだっ広さ。とても七人編成ぐらいのコンボではみみっちくてお話にならなかったからです。
そこでニューヨークのダンス・バンドは、イディオムを南部の創始者に学びながら、新しいオーケストラル・ジャズ―編曲を使うビッグ・バンド・ジャズを創造しなければならなかったのです。こうしてオーケストラル・ジャズは、ディキシーランド・ジャズの発展とは別な、新しい音楽をつくりだしたのであります。(油井正一『ジャズの歴史』より)