デコイ/マイルス・デイヴィス
マイルスこーんズ
“こん先輩”というマイルス好きの先輩が、ジャズ研にいた。
食事は、いつもカップ・ヌードルのカレー味。これ以外のものを食べている姿は、見たことが無いほど。
昼時や夕方の部室は、いつもカレーの匂いで充満していた。
このような食生活が原因かどうかは分からないが、やがて彼は、身体を壊し、入退院を繰り返し、最後は休学という事態に。
よって、ジャズ研の部室にも顔を出さなくなってしまった。
そんな不健康な先輩だったが、ラッパの腕は相当なものがあった。
というより、ミュートをつけてマイルスを吹けば、もうマイルスそのもの。
だから、彼は、“マイルストーン”ならぬ、“マイルスこーん”と呼ばれていて、本人もマンザラじゃなかったようだ。
マイルスの『デコイ』の譜面集が部室にあった。
序文が、なんと日野皓正。
“日本一になるのはカンタンだ。皆が寝ている間も練習すれば良い。24時間365日練習すれば誰もが日本一になれる”といった、精神論が展開された序文だったので、面白く読んだ記憶がある。
この譜面があったため、『デコイ』のコピー演奏をしてみようかという空気が部内に出てきた。
『デコイ』のサウンドテイストは、ジャズ研部員の中でフージョンが好きな人種にとっては、“ちょっとハードでカッコいいフュージョン”として認識されていたようだ。
ダリル・ジョーンズのヌケの良いスラップ・ベースは、オイシイフレーズが満載なので、“チョッパー・ペキペキ野郎”なベーシストにとっては、たまらないコピー素材だったと思う。
特に《ホワット・イット・イズ?》のベース・パターンは、インパクトのあるカッコイイフレーズに加えて、一つのパターンを覚えてしまえば、あとは延々と同じパターンを繰り返すだけなので、チョッパー奏法が好きなベーシストにとっては、自分の“語彙”を増やすには格好のネタだった。
ジョン・スコフィールドのトンガリギターも、独特の歪んだ音といい、格好よくアウトしたフレーズといい、ギタリストには“盗む要素”の宝庫といっても良かった。
やはり、《ホワット・イット・イズ?》のジョンスコのサウンドが、ギタリストにとっては、コピーのしがいのあるフレーズだったようだ。
急速調でリズムに滑り込んでゆくジョンスコのギター。このフレーズは、ダリル・ジョーンズのベースパターンと同様、何度も繰り返されるゆえ、このパターンさえ練習してパターンを指先に覚えこませれば、誰でもインスタントにジョンスコな気分になれてしまうお得なフレーズに感じた。
揺れのあまりないステディなリズムを刻むドラムも、ドラマーにとっては挑戦のしがいのある、簡単そうで難しい微妙なノリのリズムだったようだ。
単純な8ビートではなく、かといって、4ビートほどの揺れもない。単純そうで、実は結構、頭を使うドラミングが、ドラマー心を刺激するようだった。
キーボードは、音色さえ間違わずに、和音で“しょわーん”と鍵盤を押さえれば、比較的簡単に『デコイ』のムードを出すことが出来たようだ。
思っていたよりも、容易に“雰囲気”を出せることに気がついた部員たち。
しかも、それぞれの楽器奏者のモチベーションを刺激してやまない器楽的な面白さがある上に、キャッチーかつカッコいいフレーズが満載な『デコイ』の曲群は、チャレンジしがいのある素材だったようだ。
ジャズ研の“フュージョンチーム”は、春のコンサートのために『デコイ』バンドを結成することが決定し、練習が始まった。
もちろん、主役のマイルス役のトランペッターはこん先輩。
グループ名は、“マイルスこーんズ”(笑)。
私は、このバンドには参加していなかったので、彼らの練習は遠巻きでしか見ていなかったが、なかなかアルバム通りの雰囲気を醸成していたように記憶している。もちろん、オリジナルの演奏には及ばないが。
中でも、こん先輩のトランペットが、「マイルスそっくりさん大会」を催せば、確実に上位に食い込むんじゃないかと思うぐらい凄かった。
ある日のこと、私は、授業をサボって、アルバム1曲目のタイトル曲を彼らが練習しているところを見学していた。
パシャパシャとラフにスネアをステディに刻む不穏なドラムと、暗示的なベースが低く蠢く冒頭のリズム。
キーボードの和音が鳴った。ほんの一瞬のタメの後に妖しく、絶妙なタイミングで、マイルスのミュート・トランペットが入ってくるのだが、もうここは、ホント、クーッたまらん!な瞬間。
この箇所を、こん先輩は見事、マイルスっぽい音色とタイミングで吹きこなしていた。
10音にも満たない、導入のフレーズだけでも背筋がゾクっとくる《デコイ》のフレーズは、いつ聴いても、聴き手に戦慄を走らせるに充分なものがある。
こん先輩に「すごいっすね、まるでマイルスだよ」と言うと、意外や意外、
「コレ、けっこうカンタンなんだよね。ラッパやってりゃ誰でも吹けるんじゃないの?」というお返事。
ふーん、そんなもんかねぇと、ラッパを吹けない私は思ったが、でも、仮にこん先輩の言う通り、技術的には難しくないことだとしても、このフレーズを生み出したマイルスの“フレーズ力”には唸らざるをえない。
もし本当にカンタンに吹けるフレーズならば、それこそカンタンに吹ける数音で聴衆を虜にしてしまうのだから、これは圧倒的なセンスの賜物といえるだろう。
そういえば、私が好きなマイルスのフレーズって、シンプルなものが多い。
その筆頭にあげられるのが、《ファラオの踊り》後半部の、すごく単純かつ威厳に満ちたフレーズの繰り返し。
同様に、これも『ビッチェズ・ブリュー』の曲だが、《スパニッシュ・キー≫中盤における、力のこもった単純な一音の繰り返しも、かなりのインパクトだ。
このあたりは、必要超最低限の音数で、圧倒的な効果を生み出す、非常にコストパフォーマンスの高いフレーズといえる。
さらに昔に遡ると、『バグズ・グルーヴ』の《テイク1》も、個人的には大好きなアドリブで、シンプルながらもものすごく計算されたフレーズだし、ジャズ研時代は、新入の1年生のトランペッターにコピーさせたものだ。
また、コルトレーンやガーランドを擁していた頃のマイルスのアドリブのフレーズも、メロディアスで音数が少ないものが多い。
さらに古くは、パーカーと共演していた頃の《ビリーズ・バウンス》におけるアドリブもパーカーのアドリブの後に聴くと、最初は随分奇妙なソロに感じたものだが、よく聴くと、考えた上で展開されているソロだということが分かる。
つまり、シーンに登場したばかりの若い頃から、マイルスというトランペッターは、自分の一挙一動、いや、一音一節が及ぼす効果を周到に計算した上でトランペットを吹いていたのだ。
《デコイ》における最初の数音も、これはあらかじめ周到に用意しておいたストック・フレーズなのかもしれない。
このフレーズが、最も効果的に響くタイミングをも充分に考えた上でのひと吹き。
だから、技術的にはカンタンにコピーが可能だとしても、やはり聴き手をゾクッとさせるフレーズとタイミングを考え出すセンスはさすがにマイルスならではと思う。だって、このフレーズを考え出すのと、単純にコピーするのは、天と地ほどの差があるのだから。
私は、いまだに《デコイ》の冒頭のマイルスを聴くたびに、背筋がゾクッとする。
ちなみに、こん先輩を擁したマイルスバンド、“マイルスこーんズ”は、ライブにおいては、なかなか盛況だった。
オープニングは《コードM.D.》。
躍動的なベースのリフレインが印象的なリズムがしばらく続き、曲の後半に、こん先輩は、マイルスを気取り、かなり勿体つけて、ラッパを吹きながら登場という演出で、客のツカミは充分だった。
純粋な意味での“ジャズ”ではないかもしれないが、マイルスが好きな人たちによる、“マイルスごっこ”としては、本人も客も楽しめたわけだから、こういうのもアリだと思うし、アマチュアの特権でもある。
客のノリを掴んだ上で、《デコイ》、《ホワット・イット・イズ?》とパンチの効きつつも怪しい曲調の演奏が続き、大団円が、ノリノリの《ザッツ・ホワット・ハップンド》。
この曲は、マイルスは一時期ライブで《ジャック・ジョンソンのテーマ》とくっつけて演奏していた、ゴキゲンなナンバーだ。
私は、《ジャック・ジョンソン》と《ザッツ・ホワット・ハップンド》をつないで演奏したバージョンのライブのビデオを持っていて、一時期夢中になって見ていたことがあるが、いつ見ても、パンチの効いたビートを叩きだすマイルスの甥、ヴィンス・ウィルバーンのドラムはカッコイイな、と思う。
もっとも、マイルスの自伝を読むと、マイルスは、彼のドラミングをあまり買っていなかったようで(リズムに遅れるというような理由で)、クビにしてしまっているんだよね。
しかも、ヴィンスの母親がライブを楽しみにしている生まれ故郷での公演を控えた直前に。
親戚といえども、音楽に対しては厳しいマイルスだ。
もっとも、アルバム『デコイ』でドラムを叩いているのは、ヴィンスではなくて、アル・フォスター。
『パンゲア』や『ダーク・メイガス』では、大口径のシンバルの猛連打をしていた人物とは思えないほど、締まりのあるリズムを叩き出していることに驚く。
もっとも、このレコーディングを最後にアルはマイルスのグループから抜けてしまうが。
マイルスの目指したサウンドが、徐々に横揺れから立て揺れに近いタイトなリズムに移行し始めていた結果なのかもしれない。
さて、このアルバムのもう一つの目玉はブランフォード・マルサリスの参加だろう。ここでは、ソプラノサックスを吹くブランフォード。
しかし、さすがのブランフォードも、マイルスのグループのサウンドに合っていたかというと、疑問が残る。
もちろん、プレイは悪くはないのだが。
軽やかにツボを押さえた吹奏を繰り広げるブランフォードだが、マイルス流ハードボイルドが貫かれたサウンドの上で繰り広げられる彼のソプラノは、ちょっと脳天気というか、ポップなテイストすら漂い、結果、グループサウンドから少し浮いていると言わざるを得ない。
引退直前の『アガルタ』や『パンゲア』や、カムバック直後の『ウイ・ウォント・マイルス』と比較すると、『デコイ』のサウンドは、随分とポップになったと感じたものだが、それでも、やはりマイルス流の毒やダークネスさは、きちんと残されているのだということが、ブランフォードのサックスを聴くことによって、かえって良く分かるところが興味深い。
記:2004/10/16
album data
DECOY (Columbia)
- Miles Davis
1.Decoy
2.Robot 415
3.Code M.D.
4.Freaky Deaky
5.What It Is
6.That's Right
7.That's What Happened
Miles Davis (tp) except#4,sunth
Branford Marsalis (ss) #1,3,6
Bill Evans (ss) #5,7
John Scofield (el-g) #1,3,5,6,7
Robert Irving (syn) #1,2,3,6
Darryl Jones (el-b) except#2
Al Foster (ds) except#2
Mino Cinelu (per)
Gil Evans (arr) #6
#4
1983/06/31 & 07/01 (NY)
#5,7
1983/07/07 (Montreal)
#1,2,3,6
1983/09/10 & 11 (NY)