追悼 プリンス
プリンス死亡
2016年4月22日の朝。
プリンスの突然の訃報は、私にとってはマイケル・ジャクソンの死よりもショッキングなニュースでした。
なにしろ、プリンス大好きなミュージシャンでしたから。
好きなアルバム
特に好きなアルバムは、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』以降のアルバム。
つまり、『アラウンド~』に加えて、『パレード』、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』、そして『ラヴ・セクシー』の4枚のアルバム。
このあたりが、もっとも夢中になってリアルタイムで聴いていましたね。
『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』といえば、『パープル・レイン』の次のアルバムだから、多くの人たちがイメージする「プリンスといえば《パープル・レイン》」の時代よりも後のプリンスのほうが私は好きみたい。
そして、『ラヴ・セクシー』の次のアルバムは『バットマン』なんだけど、このアルバムは、もちろん音楽は素晴らしいものではあったんだけれども、ちょっと私の好みから外れたリッチなサウンドテイストで、おまけにラジオからはひっきりなしに流れる《バット・ダンス》に食傷したこともあり、しばらくプリンスから離れちゃっていた時期もあります。
もちろん、その後の『グラフィティ・ブリッジ』や、『ラヴ・シンボル』で、再びプリンス熱が再燃したこともあるけれども、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』や『ラヴ・セクシー』をリアルタイムに聴いていたときほどの興奮はなかったかな。
そういえば、来日したプリンスのライヴを観にいったのは、『グラフィティ・ブリッジ』の頃だったな。
プリンスの恩恵
プリンスが私にもたらしてくれたものは、一言でいえば「感性の拡張」のようなものだったんじゃないかと思います。
プリンス経由で、さらに色いろな音楽を広く楽しめるようになったんですね。
たとえば、順序は逆なんだけれども、プリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のお陰で、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンが好きになり、今では代表作の『暴動』は、大好きなアルバムのベスト10に入るほどの位置づけになっています。
チープなリズム、ザラついたヴォーカル、よじれたギターなどなど、プリンスがスライから受けた影響の大きさを『暴動』で体感し、より一層『サイン・オブ・ザ・タイムズ』が好きになり、さらに先祖返りして『暴動』を聴き返すと、改めてスライの音楽性の豊かさを知りました。
この2つのアルバムを交互に行き来するごとに、ますます2つのアルバムに対する思い入れが強くなっていったものです。
もう一つは、プリンスのお陰で、モータウンなどのソウルミュージックへの興味が拡大したことがあります。
これは、1枚目の『フォー・ユー』や、2枚目の『愛のペガサス』のポップで柔らかく弾力のあるリズムに慣れ親しんだお陰で、その源流にあるモータウンなどのソウルミュージックにもスッと入っていくことが出来ました。
これらは、ほんの一例ではありますが、どうやらプリンスは、彼の音楽そのものの素晴らしさはもちろんのこと、私にとっては、様々な音楽に興味を持たせてくれる「道先案内人」のような役割を果たしてくれた存在といえるでしょう。
やっぱり『パレード』が一番!
さて、私が個人的にもっとも好きなプリンスのアルバムなのですが、『パレード』ですね。
べつにヒット曲の《キッス》が収録されているからではなく(そういえば映画『プリティ・ウーマン』では、ジュリア・ロバーツがバスに浸かりながら、この歌を歌っていたのが懐かしい)、サウンドそのものの佇まいがストイックで肉感的だから。
多分に実験的な要素の強い作品ではあるのですが、贅肉を削ぎ落としまくったシンプルなサウンドながらも、妙に奥行きがあり、何度聴いても飽きることのない不思議さがありました。
特に《ニュー・ポジション》を初めて聴いたときの衝撃は凄いものでしたね。
なんてカッコいいんだ!
今でも、たまに『パレード』を聴いては、彼の天才的なセンスに唸ることが多いです。
今晩は久々に『パレード』を聴きながら、しみじみとプリンスを追悼することにしよう。
1曲目から聴き始め、最後の《サムタイムズ・イット・スノウズ・イン・エイプリル》が終わる頃には、その曲調もあってか、しみじみとした哀しい気分になるんだろうな。
そういえば、今の季節はまさにエイプリル(4月)だね。
雪は降らねど、熊本の地震などなど涙がこぼれる季節になった。
記:2016/04/22
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