ソファが深く深く沈んでゆく音楽~『暴動』スライ&ザ・ファミリー・ストーン
2021/12/21
授業出ずに過ごした大学4年間
私は4年間、ほぼ休むことなく大学に通った。
しかし、通うことは通ったのだが、大学の敷地内に足を踏み入れていただけで、講義にはほとんど出席していなかった。
4月の新学期から夏休みまでの間には、わずか3~4回しか出席しなかったこともある。
今考えると、よくそれで留年することなしに4年で卒業できたものだと思う。
毎日大学にいるにもかかわらず、講義も出ずに私は何をやっていたのかというと、ジャズ研の部室か、学食か、喫茶店にたむろをする毎日だった。
毎朝一時限目の講義に間に合う時間に大学には到着するのだが、足は部室に一直線。毎朝部室には一番乗りだった。
ベースの練習か、ジャズのレコードをかけ、自動販売機で売られている60円の紙コップコーヒーを飲みながら一服するのが日課のようなものだった。
部員がいれば、いっしょに楽器をあわせて演奏遊びをするし、一人のときは、ジャズのレコードとともに読書をしていることが多かった。
部室にひたすら引きこもり
ジャズ研の部室には冷暖房の空調設備がない。だから夏は猛烈に暑い。
授業に出席すればクーラーの効いた教室で出席を稼ぐこともできようものなのに、ひたすら私は暑い部室に立てこもり、ソファに寝転びながらジャズを浴びていた。
部室はお世辞にも綺麗な環境とはいいがたかったが、私にとっては多少不自由な環境のほうがなぜか居心地が良かったのだ。
昼休みが終わると、部員たちは皆講義に出かける。私は部員を見送り、部室に引きこもる。
ときには「いいかげん授業出よっ!」と親切な隣の部室の女の子たちが誘いにくるのだが、返事もせずに煙草の煙に目を細めて黙々とベースを弾いている私の姿に愛想をつかし、次第に女の子たちも私のことをかまわなくなってしまった。
部室が静かになると、昼過ぎということもあり眠気が襲ってくる。そのときの私の選択肢は2つあって、眠気覚ましに校舎内の喫茶店にカレーを食べに行き、さらに腹を膨らませるか、そのままレコードをかけてソファで眠りにつくかだ。
だいたいお金があるときは、学食で昼食を食べたにもかかわらず、再び昼飯を食べに喫茶店に出向き、コーラとカレーをゆっくり味わっていたが、お金が少ないときは、そのままソファに寝転がり、部員たちが授業から帰ってくるまでソファでうたたねをすることになる。
そのときによくかけていた音楽が、マイルス・デイヴィスの『ダーク・メイガス』と『パンゲア』だった。
過激でノイジーなサウンドが、夏の暑さにさらに拍車をかけるのだが、逆にそれが心地よかった。
セシル・テイラーの『ライブ・イン・ジャパン(アキサキラ)』と『ネフェルティティ』もよくかけた。
『ライブ・イン・ジャパン』は2枚組のCDで、CD2枚で1曲となる長尺演奏だ。著しく体力も精神力も消耗するアルバムなのだが、この疲労感がたまらなく好きだった。
『ネフェルティティ』のレコードは、セシル・テイラーがジミー・ライオンズとサニー・マレイとともにヨーロッパのツアーに赴いた際のライブ演奏が収録されている。現在は、2枚組CDの『コンプリート・アット・カフェ・モンマルトル』に他のアルバムに収録されているライブ演奏とともに収録されているが、とにかくセシル・テイラーの『ネフェルティティ』の溶解してゆくリズムが非常に心地よく感じられた。
そういえば、『ダーク・メイガス』も『パンゲア』も『ライブ・イン・ジャパン』も『ネフェルティティ』も、すべてライブ盤だということに今、書きながら気がついた。
上記4枚が、私のお昼寝アルバムだったのだが、ある日、ジャズ研の後輩ベーシストで、ラリー・グラハムと江川ほーじんを師と仰ぐベーシストがおきっぱなしにしていたレコードを何気なくかけたら、一発で虜になってしまった。
それが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』だ。
嗚呼、ダウナー
かねてから私はプリンスが大好きだったのだが、このアルバムを聴いた瞬間、プリンスとスライの音楽表現と直感的につながった。
もっと言ってしまえば、プリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』なんて、もろ『暴動』の影響を受けまくりじゃないかということに気づき、大好きなミュージシャンの楽屋裏をのぞいてしまったようなワクワクした気持ちになったものだ。
しかし、プリンスの音楽はやはりアクティブというか、躍動的だ。どんなにダウナーなニュアンスを音楽内に盛り込んでも、前へ前へと進んでゆく柔らかくも強い推進力を感じる。
それに反してスライのこのアルバムのダウナーっぷりはどうだ。
はじけるテンションをグッと上から甘く柔らかく押さえつけたかのような音のニュアンス。体の内側が裏返るような抑制の効いたサウンドは、身体の内側をムズムズと刺激するのだ。
ダイレクトに下半身を刺激するような性欲の高まりではなく、じわじわと脳の中が侵食されていくようなマッタリ感にたまらなくエロスを感じた。
ひび割れたエレピの音色、
ひび割れたギターのカッティング、
ひび割れたスライのヴォーカル、
チロチロとネチっこく絡み合うギターとエレピのシングルトーン。
ひとつひとつの音色はギザギザとしているくせに、これらの要素が渾然一体となると、なぜか尖ったエッジが薄れ、甘美かつ真っ黒な匂いが漂ってくるのだ。
それはあたかも、熟し過ぎた果実が腐りかけて地面に落下する寸前のニュアンス。
音楽で、このような感覚を味わったのは初めてだ。
嗚呼、ソファが沈んでいく
また、ボリュームを上げても、うるさく感じないのもこのアルバムの面白いところだ。
よく聴くと、様々な楽器のサウンドが渾然一体な重なり具合を呈している箇所も数え切れないほどあるにも関わらず、なぜだかサウンドは穏やかかつシンプル。奇妙な静けさすら一貫して漂いまくっているのだ。
さながら、音楽に重力があるとすれば、『暴動』というアルバムが湛えているトーンは、間違いなく地下へ地下へと深く深く沈んでゆく醒めた重たさを有しており、嗚呼、聴けば聴くほど、今、自分が座っているソファが。どんどん、どんどん沈んでゆくではないか。
2曲目の《ジャスト・ライク・ア・ベイビー》の後半でスライが、内積してゆく感情の昂まりを 敢えて抑えた声で「♪シェ~~」と発するかのようなニュアンス。
内側は沸騰しているにもかかわらず、表出される音は奇妙に抑制された醒めており、この矛盾しつつも、なんとも形容しがたい不思議な高揚感、アンビバレンツ感が、性欲にも直結する悶々としたムズムズ感に直結する超極上のファンクネスを味わえるのだ
私はドラッグに手を出したことはないにもかかわらず、ダウナー系のブツで頭の中がくるくるしているときの気分はきっとこんな感じなのだろうか?などとも思う。
私はジャズ以外の音楽では坂本龍一の『B-2 unit』が生涯のアルバムベスト3にランクインするアルバムなのだが、この畳み掛けるような暴力的な音の断片は、『暴動』とは対極にアッパー系ドラッグの覚醒感に近いものがあるのではないかと感じている(重ね重ね私は一切ドラッグやっていません、体験者からのお話を総合して妄想しています)。
脳内むんむん
結局私は極端なダウナー系と、極端なアッパー系ミュージックが好きなのかもしれませんね。
このアルバムだけが持つ、なんとも形容しがたいムードは唯一無二のものであり、ためしに他のスライのアルバムにも数枚手を伸ばしてみたが、他のアルバムのサウンドはキャッチーかつ躍動的で、他のアルバムのスライを知れば知るほど、『暴動』というアルバムがいかに特殊なアルバムなのかということを思い知らされた。
多くのミュージシャンにカバーされ続けている名曲《ファミリー・アフェア》や、ラリー・グラハムのスラップベースに耳が吸い寄せられてしまう《サンキュー》など佳曲もそろっている上に、数秒の空白で音がない《暴動(ゼアズ・ア・ライオット・ゴーズ・オン》というナンバーもあるが、これら1つ1つの曲を抽出して愉しんだり語ったりするよりも、このアルバムの場合はアルバム全体を一つの流れとして捉え、このアルバムにしかない独特の倦怠感を愉しむべきだと思う。
静謐、とまではいわないけど、ダウナーな気分が横溢する。
抑制されたダイナミズム。
だけど脳内ムンムン。
快楽アルバムの最右翼といっても過言ではないだろう。
記:2011/12/19