「大西画報」と二式大艇、そして栄光の機動部隊と空母
栄光の二式大艇
模型雑誌『モデルグラフィックス(Model Graphix/以下MG誌)』の黎明期といえば、横山宏の「ブレッヒマン」と、大西信之「大西画報」。
ああ、なんだか懐かしいなぁ。
特に巻末にイラスト入りで連載されていた「大西画報」が私は大好きで、MG誌を買わない月があっても、このコーナーだけは欠かさず書店で立ち読みしていました(笑)。
毎月、一機ずつ日本機の紹介をしているコーナーだったのですが、大西信之氏の大胆な構図と、美しく繊細な色彩のイラストがノスタルジックなムードを醸し出し、さらにイラストに添えられたテキストが、ちょっと国粋右翼チックなところも含め読み応えたっぷりなんですよ。
また、単にガチガチな日本機マニアによる硬い読み物というわけでもなく、根底にはユーモアの精神が流れていたので、読んでいて楽しかったですね。
たとえば、読者からの突っ込み。
⇒「零戦がいくらスゴイといったって、太平洋を支配したのって、たったの半年ですよね?」
このようなイジワルな投書に対してのアンサーはこんな感じ。
⇒「キミね、半年間も太平洋の制空権を維持するって、どれだけ凄いことなのか分かってないね。試しに1日でいいから太平洋を支配してみなさい」
また、私が敬愛するモデラー松本州平氏が、別なコーナーで例のユーモラスな口調で大西信之氏のキャラを盛り上げているところも楽しかった。
「こっそりアメリカの海軍機なんか作って、大西くんに言うたろ、大西くんヤバいで~」みたいな。
おかげで私はずいぶんこのコーナーで日本機の知識を得ることができました。
特に涙、涙なのが、二式大艇(二式飛行艇)の回でしたね。
名もなきアジアの民間人を救助すべく荒波の太平洋上に着水する二式飛行艇。
当時、こんなに波高く荒れた海上に着水できる飛行艇は、世界広しといえども帝国海軍の二式飛行艇をおいて他はなかった。
荒れる海と空模様の中、鮮明に浮かび上がる「ライジングサン」。
海上で遭難した少年の脳裏に鮮明に焼き付いたであろう頼もしき飛行艇の巨体と、機体に描かれた日の丸。
かつて少年だった男は、あの日のことを忘れない……。
……うろ覚えですが、たしかそんなストーリーが、もっとドラマチックに描写され、名もなきアジアの民間人を救助するグリーンンのボディの巨大飛行機=サンダーバード2号……、ではなく、鬼畜米英からはエミリーというコードネームと呼ばれた二式飛行艇のストーリーには、我が日本人のDNAが厚く揺さぶられました。
そういえば、以前、あるミリタリーマニアにそのことを飲み会で話したら、「うん、うん、そうだそうだそうだそうだ!」と二式大艇の話で盛り上がり、この連載の原稿は『烈風が吹くとき』という単行本に収録されているということを教えていただいたので、興味がある方は読んでみてください。
私は、この単行本のほうは未読ですが、MG誌に連載されていたままの原稿が再収録されているのであれば、日本に生まれて良かった、日本人で良かった、私たち先祖の方々、どうもありがとう!と感謝の涙が零れ落ちるに違いありません。
栄光の機動部隊
そして、二式大艇に次いで、私の心をビビーンと揺さぶったのが、たしか雷電だったか紫電だったかは忘れたのですが、要するに本土防空の局地戦闘機の回。
戦闘機の解説よりも、イラストに添えられたキャプションにビビッ!ときたのですね。
「栄光の機動部隊すでに無し。されど帝国海軍は死なず!」みたいなテキストだったんですよ。
海軍の軍人でもないくせに、思わず背筋がシャキッと伸びましたね。
とくに「栄光の機動部隊」という言葉、勇ましくて儚くて、なんだかロマンチックです。
機動部隊。
空母を主軸とした艦隊のことです。
現代のアメリカの機動部隊は、一つの艦隊だけで小国以上の軍事力を上回る攻撃力と言われており、その機動部隊が相手国の周辺海域を巡航するだけでも、絶大なる脅威となります。
それが極めて効果的な外交となる事は皆さんご存知ですよね。
ペリーの浦賀沖への来航を思い浮かべる人もいるでしょう。
いつになっても、アメリカは砲艦外交ですね。
それはともかく、パワーの象徴であるアメリカの機動部隊と違い、日本の「機動部隊」という言葉には、何か郷愁を誘う趣きがあります。
理由はよく分かりませんが、「栄光の機動部隊」という言葉を聞くだけで、身も心も引き締まる己を自覚します。
機動部隊に空母。
空母は、英語だと「キャリアー」といいますが、日本だと「航空母艦」。
空母の「母」という文字ち何か優雅な柔らかさを感じてしまいます。
それに比べると、アメリカの「キャリアー」という言葉からは、非常に実利的かつ効率的な印象がつきまとい、そのへんが国民性や言葉、文化の違いなのかなと感じます。
「空母」と聞くだけで何故か懐かしさを感じてしまうこの私は、もしかしたら前世は海軍の兵隊だったのかもしれません。
おじいちゃんは陸軍だったんだけどね。
あ、そういえば、もう一人のおじいちゃんは、母が生まれた時には既に戦地に赴いており、フィリピンはレイテのブラウエンの戦いで戦死しています。
これは『レイテ戦記』の著者である大岡昇平と遺族による調査隊による現地の度重なる調査で、戦後40年以上経ってはじめてブラウエンで戦死したことが分かり、その時の状況が少しずつ分かってきています。
それまでは、つまり私が子どもの時や、大人になっても「おじいちゃんはレイテのほうで戦死した」くらいの情報しかなかったんですけどね。
当時の戦地の状況が時間の中に埋もれ忘却の彼方に霧散することなく、調査により明らかになり記録が残るということはありがたいことです。
レイテといえば、そういえば、松本零士の『ザ・コクピット』に「鉄の竜騎兵」というエピソードがあるんだけど、この作品の冒頭に「ここはレイテの古戦場ゼラバンカの草原」というナレーションがあります。
この一言は、漫画で読んでも、アニメで聞いても、いつもなんだか泣けてくるんですよ。
「大和」「零戦」と聞くだけで、背中に電流が走り、思わず居住まいを正してしまう私ではありますが、それ以外にも「二式大艇」「空母」「機動部隊」「レイテ」という言葉にも弱いんだなぁ。
記:2018/05/26