アクセスアップ「良質なコンテンツ」ってなんじゃらほい?
良質な記事って?
「ブログのアクセスを上げるにはどうしたらいいのか?」
これに関して、ネット上に書かれているノウハウ記事を折に触れて拝見しているのですが、その多くが「やみくもに記事数を増やすことよりも、良質な記事を書くことを心がけよう」とういう内容のものが多いように感じます。
たしかにその通りだと思います。
Googleは良質なコンテンツを検索上位にあげることを明言していますからね。
しかし、では一体「良質なコンテンツ」とは「何じゃらほい?」という疑問が残ります。
憶測だらけの芸能記事も「役立つ」内容?
これらのアクセスアップのノウハウが書かれたサイトの記事によると、「良質な記事」とは、「ユーザーのためになる記事」や、「ユーザーに役立つ記事」とのことです。
おっしゃることはゴモットモ!だとは思うのですが、では「ユーザーに役立つ」という定義が曖昧な事もたしか。
どの記事も全てが実用的な記事はわけではないですし、推測だらけの芸能記事もユーザーに役立つ記事なのかどうか疑問が残ります。
例えば、よく目にする芸能記事に関しては、「ヤフー虫眼鏡」で出現したキーワードで見出しを作っていることがありありとわかるサイトがたくさんありますよね。
たとえば、「山田太郎」さんという芸能人が事件を起こしたとします。
この「山田太郎」さんの名前をヤフーの検索ボックスに打ち込んで検索をかけると、ページ下に虫眼鏡のマークと、「山田太郎」というキーワードとともに検索される10個の複合検索ワードが表示されます。
「山田太郎 逮捕」「山田太郎 不倫」「山田太郎 整形」「山田太郎 家族」「山田太郎 結婚」「山田太郎 ヤンキー」「山田太郎 離婚」などなど。
これらが、ヤフーを使って検索したユーザーたちが、実際に検索ボックスに打ちこんだキーワードなのですね(日々キーワードは変わります)。
ですので、自分のサイトのアクセス数を上げたければ、そっくりそのまま「山田太郎 逮捕」とか、「山田太郎 不倫」というような複合キーワードを記事のタイトルや、小見出しに使えば、検索したユーザーがたどり着く可能性が高くなるという考えになるわけです。
ですので、アクセス数を上げたい人は、キーワードに則った構成、テキストを書き、しかも、そのような記事が検索上位に上がっていることが多いですね。
どのような記事かといえば、「山田太郎が離婚、その相手は?」とか、「山田太郎の浮気相手は?」みたいな記事です。
まだ離婚も不倫もしていない芸能人であっても、ひとたびヤフーの検索ワード急上昇ランキングに名前が出るやいなや、「浮気相手」や「整形疑惑」などというキーワードを芸能人にくっつけて、憶測とコピペで記事を作られた記事、一度や二度は見たことありませんか?
「浮気相手はまだはっきりしていませんが、いるのかもしれませんね」
「整形疑惑がもちあがっているようですが、実際は整形はしていないようですよ」
「結婚して以来浮気報道はありませんし、離婚の話は今のところ出ていませんが、もしかしたら水面下では不穏な動きがあるのかもしれませんね」
……というような記事です。
そのような記事のどこが「ユーザーに役立つコンテンツ」なのか意味がわかりません。
一体、これも「ユーザーに役立つ記事」なんでしょうかね?
でも、芸能人の名前で検索すると、この手のサイトがいろいろと出てくる。
将来的には、このような記事は後方に追いやられるかもしれませんが、現時点では必ずしも「ユーザーの役に立つ」とは言い難い記事が上位に検索されることもまた事実なのです。
文字量多ければ良い?
結局、文字数のボリュームが多かったり、他に取り上げている記事が少ないからという理由で検索の上位に上がっているだけなんだろうと思います。
そうすると、「最低500文字を書こう」とか、「最低1000文字は書くべきだ」という記事も出てくるわけですが、文字量が多くても、内容のないスッカラカンな記事内容でも検索上位に上がるのかどうかは疑問です。
さらに、「良質なコンテンツを書こう」といったところで、記事が「良質か」「良質ではないか」は、自分が決めることではありません。
それは訪問者や検索エンジンが決めること。人様の気持ちをコントロールすることができないのと同様、自分が書いた記事を良質なものとみなされるよう訪問者や検索エンジンをコントロールできるものでもありません。
送り手・受け手、認識の乖離
たとえばですが、このサイトで常に人気記事のランキング上位の記事があります。
昨年の5月に書いた、映画『イニシエーションラヴ』の記事です。
>>映画『イニシエーション・ラブ』感想~2人の「たっくん」を映画はどう表現したのか【ネタバレ注意】
これって、書いた本人にとっては、まったく「役に立つコンテンツ」ではありません。
だって、この作品のネタバレ記事は、映画が公開される前からたくさんありましたし、映画公開後もネタバレ記事は百花繚乱状態でした。
私も特にネタバレをメインに持ってきたわけではなく、いち映画鑑賞者としての感想をつらつらと書いただけで、特に記事の構成や内容に凝ったわけではありません。むしろどちらかというと力を入れていない記事の一つです。
それなのに映画の公開が終了して1年以上経った2016年10月現在においても、『イニシエーションラヴ』関連の記事は、必ず人気記事のベストに入っているのです。
アクセス解析をかけてみると、検索流入が多くて、映画のタイトルやネタバレなどのキーワードでこのサイトの記事にたどり着いている人々が、日々何十人もいるのですね。
書いた本人にとっては、この記事以上に力を入れて書いている記事は山ほどあるにもかかわらず、軽い気持ちで書いた記事の方が訪問者、もしくは検索エンジンからは高い評価を受けているということです。
こちらが「良質な記事を書こう」と意図して頑張ったところで、良質か否かについては自分以外が決めているんです(当たり前ですが)。
自分の努力の及ぶ範囲ではない領域なのです(当たり前ですが)。
ですので、「良質なコンテンツを書こう」というキャッチフレーズがいかに無意味というか、もちろん心構えとしては良いことなのかも知れませんが、努力と結果は必ずしも一致しない世界だと思った方が良いと思います。
「質」か「量」か
また、サイトのアクセス数を伸ばすためには、記事の「量」が大事なのか、記事の「質」が大事なのかという論議もよく目にします。
「良質なコンテンツを書こう」派の人は、ヤミクモに記事を量産したところでアクセスが伸びるわけではないという論調ですね。量よりもやはり「良質な」記事を書く方が大事だからという根拠で。
それは分かります。
読むほうの気持ちからしてみれば、手抜きでドバーッと勢いで書かれた記事よりは、しっかりと丁寧に書かれた内容を読みたいのは当然のことです。
しかし思うのですが、私はサイトを立ち上げた最初の段階は、「量」をこなさないと、いつまでたっても「良質なコンテンツ」とみなされる記事が書けないのではないかとも思うのです。
なぜかというと量をアップしないとデータが取れないから。
データが取れないと、書くべき内容の指針を打ち立てられないから。
また「量」をこなさないと書くスキルもアップしないから。
たくさんの記事を書いて、アップして、検証して、仮設を立て、その仮説を検証してみないと見えてこないこともたくさんあるのではないかと思うのです。
自分のサイトに多くの読者を呼び込みたいと考えている人が「良質な記事を書けばいいのだから、記事の更新はたまにでイイや」とばかりに記事を書くことをサボっていたら、いつまでたってもアクセスが増えないのではないかと思うのです。
それは自分自身の経験からも。
先述した通り、「良質なコンテンツ」とは、訪問者や検索エンジンが決めるものです。
自分ではコントロールできない領域だし、意図して良質とみなされる記事を書ける人もいるでしょうが、そういう人とて百発百中ではないでしょう。
しかし「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」ではありませんが、100個も記事を書けば、その中の1つぐらいは「当たり」の記事が出てくることもあると思います。
その「当たり」の記事は、必ずしも「良質なコンテンツを書こう」と意図して書いたものではない記事かもしれません。
そこで、「なぜ?」と疑問を抱くことが大事だと思うんですよね。
このサイトの場合
たとえば、普段は特撮の記事ばかりを書いている人が、書くネタがなくなって、たまたま書いたジャズの記事の反応が予想以上に良かった。
なんでだろう? 自分はジャズよりもウルトラマンの方が詳しいのにな、と自分では思っていたとしても、それはあくまで自分自身の評価で有って、訪問者からしてみればそうではないかもしれない。
であれば、ジャズの記事をもう一本書いてみるかと書いてみて、また反応を見る。
またもや反応が良ければ、さらにジャズの記事を投下する。と同時に、ジャズに関しての勉強も進める。
反対に最初に書いたジャズの記事は当たったけれども、次に書いたジャズの記事が当たらなかったら、元の路線に戻してもいい。
少なくともこのサイト「カフェモンマルトル」は、最初はノーコンセプトではじめたサイトなので、
>>このページ、今のところノーコンセプト。作りながら少しずつ考えていこう。
最初は気軽な気分で、書けそうな内容を「良質な物を書こう」というようなことなど全く考えずに描き続けた結果、現在のようなカタチに至っています。
最初は特撮だったんだけど、次第に反応の良いジャズの記事が多くなり、気まぐれで映画の記事を書いたら、映画の方も反応が良かったので、映画やドラマの記事もたまに書くようになっているだけです。
というわけで、最初から「よし!ジャズのサイトを売りのページにするぞ!」とか「よし!映画やドラマの感想文を書いてアクセスを増やすぞ!」と意気込んでいたわけではありません。
そもそも、ジャズについての評論をレビューを書いている人のことを怖くてお近づきになれない別世界の人だとおもっていた私が、まさかこんなにもジャズの記事を大量にかき、挙句の果てにはラジオ番組をもたせてもらったり(2008年から2010年までの2年間)、ジャズの本を書くとは夢にも思わなんだ。
これも、たまたま自分が書けそうなものを書いて評判が良かったジャンルのものを少しずつ増やしていっただけのことなので、かなり他力本願です。
そして「運命は自分ではコントロールできるものではない、自分以外の人、状況にコントロールされるものである」という私の人生観にピタリと合致することでもあります。
受け身の「マグロ」理論
もっといえば、水野愛也(水野敬也)著の『LOVE理論』にある「ファッションマグロ理論」ですな。
自分が好きなファッション、自分が着たいファッションが必ずしも似合っているとは限らない。むしろ似合ってない場合のほうが多い。だったら、好きな女の子に洋服を選んでもらったほうがラクだし、彼女も喜ぶし、買い物デートに誘う口実にもなるしイイことづくめではないかという考えです。
まさに「我が意を得たり」でしたね。
受け身な発想なんですが、いいじゃないですか、
お互いウィン・ウィンの結果になれば、下手なコダワリや、ダサいセンスを押し通す無様な姿を晒すよりはマシなのではないかと。
このサイトを運営する発想もまさにそうで、もちろん書きたいことも書いてはいますが、読者の反応やアクセス解析によって、随分と流されまくっています。
最近だと、なぜか親知らずなどの「歯」の記事が上位に上がってくることも多いので、私は歯に関しての専門知識を持っているわけではないのですが、今後のアクセス次第では、歯のことを勉強して歯の記事を増やすかもしれません。
それでアクセスが上がらなければ、「たまたま親知らずの記事が当たっただけなのね」と諦め、ジャズの記事を書く方に戻ります。
結構いいい加減、というか、状況に合わせて自分がどういう行動をとったら良いのかを無意識に考えるタイプなんでしょうね。
上善如水(じょうぜんみずのごとし)
それで思い出したんだけど、学生の頃、台湾に行った時に、手相占いが得意だというタクシーの運転手に「智者、ようこそ我が国へ」みたいな漢詩をいきなり書かれて渡され、「俺ってそんな賢人みたいな存在じゃないっすよ」と恐縮していたら、「あなたからは水の流れを感じる」みたいなことを言われたのね。
数日後、空軍の大佐(中佐だったかな?)の家を訪れた際、私を見て、いきなり長めの和紙のような紙に茶や緑や水色の水彩絵の具のようなもので滝の絵を描きはじめ、最後に絵の脇に「賢者は水に遊び、智者は水に学ぶ」みたいな漢詩を書いて、私にプレゼントしてくれたんですよ。
理由は、流れる水を思い出したからとのこと。
うーん、オレって水なの?
「水」じゃなくて「雲」なんだけど(苦笑)。
ま、雲も水蒸気で駅ているものだから、同じようなものか。
水がプカプカと空に浮かんでいるわけね。それはそれでイイではないですか。
それに、「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」って私が好きな言葉の一つでもありますから。
そんなお気楽、テキトーなスタンスで「水」のように、今後もこのサイトを続けていきたいと思います。
記:2016/10/20