シングルマザーかつステージママの映画『愛してよ』
昨日、『愛してよ』という映画の試写会に行ってきました。
一言で言えば、生きることに不器用な母親と、それでも少しずつ成長してゆく子供の話。
10歳の息子にピアノ、ダンスなどのお稽古、広告やファッションブランドへのオーディションなどを受けさせるシングルマザーの姿がリアルに描かれています。
舞台は新潟。
私は、以前、仕事で毎月新潟へ行っていたので、
「お、古町だ!」
「万代シティだ!」
「あー、昔仲の良かった北光社でコミックを万引きしちゃアカンぜよ!」
などと心の中で叫びながら、映画を楽しんでいました。
正直、多少強引で生き方に不器用な西田尚美演じる母親にはシンパシーを感じられませんでしたし、弱々しくて頼りない、別れた父親の姿も、現代の父親像を描いているとはいえ、なんとなく暗澹たる気分になってしまいました。
しかし、この映画は映像が素晴らしい!
なぜか?
新潟の空の色が美しいから。
青空は青空なんだけれども、どこか物憂げで深い表情を見せている空。
この青空を背景に舞い上がる赤い花びら。
この青空の下の広場で、訥々と何かを予感させるフレーズをアップライトピアノを弾く少女。
この青空の下のビルの屋上から望む、工場地帯。
これらは、私が青春時代に、何度も見たはずの白昼夢。
それがリアルで具体的な映像としてスクリーンに映し出されていたので、非常にノスタルジックな気分に陥ってしまいました。
劇中のいたるところに効果的に挿入されていた、リアルなんだけれども幻想的なシーン。
私は、これに近い感触の映像を、多感な時期にはいつも音で捉えようと、シンセサイザーのツマミを回し、ピアノの鍵盤を叩いて追い掛けていたのですが、結局、この風景を相応しい音を作り出すことは出来ませんでした。
しかし、ラスト近くの、1枚の赤い花びらが、風に乗って、新潟の青空に吸い込まれるように上昇してゆくシーンを見て、私は「なるほど」と心の中で唸ってしまいました。
花びらが、ひらり、ゆらりと、ビルの屋上に舞ってゆくシーンのバックに流れていたのは、音楽ではなく、遠くから聞こえる海猫の泣き声だったのです。
なんと幻想的、なんと刹那的な映像とSE(音響効果)でしょう。
私はこのシーンを見れただけでも、この映画を見た甲斐があったと思いました。
この映画のタイトル『愛してよ』は、おそらくは寂しい母親の心の叫びなんでしょうね。
ステージママよろしく、忙しく動き回る母親も、じつは、心の奥では息子のことを愛せなかったからなのです。
「手帳に空白をつくると、その空白から幸せが逃げてゆく」というのが口ぐせの母親は、がんじがらめにスケジュールを埋め、子供とともに華やかな世界に足を踏み入れようとすることを通じて、ようやく子供を愛する母親としての体面を保てているのです。
心のどこかで「邪魔」と感じている息子を「母親として愛さねばいけない」。
だから、母親として、息子を愛し、息子とコミュニケーションを取れる“システム”を構築はしたものの、じゃあ、そんな私をいったい誰が愛してくれるの?
というわけで、広告代理店勤めの男と逢瀬を重ね、彼の異動とともに再婚して東京へ行こうということになるわけですが…、ま、ストーリーのほうは実際に見ていただくとして、あんまり細かいことは書きません。
私は新潟の哀しい青空を拝めただけでも大満足だったので。
愛すこと愛されることに不器用な親の姿がリアルに、しかもサラリと自然に描くと同時に、現代の日本の親が心の片隅に抱えているちょとしたダークな部分を嫌味なく自然に浮き彫りにしている映画ではありました。
関係ないけど、ステージママって大変だよなぁ。
私も、昔、子タレのオーディションの審査やったことあるけど、子より母親のほうが目が真剣だもんね(当たり前か)。
落としたりしようもんなら、背中から刺されるんじゃないかと思うぐらいの切迫した空気が、プレッシャーだった記憶があります。
私はステージパパはゴメンだなぁ。当たり前だけど。
もし、息子がタレントになりたいと言ったら、まずは、どれだけ大変で、どれだけ不条理な世界なのかを話すだろうな。
少なくとも、試験や営業の仕事とは違って、努力が正当に反映されにくい世界なのだということは話すと思います。
それでも、本気でなりたいと言うのなら、親の力を借りずに、自力で勉強して、自力で世界に足を踏み入れ、自力で這い上がれと言うでしょうね。
要するに「勝手にしろ」ってことだけど。
そのときに、役に立つであろう、挨拶、言葉遣い、礼儀、人間力、これぐらいまでは親の義務として、しっかり躾けてはあげるが、そこから先は、自分でやりなさい、だろうな。
記:2005/10/04