奄美・歴史探索の旅 3
text:高良俊礼(Sounds Pal)
※「奄美・歴史探索の旅2」の続きです。
奄美 刑場
気が付けば草木の生い茂る山の斜面を夢中で登っていた。
斜面にせり出している樹の幹を掴みながら、あちこちに貼ってあるクモの巣を払いながら、自分でも何でこんなことをしているのだろうとは思いながら、その先からビンビン漂ってくる「物語の臭い」の元を目指しながら、道なき道をひたすら行った。
河口にあった処刑場は、ヤス(ヤシ)の処刑を最後にその役目を終えた。
刑場としてどれぐらいの歴史があったのか、また、ここでどれほどの罪人が処刑されたのかは、資料が全く残っていないので判らないが、人々の記憶から刑場の記憶はやがて薄れていき、私たちの世代には
「あそこは出るよ」
「怖い場所だよ」
と、話の形骸だけが何となく伝えられるだけになってしまった。
山道で考える
確かに刑場などの負の記憶は、人々にとっては一刻も早く忘れ去りたいものだろう。
しかし、その一方で、場所の因果に存在を絡め取られ、単純にその場所の「幽霊」「お化け」にされてしまった人々はどうなる?
もし、仮に「出る」のであれば、生きている人間がその原因や歴史的背景を理解して
「なるほど、それは無念だったな」
と、心の内ででも納得してあげることは出来ないだろうか?
少なくとも、もし私がどこかで非業の死を遂げて、そこでさまよえる存在になってしまったとしても、後の世の人間の都合で一方的に「怖い幽霊」にされてしまったらたまらない。
思い出したくないからと、何でもかんでも「怖い話」の形骸に押し込めてフタをするのはどうなんだろうか?
「シマの人達のほんとそういうところよ・・・」
いつの間にか開けて獣道のようになっている山の中腹辺りを歩きながら、私は誰に言うとこなく呟いていた。
シマの人達のほんとそういうところよ
しんとした山中の空気は清浄そのものであった。
街の喧騒とも、麓のややじめっとした空気とも違う、人間以外の動植物、或いは土や石たちが生態系を形成し、ただ生きているためだけに存在しているような、何とも静かでおおらかな空気がそこにあった。
何となく広い空き地は、恐らくかつての畑の跡。地面をよく見ると陶器の破片やブラウン管のテレビの壊れたものとかがあり、何となく人の生活の痕跡もあるにはあった。
名瀬の街は、空襲で焼け野原になった後復興した訳だが、元々土地が狭く、加えて食糧事情も深刻だったため、人々は住めそうなところにはとりあえずバラックの家を建て、耕せそうな所には段々畑を作って作物を育てた。
戦後の混乱期であり、区画や所有権などは大して問題ではない、土地の”いわく”よりも日々食うことが大切、当然である。
「父ちゃん、ここ、耕していいの?」
「大丈夫じゃ!まだ誰も耕しとらん」
「わかった、あ・・・でも父ちゃん、この場所ち、昔からケンムンが出るんじゃなかったっけ・・・」
「バカタレが!そんなことより飢え死にすることの方がど心配じゃが!! ・・・あ(パンパン!)はい、山の神様すいません、生きるためにちょっと場所お借りしますよ。・・・これでもう心配せんでいい」
「流石父ちゃん。山の神様にお願いすればもう大丈夫じゃね」
シマの人達のほんとそういうところよ・・・。
山の穏やかな空気と、僅かに残る人々の生活の痕跡に、そんな”物語”を想像して今度は若干ニヤッとしながらそう呟いた。
目指して更に奥へ進む、途中明らかに「旧道」が出てきて、その両脇には古い蘇鉄が整然と並んで植えられている。
もう何十年も人の手が入っていないはずなのに、まるでそれはついこの間植えられたかのように、生い茂る植物たちとは明らかに違った佇まいで、その場所に毅然と立っていた。
そこで何となく、私は「違う物語の臭い」を感じ取った。
山頂付近の石垣
それは処刑場があった江戸期より更に昔のこと、、大型の船に乗って人々は自由に海を渡り、大陸との交易を行い、時に武装して他の勢力と交戦もしていた。
-山奥を歩いているのに、何でそんなことを想像するのだろう?
「これは完全に気の迷い」
として、獣道のような旧道を更にゆく。
山頂付近になってくると、もう足場が道だか段々畑の段差だか何だかわからなくなっている。
私自身もここまで来たら、もうどの道を伝ってここまで辿り着いたかまったく覚えがない。
帰りはどうしよう、・・・まぁいいか、下っていけばどこにでも降りられるだろう。それよりもこの「物語の臭い」だ、山頂に近づけば近づくほどそれは濃厚になってゆき、空想で思い描いているものの輪郭が、徐々にその形をあらわにしているような気にさえなる。
また、空気がパッと変わって、山頂とおぼしき場所へ出た。
驚くほど何もない、ただの「山奥」である。
さっきまでの「空想」に従えば、ここに道祖神らしきもののひとつでも出てきておかしくはないのに、まぁそんなものか・・・。
やや気が抜けた私の視界に「はい、ご苦労さん。ここまでよく来たね」とばかりに、何故か石垣のようなものが飛び込んできた。
「あっはは、ここまできて段々畑かよー」
と、笑いながら脱力して、その石垣の傍らに座って持参したお茶を飲んだ。
気が抜けたらすぐに下山しなければならない。
石垣はどういう訳か
「ウェルカムだよ、何でも訊いて」
というような感じであったが、言っても石垣である。
好意はありがたいが、この気の抜けた状態で山奥にいると、こんな生身の貧弱な人間は迷子になって最悪遭難してしまう。
では、ご免!
と、私はとりあえず道なき斜面の「下り」をひたすら滑走して帰路に着くことにした。
帰りは来た時以上に「道でないところ」をひたすら駆けた、というより滑っただけであったが、勢いが付いていたので、来た時よりも順調に下山することが出来た。
最初の「山の探検」は、このようにして無事終了したのだが、後日復習のために図書館へ行って資料を当たっていたら、実は「あの石垣」こそがあの山で最も重要なものだったと知って、私は驚愕するのである。
「奄美の歴史探索の旅 4」につづく
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)