東北ジャズ紀行/一ノ関「ベイシー」
2018/06/28
伝説のジャズ喫茶ではあるが……
7月の連休を利用して、東北旅行をしてきた。
旅の合間のちょっとした時間を縫って、一ノ関に立ち寄った。目的は、もちろんジャズ喫茶「ベイシー」だ。
音の良いジャズ喫茶として、ジャズマニアやオーディオマニアの間では、もはや伝説にもなっているほどの店で、毎年、全国からジャズ&オーディオ行脚でこの店を訪れる人が後を立たない。九州からやってくる人もいるという。
このジャズ喫茶は、エルヴィン・ジョーンズや、カウント・ベイシーなど、ジャズの大物が訪れる(訪れた)店としても有名だ。
また、ジャズマン以外にも、タモリや阿佐田哲也や桃井かおりなどのジャズ好きの芸能人、有名人が来たこともある店としても有名だ。
もっとも、「ベイシー」についての本を作ろうと思い、マスターに電話をしたある編集者の話によると、電話口のマスターは「うちの店には、誰々が来た、誰々も来た、あいつは何回来た、やつは毎月来る」と有名人の自慢話ばかり長々とされたので、本を作ろうという熱が一気に冷めて、気持ちが萎えてしまったそうだが……。
また、私の場合は、以前も「ベイシー」を訪問しているが、そのときは訪問前から、あまりいい記憶はなかった。
その時は、初めての訪問なので、本数の少ない各駅停車を利用した「みちのく一人旅」のコースに「ベイシー」訪問を絡めようと思って私。
だから、せっかく訪問しても店が閉まっていたらイヤなので、前日の夜に、茨城県から店に電話をして開店時間を尋ねたのだ。
すると、おそらくは店主の菅原氏だと思うが、無愛想な声の男性が電話口に出て、開店時間などない、適当だみたいなことを聞きとりにくい声で言う。
私はもう少し粘ってみて、午後の2時頃なら空いているかどうかを質問してみたが、「わからねー」の一言。
少々ムッときたこともあり、さらに喰い下がるしつこい私。
そもそもおたくの店は明日営業する予定があるのか、昼から営業の店なのか、それとも夕方から開店する店なのか、それぐらい教えてくれてもいいではないかと畳みかけるように質問をしたが、先方もムッときたらしく、東北弁まじりの引きずるような低い声で何か言ってきたが、残念ながらあまり聞きとれなかった。
結局、翌日の午後2時以降に営業するのかどうかわからないまま電話は終了。
結局、翌日は午後2時前後に店に行ったが案の定店は閉まっていて、少し離れたスーパーの書籍売り場で1時間ほど時間を潰してから再度訪問したら開店していた、ということがある。
さて、今回も東北旅行を絡めての訪問だが、私が一関に到着したのは、午後の2時過ぎだった。
タクシーに乗り、「ベイシー」へ向かう。
一ノ関の駅前に泊まっているタクシーは、一言「ベイシーへ」と告げれば、それ以上の説明は不要。黙って店の前まで運んでくれるのだ。
ワンメーター分の料金なので、場所は駅から微妙に近いといえば近い。
いったん道を覚えてしまえば、それほど難しい場所に位置しているわけではないが、初めて訪問するときは、やはりタクシーを利用したほうが迷わずに無難だと思う。
私が今回タクシーを利用したのは、暑かったから。
今回のベイシーは開店していた。
しかし、開店して間もない店内には、音楽が流れていなかった。
しかも、店内のレイアウトがいつもと違う。
グランドピアノ、ドラムセットが並行にならび、テーブルが店の隅に積まれてしまい、店内は、ほとんど椅子だけ。
ウエイトレスの女性が「今日はライブの日なんですよ。マスターが戻ってくるまで音楽はかかりませんが、それでも良いですか?」と尋ねてきた。
せっかくの途中下車の訪問なので、引き返すのが勿体ないと思った私は「もちろんです」と言い、カウンターの前の大きな丸テーブルに腰掛けた。
「今日は誰のライブがあるのですか?」と尋ねると、ジミー・スコット(vo)のライブがあるとのこと。
「是非、いらしてくださいね」とチラシを渡された。
チラシを見ると、開演が午後の8時で、入場料がフリードリンク込みで、1万5000円。
「おおっ、ブルーノート東京より高いぜっ!さすがコーヒー一杯が800円のベイシーなだけあって強気な価格設定だなぁ」と一瞬思ったが、出演者に払うギャラや交通&宿泊費を考えると、これぐらいの値段じゃないとペイできないのだろう。
なにせ、場所は東北の一地方都市だし、都内のライブハウスほど店が広いわけでもないから、入場出来る客の数にも限りがあるしね。
私はガランとして音楽のかかっていない店内で、ボンヤリと煙草を吸いながら、持ち歩いているiBookを起動させた。
客のいない店内、それでも従業員の人々は、ひっきりなしにかかってくるおそらく今夜のライブの問い合わせであろう電話の対応や、店に今晩のチケットを買い求めにやってくるお客さんの対応、それに椅子の数やテーブルのレイアウトなどで忙しそうだ。
余談だが、岩手に住む私の再従妹(はとこ)も、学生時代に、このような「ベイシー」のイベントの手伝いをしたことがあるという。
本人はノーギャラだったので「手伝わされた」と言っていたが……。
なにせ、狭い町だし、「ベイシー」でライブのある日は、町には余所から多くの客が訪れるので、地域は「ベイシー」に対して協力体制になるようなのだ。
たまたま従妹の通う中学(高校?)のクラスか部活の生徒に「協力」の白羽の矢が当たり、店のテーブルや椅子を運んだりする手伝い(女子はお茶くみなどの手伝い)をしたことがあるようなのだ。
「どうだった?」と聞く私に、いつもは温厚な再従妹が、珍しく怒りをアラワにして、以下のようなことを言う。
「働け!と友達がコップから水をかけられた」
「こちらはタダ働きしているのに、ねぎらいの一言もない。“それが当然”と言わんばかりの態度に腹が立った」
のだそうだ。
「でも、ベイシーという店は音が良くて有名で、タモリのような芸能人もよく来る店なんだよね?」と私が聞くと、「有難がっているのはトーキョーの人だけだよ」という。
トーキョーのジャズ好き連中が、たまに一ノ関にやってきて持ち上げるから、マスターも勘違いしてフンゾリかえって偉そうな態度になるんだと、まるでトーキョーの私に恨みでもあるような口調になってきたので、慌てて話をそらした記憶がある。
また、就職後も、一ノ関の、あるお寺の娘さんが東京でデザイナーをやっていたので、彼女と何度か仕事をしたり飲みに行ったりしたことがあった。
そのとき、一関の話になった際は、「ベイシーってジャズ喫茶有名だよね?」と聞いてみたら、「そりゃもう、父とマスター知り合いだからね」。
再従妹から聞いた話はせずに、「どんな店なの?」と聞いてみると、「地元の人はあまり行かない店。来るのは東京の人や、一関以外に住んでいるジャズ好きだけ」とのこと。
「ま、地元は地元で色々あるんだけどね」とウインクをして、それ以上は何も話そうとしなかったので、私もそれ以上は聞かなかった。
彼女と再従妹、つまり地元の人が抱くイメージと、なかば伝説の土地の伝説のマスター的な描かれ方をしている村松友視の『ベーシーの客』読者が思い描くイメージとでは、かなりの温度差があるということだけはわかった。
さて、音の無い「ベイシー」のテーブルに腰を落とした私は、マックに向かって、夏に新しく始めるメルマガのネタを思いつくままにパチパチとメモをしていた。
しばらくするとマスターが店に戻ってきた。
いつもより少しだけゴキゲンなご様子。
カウンターにいる女性たちに、
「今日のライブはいいぞ。俺は顔をみれば分かるんだ。今日の彼らはゴキゲンだ」
「奴らは今日は全員タキシードで出るんだとさ。いいねぇ、たまにはこういうのも」
などと言いながら、くわえ煙草で、カウンターの横にあるコピー機でチラシかなにかのコピーをとったりしていた。
しばらくすると、マスターは、セッティングされたドラムセットに腰掛け、ドラムを叩き始めた。
村松友視の『ベーシーの客』という、ベイシーにちなんだ短編小説集を読むと分かるが(小説のタイトルの表記は“ベイシー”ではなく“ベーシー”)、マスターは学生時代は早稲田のハイソに所属していたビッグ・バンドのドラマーだったのだ。
ベイシー楽団にいたソニー・ペインがアイドルだったようだ。
私が発行しているジャズのメルマガの読者の何人かの方からも、“ベイシーに行ったら、マスターがレコードに合わせてドラムを叩いていた”というメールをいただいているので、店ではドラムをよく叩くのだろう。
私はその場に居合わせたことが無かったので、はたしてどんなドラムを叩くのか、ちょっと楽しみだった。
高田馬場のジャズ喫茶「イントロ」の茂串マスターのようにスピード感のある玄人はだしのドラムだといいのにな、などと期待しつつ、視線はパソコンのモニター、耳はしっかりとマスターのドラムを追いかけていた。
ベイシーのマスター、最初はチューニングがてらタムやスネアなどの太鼓を一個ずつとトコトコと叩いていたが、やがてドラムソロに。
もちろん、プロほどの腕前は期待できないが、ゆっくり目のテンポで、“ンドコドコドコドコ!”とタムを連打する姿は、なかなかサマになっているし、リズムも腰の据わった安定したリズムだと思った。
シンバルはあまり鳴らさずに、スネアやタムを連打しながらのソロをひとしきり取ったあと、ようやくシンバルレガートがはじまり、ミドルテンポの4ビートを刻み始めた。
シンバルの刻み方や、オカズの入れ方が、ちょっと古いスタイルで、ワンパターンなところが微笑ましかったが、そんな私の気持ちを察してか、それとも単なる偶然か、すぐにシンバル・レガートを止め、再びタムタムをトコトコと叩きはじめた。
マスター、ひとしきりドラムのソロを終えた後は、カウンターの中に入り、ようやくレコードをかけ始めた。
すでに店内には数人の客が来店しており、そろそろレコードをかけないとマズいと思ったのかもしれない。
ま、そりゃそうだ。
午後の早めの時間帯に来る客は、今晩のトニー・スコットのライブ目当てではなく、“ベイシーでかかるジャズを聴きに”に来ているのだから。
かかったアルバムは、ケニー・バレルの『アット・ザ・ヴァンガード』。
1年前にベイシーを訪問したときも、このアルバムがかかっていた。
よっぽどのお気に入りなんだろう。それとも単なる偶然か?
たしか、前回も、開店直後のタイミングでこのアルバムがかかっていたので、店のオープニング用のアルバムにしているのかもしれない。
《オールナイト・ロング》、《ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン》と、ゴキゲンで渋い演奏が続くなか、4曲目か5曲目にさしかかると、マスター、再びドラムセットに腰掛け、レコードに合わせてリズムを刻みはじめた。
先ほど叩いていたワンパターンなオカズ入りの4ビートだったので、リズムはレコードと合っているんだけど、テイストが全然合っていない。
さすがに、ロイ・ヘインズにはなりきれない!?
しかも、レコード中、ドラムとギターの4小節交換(4バース)になったところにいたっては、レコードのドラムソロに合わせて叩いているつもりが、あまりにも調子っぱずれな太鼓だったので、マスターには悪いが、私は笑いを堪えるのに苦労した。
どうも、店内で鳴っているジャズのサウンドを浴びることが目的で立ち寄ったつもりが、マスターのドラム・ショーを鑑賞するハメとなってしまい、加えて、その日の夜のライブのことで店の中も慌ただしかったので(渡す花とか、トイレに飾る花とか、椅子の数が足りる・足りないないとかでひっきりなしに業者が出入りしていた)、落ち着いてジャズを鑑賞出来るような雰囲気ではなかったので、『アット・ザ・ヴァンガード』の片面すべてが終わる前に、私は店を後にした。
今度は、ライブの無い日に訪問し、ゆっくりと大音量でジャズを味わいたいものだと思った。
メルマガ配信:2003/07/19
加筆修正:2003/07/20
追記
久々にケニー・バレルの『ヴァンガード』を自宅でかけてみたが、ベイシーで聴いたときのような迫力あるノリノリのサウンドではなく、なんとなく全体的に薄ら曇ったボンヤリなサウンドに終始していた。なんかドラムもギターも元気が無い。地味な演奏で、ベイシーの音とはずいぶん違うなと思った。
記:2004/07/20