ベース・オン・トップ/ポール・チェンバース

      2022/01/30

年とともに聴きどころが変わる

チェンバース21歳の頃のリーダーアルバムだ。

初めて聴いた時から、既に10数年経っているが、このアルバムほど、聴くポイントがコロコロと変わったアルバムもない。

最初はケニー・バレルに惹かれた。

ベーシストのリーダーアルバムだから、本来ならベースの音にもっと耳を澄ますべきだと思いつつも、やはり《ディア・オールド・ストックホルム》の艶やかなギターについつい聞き惚れてしまっていた。

ギターやピアノのソロに比べ、チェンバースの長めのソロが、むしろ疎ましく思ってしまっていたほどだ。

次に、ハンク・ジョーンズのピアノ。

気が付くまでには時間がかかったが、彼は素晴らしいサポートをしている。

ツボを押さえた、あくまで主役を立てるサポートゆえ、初心者にとってはトミー・フラナガンと並び「聴こえないピアノ」の代表格とも言えるハンク・ジョーンズだが、聴こえないピアノが聴こえてくると、彼の趣味の良いピアノの心地よさはなかなかクセになる。

控えめでさり気ないバッキングは細かいところまで神経が行き届いているし、ツボを押さえた淡泊なピアノソロも味わえば味わうほど深い。

ベースを始めてからは、チェンバースのベースの音にばかり耳が吸い寄せられた。

その頃は、まだエレキベースしか弾いていなかったが、《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》のテーマやベースラインは夢中になってコピーしたものだ。

耳で聞くだけではなんとも思わなかったちょっとした旋律も、実際自分が楽器を手にしてチェンバースが弾いたラインをなぞることによって、随分とベースの「歌わせ方」の勉強になった。

そして、ようやく《イエスタデイズ》。

ウッドベースの弓を買い、実際にアルコ奏法をしてみて、はじめて《イエスタデイズ》の表現の深さが分かったような気がした。

正直言って、アルコ弾きに興味を持つまでは、なんて汚い音なんだろうと思っていた。ピッチも甘いような気がするし、なんだか辛気くさい演奏だなぁと、一曲目のこの曲を飛ばして聴いていることも多かった。

ところが、実際自分がアルコ奏法をやり始め、この奏法の難しさを身をもって知ると、今までの評価が一変してしまった。

アルコの難しさを知り、自分の技量に比してチェンバースが「上手い」から、《イエスタデイズ》が良く聴こえたということも確かにあるが、それだけではない。

きっと、今までは真剣にこの曲に耳を傾けていなかったのだろう。

自分がアルコを始めることによって、今まで以上にアルコで演奏された曲に興味を持つようになった。そして、「アルコ耳」で真剣に聴いた結果、初めて《イエスタデイズ》の良さが分かるようになったのだと思う。

感受性の優れた人は、楽器をやらずとも、演奏者の表現力の凄さを直感的に理解出来るのだろう。しかし、私のような鈍い人間は、楽器をやって初めてジャズマンの表現の凄さを発見することも多いのだ。

ギター、ピアノ、ベース(ピチカート)、ベース(アルコ弾き)といった順番で、一つの楽器の「ピックアップ聴き」が続き、最近久しぶりに聴いてみたら、ようやく、“ピックアップ聴き”ではなく、全ての楽器の音が一つに溶けこんで、ようやく「音楽」として自分の頭の中に入ってきた。

今では、ケニー・バレルのギターも、ハンク・ジョーンズのピアノも、チェンバースのピチカートもアルコも、すべて等しい音として、私の耳にスルリと入ってくるようになった。

こうなるまでには、随分と長い時間を要したものだと思う。

記:2002/08/25

album data

BASS ON TOP (Blue Note)
- Paul Chambers

1.Yesterdays
2.You'd Be So Nice To Come Home To
3.Chasin' The Bird
4.Dear Old Stockholm
5.The Theme
6.Confessin'
7.Chamber Mates

Paul Chambers (b)
Kenny Burrell (g)
Hank Jones (p)
Art Taylor (ds)

1957/07/14

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八神かかしさんからのコメント

ポール・チェンバース。彼は素晴らしいベーシストですよね!
それは絶対的に間違いないところなのでありますが、伴奏に徹して、その上で、徹しきったところでさりげなく「あれっ、このソロって、もしかしたらすごいよね」と思わせるのが、ベースという役割からしたらやっぱ一番いいのかな、なんてことも同時に思うわけであります。
言わずもがな、なんでしょうけれど、チェンバースも当然その部類なのでしょうし、リンク先にあったチック・コリアが雇っていたベーシストたちも同じようにその範疇に入ると思いますが、ソロをやっても『聴かせるソロ』が出来るベーシストって、極めて稀な存在なのかもしれませんよね!!
その意味で言えばロン・カーターの場合なら、自分が主役になったような録音は、私の好みだけかもしれませんが、あまりを聴きたいとは感じさせない半面、裏方に回った時は唸らせる存在。
ダク・ワトキンスのようなベーシストは、自分はあえて前面に立たないことで、そしてぶっとい音を鳴らすことで自身の存在感を表現するベーシストなのかな、なんて気がします。
伴奏楽器であるからこそ感じられる味わいがベースという楽器にはある、な~んてことを思ったりして。

2014年5月6日 9:34 PM

私からの返信。

ベーシストによって色々立ち位置が違いますね。そのベーシストが意図した立ち位置と(意識していない人も多いと思います→出来ることだけをやる人とか)、出てくる音が一致していると、やっぱり聴いている者としては至福のひと時です。
>その意味で言えばロン・カーターの場合なら、自分が主役になったような録音は、私の好みだけかもしれませんが、あまりを聴きたいとは感じさせない半面、裏方に回った時は唸らせる存在。
私もまったく同感です。特にマイルス・デイヴィスのクインテットにいたときの伴奏は、本当にアイデアの宝庫です。でも、主役になった途端、ヘロヘロ……。
これもベーシストが意図した立ち位置と、音として出てきて我々が感じるギャップなんでしょうね。
本人がやりたいことと、結果は違うことが多い。一致すると素晴らしいのですが、やっぱりそれは稀なのかも。
(ロン・カーターの場合は「あのマイルスのバンドにいた人だから」ということで好きなことをやらせてもらえたのでしょう。通常であれば、「あのソロ」はありえない・苦笑)
だから、客観的にその人の資質を見抜いて「君はこうしろ」「君はこういうことやりたいんだろうけど、ここではこうしてね」とアドバイスしてくれるリーダーやプロデューサーの存在は重要なのかもしれません。皆、自分のことはなかなか客観的に見れませんから。
たとえば、歌手のJUJUも、自分が得意なビブラートをプロデューサーから封印された曲でヒットを出してますから、自分のスタイルを押し通すことも大切なこだわりだと思う一方で、第三者目線からの客観的なアドバイスに素直に耳を傾ける謙虚さも必要なのではないかと思います。
かといってそのアドバイスとて的を射ていないこともあるかもしれないから、なかなかそのバランスは難しいですね。

2014年5月7日 9:26 AM

 - ジャズ