オイラは飲み屋のベース弾き

   

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酒場の喧騒の中でブルースやジャズを演奏する姿って、なんだかカッコいいものがあります。

憧れる気持ちは確かにあります。

しかし、なりたいとはあまり思いません。

なぜなら、私はそういう場所で演奏するよりも、演奏を聴きながら酒を呑むほうが気持ちいいからです。

しかし、私は中途半端にピアノやベースが弾けるため、ときおり、楽器の置いてある店で演奏をすることがあります。

いや、ときおりじゃないな。最近はしょっちゅうだな。

カウンター座っている時間よりも、ベース弾いている時間のほうが長いもんな。

もちろん、演奏している間は楽しいです。

でも半分は楽しくないこともあります。

それは、共演者次第ということなのですが、ようするに、酔っ払った客と演奏する場合って、結構、相手に気を遣うからです。

演奏のペースや主導権を握っているのって、じつは一番酔った人なんですね。

いちばんヘタれた演奏に皆が合わせるわけだから。

でも、勉強にもなります。

まず、転調が多いこと。

とくに、ギターをやっている人に多いのですが、有名な曲を“自分キー”で覚えている人が多いんですね。

つまり、解放弦の多いAとかEといった#系のキーで曲を覚えている人が多い。

一方、私の場合はジャズからベースを始めてますから、演奏する曲も指のクセも管楽器のキーにあわせたジャズの曲には多い♭系のキーで曲を覚えていることが多い。

さらに、女性ヴォーカルの場合は、ほぼ100%の確率で何度上げてとか、下げてとかは言われますね。

だから、転調しなきゃいけないのです。

それも瞬間的に転調して弾かなければならない。

もちろん、転調しやすい度数の上げ下げのときもあるので、慣れれば難しくないケースもあるのですが、

やっぱり、瞬間的に転調して弾くのって辛いです。

辛いから、逆に勉強になります。

ピッタリと決まったときは、やっぱり快感です。

音を外すと目も当てられないけど。

それと、もう一つのメリットは、相手の音を聴き、なおかつ相手に合わせられる機微と臨機応変さが身につくこと。

ほら、酔っ払いのオッサンって、自分が演奏して気持ちよければそれでいいわけだから、人の音を聞いてない人が多いんですよ。

だから、「酔っ払いリズム」に合わせるだけのリズムの柔軟性と、聴く耳が養われる。

それのみならず、人の音を聴かない人でも、グイグイと引っ張ってゆくだけの工夫も考えるようになる。

昔の私は、酔っ払いが遅れてもシランプリを決めこみ、「遅れたお前が悪い」とばかりに、置いてきぼりの刑を食らわせてましたが、今ではそんなことはしません。

さりげなく、気づかれないように、酔っ払いをプッシュする方法を考えながらベースを弾くようにしています。

いまのところ、色々と試行錯誤中ではありますが、なんとなく、うまくいっているような気がします。

私が好きな漫画の一つに、柳沢きみおの『真夜中のジャズマン』があります。

真夜中のジャズマン (マンサンQコミックス)真夜中のジャズマン (マンサンQコミックス)

修羅場をくぐりぬけてきた酒場のピアニストの印象に残るセリフがたくさんあるのです。

2つ抜粋してみます。

「酒場のピアノはあくまで酒のつまみだ。自己主張してはいけないと言ってただろ?あれじゃコンサートだ」

「俺達酒場のジャズマンはあくまで黒子に徹する。ライブハウスでの演奏の逆で、けっして熱演してはいけないのだ」

うーん、そうなんだよ。

ま、私の場合は飲み屋で演奏するのは、ジャズばかりではないけれども、普段伴奏している曲に置き換えて考えてもまったく同じことが言える。

歌うお客さんの伴奏をするギターやピアノも同じことで、あくまで歌い手を引き立て、喜ばさなきゃいけない。そのギターやピアノを支えるベースは、なおさら自己主張をしてはいけないのです。

もっと正確に言うと、自己主張しないふりして、さりげなく、演奏のイニシアチブを握ることが肝要なんですけどね……。

よく、これみよがしに、スラップ(ちょっぱーのことです)をビシバシやったり、ハイポジションでソロっぽいことやるベーシストもたまにいますが、みっともないですね。

一つに、オレはこれしか出来ないという自分のボキャブラリーの乏しさを自ら物語っているようなものだから。

テクニックを凄いと思われたいのなら、テクニック重視の“ひゅーじょんバンド”でも組んで、ライブで陶酔しなさい、って感じだよね。

最初から土俵が違うんです。テクニックで客を喜ばせるさせるショーじゃないんだからね、飲み屋でベースを弾くってことは。

二つに、TPOをわきまえなさいって感じだよね。

空気を読んで、それに相応しい受け応えをするのは、会話も音楽も一緒。

ましてや、会話のように内輪だけではなく、他のお客も聞いている中での出来事なんだから、その瞬間瞬間にもっとも相応しい音色やプレイをして、出来るだけ最大多数の快楽を提供しなければならないわけですよ。

テメエの発表会を聞きにお客は店にお金を払っているわけじゃないからね。

もっとも、控えめ、かつ当意即妙な伴奏の出来る人は、それなりに修練を積んでいないと無理なのかもしれない。

最近、それは強く感じます。

当たり前だけど、我々アマチュアは自分の狭い引き出しの中から出したものでしか表現出来ないわけです。

つまり、会話と一緒でさ、ボキャブラリーや話題の豊富な人ほど、相手に話しを合わせられますよね。

語彙も話題も貧弱だと、ある一定の話題には強くても、全天候型的にその場その場の話題についてゆくのは難しいように、楽器演奏も、やっぱりキャリアや技量がモノを言う世界ではありますね。

だから、勉強にもなるし、訓練にもなるんですね。酒場の楽器演奏は。

さて、演奏そのものとは関係ないけれども、この『真夜中のジャズマン』という漫画の中で、私が気に入っているカウンターごしのマスターとピアニストとのやりとりを転記して締めくくりましょう。

「ねータカさん、人生で一番大切なモノ何かわかる?」

「金と言ったら当たり前すぎるし、何かなぁ」

「いやもっと当たり前なことだよ」

「何かなァ」

「愛ですよ。これを言うと日本人の大多数はシラケますがね。なんか愛ってテレくさいモノとされてて。悲しいかな我々日本人は生きるだけでせいいっぱいで、ソレに気づく前に人生おえちゃっているんですよね。

……でも地位や名誉を手に入れた人は次は愛に目を向ける。気づくわけよ ソレに。

愛に飢え、しかし得られない。なまじっか気付いたばっかりに悲しみに暮れる。皮肉だよねェ。

日本人がこんなふうになったのは愛が無いからですな。

愛は植物にとっての水ですよ。ソレがないと枯れてゆく」

うーん、そのとおりだと思います。

別の日のマスターのセリフも引用しちゃおう。

「好きな仕事につけ、いい女とやれたら… もうそれ以上の幸せを望んじゃバチが当たるってもんだよね。

でも男のダメなところで、そのふたつがせっかく揃っても、また更にその上を欲しがっちゃうのよね。

で、結局全部無くしちゃう…バカだよねェ。

でも…ま、コレでいいんだよ。“あ~~またバカやっちゃった”ってヤツでさ。心から自分をバカに思う。そういうのが男の人生の味なんじゃないかな? 全てがエリートじゃすごくつまんないじゃない」

……うん、まったく心底そのとおりだと思いますですよ。

マネーゲームに明け暮れ、金銭的な成功をおさめている人からしてみれば、「負け犬の遠吠え」に聞こえるかもしれないけれども、だとしたら、私は喜んで「負け犬」になりましょうじゃないの。

というか、そもそも私は自分と他人を比較して「勝った」「負けた」と比較する神経構造が皆無なんですけどね(笑)。

自分の楽しいことにお金と労力と時間を全力投入している人だから。

いい音楽聴けて、楽しく音楽弾けて、いい酒でいい気分になれる。

シンプルで素朴過ぎるかもしれないけれども、私にとっては、幸せで大切なコトの一つです。

記:2006/03/03(from「ベース馬鹿見参!」)

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