エレキベースとウッドベース
気持ちがエレキモードのときはエレキベースばかり弾くし、ウッドモードのときは、ウッドばかり弾いています。
仮に、ジャズっぽい音楽じゃない場合の演奏でも(たとえば、椎名林檎のコピーをオフ会やライブでやるとか)、気持ちがウッドだと構わずウッドベースを弾くし、逆に、エレキに気持ちが熱中しているときは、ジャズを演奏するときも、エレキで弾きます。
ウッドベースの楽しさは、一にも二にも「弾いている!」というタフな手ごたえと実感があること。
だから、エレキのときよりもソロを弾くときなどは、結構冒険をすることが多いです。
逆に難しいのが、音程。
とくにライブなど、人前で演奏する行為に熱中してしまうと、もう音程のことなど意識があさっての方向に。
それに照明浴びると、けっこう熱いし汗かくし、汗かくと弦の上で手がヌルりと滑って、音程が狂うし、と、なかなかいつも音程の悪さには泣かされています。
ま、これは一生の課題でしょう。
少しずつ克服してゆきたい。
エレキの場合は、ウッドに比べてサウンドの輪郭もハッキリしている上に、軽い力で弾けてしまうので、逆にあまり冒険はしない弾き方に最近変わってきました。
漲る情感をどれだけ内部に押さえ込み、ストイックに、ストイックに、弾きすぎず、目立ち過ぎず、でも存在感だけは聴衆に感じてもらう。
ウッドに比べると簡単に弾けてしまうゆえ、ついつい饒舌になってしまうのを防ぐため基本は人差し指の一本指奏法が中心。
素晴らしきグルーヴ・ベーシストのチャック・レイニーや、ジェームス・ジェマーソンも一本指奏法ですが、特に真似をしているというわけではありません。
結果的に一本指に行き着いたという。
で、たまたま私の好きなベーシストの奏法も1本指だった、ということです。
私は長いことピアノをやっていました(ヘタですが)。
そのせいかどうかは分かりませんが、ベースでフレーズの組み立てるときは常に鍵盤が後頭部に薄ぼんやりとイメージされます。
そして、指で鍵盤を押すイメージ、いや鍵盤に指を振り下ろす前に“ド”とか“レ”と心の中で歌うイメージでベースを弾いています。
ピアノを弾くときもそうなのですが、どんなに簡単な曲でも、階名を心の中で歌えないと弾けないのです。
たとえば、ルート弾き中心の曲でも、
ラララララララララララララララララララ……
みたいに弾くときに心の中でこのような階名が歌えないと絶対に指が動かない。
あ、いや、動くんだけど、心ここにあらず、って感じの空っぽな音になってしまうような気がする。
逆にいえば、頭の中で歌える曲は弾ける、歌えない曲は弾けない、のです。
だから、初見の曲の場合も、渡された譜面を演奏直前にさっと俯瞰して、歌える箇所を少しでも多く探そうとしますね。
で、心の中で歌ってみる。歌えれば、その演奏はだいたいうまくいきます。
ま、私のベースは、こんなスタイルです。
何人かの人に「歌うベーシスト」と呼ばれたことがあったのですが、その人は、とても私のベースをよく聴いてくれているんだなと思い、感激しました。
もちろん、歌うベーシストといっても、歌いながらベースを弾くことは苦手です。
ラインに歌を込めるということですよ。
って、それぐらい分かるか(笑)。
記:2006/03/12(from「ベース馬鹿見参!」)