血液型の会話に水をさすヤボな人種
2022/01/09
膨大なデータから一定の法則性を見つけ、市場分析などに役立てることを「データマイニング」という。
たとえば、最近テキサス大学の教授らが、「一人称で詩を書く人は自殺しやすい…?」という仮説を立てた。
18人の詩人(うち9人が自殺)が詩に使った言葉を分析し、自殺した詩人は一人称の使用が多いほか、「話す」「聞く」など意思伝達にかかわる言葉をあまり使わない傾向があったという。
果たして、この結果から「一人称を使う詩を書く人は自殺する傾向にある」と断言できるかどうかは疑問だ。
サンプルが少なすぎるかもしれないし、この結果を「多い」とするのか「少ない」ととるのか、それとも「関係ない」と判断するかは、分析する人間や受け手の判断に左右される。
それに「相関性」と「因果性」に関しても分けて考えなければならないし。
血液型の話題も似たようなものだ。
「血液型と性格の間に関係があるのでは」という仮説は、昭和初期に日本の心理学界内部(古川竹二)から出され、盛んに研究対象となった説だったのだが、関係があるという仮説が支持されないので、一度立ち消えになった。
そして戦後、その説を受けた能見正比古が、昭和46年に『血液型でわかる相性』という本を出版した際に初めて登場した言葉が「血液型性格判断」。
この本はベストセラーとなり、マスコミにも多く取りあげられ、ブームとなった。
今では、我々のちょっとした日常会話に登場する話題にまで定着している。
そもそも「血液型性格判断」の考えかたは、
「血液型という人間の"材質"の違いが、複雑な性格表現に影響を及ぼしているのか、いないのか? もし傾向があるとしたら、共通した傾向や相違部分とはどんなところなのだろう?」
という仮説からスタートしている。
そう、先述したデータマイニングの考え方だ。
能見氏は、膨大な量のアンケート調査を行った。
まずは、一人一人の行動の仕方、思考の傾向をたずねるアンケートからサンプルを採った。質問項目は400にも及ぶ。このアンケートに対して、記名回答が3万以上集まったという。
次に、政界、財界、芸能界、スポーツ界などなど、専門職や特殊性の高い職業のグループを選び、血液型の分布の偏りがあるかどうかなどを調査し、最後に、血液型ごとに、ある一定の行動パターンがあるのかどうかを、スポーツ分野や幼児教育現場でサンプルを採ったという。
さらに、芸能人や著名人の結婚や離婚や犯罪などの情報は、常に入ってくるわけなので、彼らの血液型における行動の傾向や理由、動機などをその都度、丹念にファイリングしてゆくので、集まったデータは、それこそ膨大な数に上る。 このように集まったデータに対し、統計学上の有意差検定をかけるわけだ。
当然、例外も数多く出てくるし、たった4つのパターンに分類するには無理が生ずる場合だってあるわけだ。
たしか、能見正比古か、彼の仕事を受け継いだ、息子の能見俊賢の本で読んだ記憶があるのだが、当たり率は40数パーセント程度の数字なのだそうだ。
つまり、先述した詩人の自殺率と同様に、あとは受け手の受け取り方次第というわけ。
「B型の人は気分屋で、お天気屋"なのだ"」という断定ではなく、「B型の人は、気分屋、お天気屋な人が"多い"ですよ」という、あくまで「傾向」の分析なので、すべてのB型に当て嵌まる性格だと主張しているわけではないのだ。
私もB型だが、そんな、紋切り型に「気分屋」と言われてもねぇ……。
当たり前のことだが、性格というものは後天的影響によっていかようにも変化する。そして、人の性格にはオモテとウラがあるし、誰もが二面性を持っている。
たとえば、「粘り強い」人にも、「飽きっぽい」一面があったりする。言葉の上では矛盾しているが、すべての面において「粘り強い」人のほうが珍しいし、「粘り強さ」と「飽きっぽさ」が現れる気質部分が違っている場合だってあるのだ。「継続的努力への耐久性」としての粘りがあっても、「興味集中力の弱さ」としての飽きっぽさがある人だっているかもしれない。
分かりやすく言うと、ものごとの完全さや完成を目指すときには粘り強いが、同じことにはなかなか興味が長続きしないという面では飽きっぽいということ。こういう人がいたっておかしくないわけで。
むしろ、能見正比古が400もの質問項目を設けて3万以上の人からアンケートを採った理由は、そちらの矛盾する気質部分を解析することの目的の方が強い。
つまり、一言で、「A型は神経質」と片づけるのではなく、A型の持つ性格の変動制や多重構造を探ることなのだ。
せっかくだから、一見矛盾するような「局面ごとに現れやすい相反する傾向」を書いてみよう。
O型は、一般には情緒安定。しかし、プレッシャーが高まって追いつめられた状態になり、限界を越えると、突然に乱れメロメロになりやすい。
A型は、O型とは逆に心配苦労性の人が多い。しかし、ある限界を超すと突然開き直って落ち着いて冷静になる傾向が多い。
B型は、気分屋で一般に感情が揺れ動く人が多い。
しかし、そのゆれ動き方は、プレッシャーがあろうが、なかろうが、ほぼ一定で、ある意味では一番情緒安定型。
AB型は、極めて冷静でクールな面と、突発的気まぐれな面があり、時に応じて、その二面をスイッチしている感じ。
これが、膨大なサンプルから導き出された「傾向」だ。
「情緒安定」と「メロメロ」は明らかに正反対な状態だが、どんな人だって、矛盾する感情や行動の傾向は有する。
そして、これらの分析結果は、あくまで「傾向」なので、ハズレている人だって多いハズ。前にも書いたように、当て嵌まり率は、50パーセント以下なのだから……。
この数字から、分析結果を無視するのも、知っていて損はない予備知識として一応は耳を傾けるのも、あとは当人の問題になってくるわけだ。
さて、私が、なぜ、こんなことをつらつらと書いたのかというと、酒の席で血液型の話題になると、必ず「科学的根拠が無い」だのとしたり顔で抜かす輩が、少数ながらいまだにいるからに他ならない。
やれ、「A型だって、1000種類以上に分類されるんだぜ。たった4つの性格に当てはめられるワケないだろ(←誰がきっちり4つに当て嵌めた?)」とか、「血液型、血液型と騒いでいるのは日本人だけだぜ(←そりゃそうだ、日本人が始めた研究なんだから。知らない、故に、騒いでいない欧米人のほうがエライのか?)」などなど。
ここまで読んでくださった方なら、もうお分かりだと思うが、「信じる・信じない」「当たる・当たらない」などといった突っ込みは、まったく的ハズレな指摘なのだ。
しかし、それ以前に。
幽霊やUFOや超能力の話も同様だと思うが、たとえ「非科学的」なことでも、たとえ自分は信じていなかったとしても、盛り上がっている「場」に水を差すのはどうかと思う。こういうのって、はっきりいって、すげぇ野暮。
血液型の話題で盛り上がっている人だって、全員が全員「血液型性格判断」を100パーセント本気で信じているわけでもなかろうし、深刻に話しているわけでもなし、会話のキッカケ、会話の潤滑油に過ぎない。
天気の話題と同様に、誰もが一応は「そこそこ話せて、まったく興味が無いワケでもない」程度の話題だ。
興味の無い人からしてみれば、まったく会話が不可能な、映画や音楽やスポーツや株価などの話題よりも、汎用性の高い貴重な話題の一つだと思う。
軽い気持ちでの話題振りにはもってこいな話題なのだ。
会話の取っかかり。そう、ジャズで言えば「テーマ」のようなもの。あとは、どう展開させるかは、めいめいの話術いかんなのだ。
こんなこと言って座をシラケさすような馬鹿野郎とは同席したくないので、私はあまり大勢では飲みには行かないことにしている。
大勢で飲んだ方が楽しいという人も多いが、私の場合は、人数が少なければ少ないほど良い。6人がきっと限界だろうな…。
だから、合コンにしたって、今まで1回しか経験がない。
しかも女性も男性も全員知っている人たち。つまり幹事ネ。
この文章も、べつに血液型の話題に水を差された腹いせに書いているというわけではい。
盛り上がっている話題に水を差したり、大筋では意味が通じているのに、細かな単語や固有名詞の間違いを指摘して悦に入ったり(間違い指摘するのはいいんだけど、続きの会話が無いんだよな、こういう手合いって)、会話の揚げ足を取ったりといった野暮な野郎が、一人でもこの世の中からいなくなって欲しいという願いを込めて、たまたま血液型を題材に選んだだけの話。
会話に水を差すヒマがあったら、話題仕入れろ、話術磨け、といいたい。
記:2001/09/05