ブルースが腹の底からフッと湧いて出てきた
先日、半年ほど前に買った下駄の歯が擦り切れてきたので、新しい下駄を新調しました。明るい日差しの午前中、ゴキゲンな気分で自転車をこいでいると、自然に鼻歌がこぼれ出てきました。
ブルースでした。
とめどもなく、次から次へとブルースの旋律が出てきたのです。
ブルースとしか言いようのないメロディ。
ブルースとしか言いようのない節まわし。
これらが、収拾がつかないほど、どんどんと勢いよく鼻歌となってこぼれ出てくる感じ。
お腹のあたりの臓腑の奥の奥から出てくるといった感覚。
いままでの人生の中で、少しずつ蓄積されたブルーな要素が、一気に音に変わって溢れてきた、そんな感覚でした。
もちろん、私はブルースが好きだから、昔から、ピアノやベースでブルースを弾いていました。
しかし、先日の自然にどうしようもなく身体の中から自然発生的に溢れてきたブルースに比べれば、今までの私が演奏したブルースなんて、たんなる頭の知識を指先の運動で誤魔化していただけなんじゃないかとすら思えてきました。
冷静に分析してみると、私の鼻歌のメロディは、ブラインド・ブレイクだったり、ビッグ・ビル・ブルーンジーだったり、リロイ・カーだったり、メンフィス・ミニーだったりと、大好きなブルースマン(ウーマン)が歌っていたフレーズの断片が見え隠れする。
Young Big Bill Broonzy 1928-1935
ははぁ、やっぱりこのあたりが自分の中に蓄積されているんだなぁと興味深かったです。
そして、これらの音が私の身体の中に蓄積、醸造されて出てきたのかと思うと、彼らのフレーズも自分の身体の一部になっているのだなと思うと、嬉しくなりました。
もっとも、もし、これを人前で歌ったりすれば、多くの人は「パクり」と感じるでしょうね。
冷静にフレーズを分析すると、感覚としては、マリーナ・ショウの《ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ》と、 桑田佳祐の《いとしのエリー》ほどの違いしかないのだからね(笑)。
でも、頭の中で記憶の中のフレーズを意図的に編集をしたりすることなしに、無防備な状態で腹の底から湧き出てきたフレーズなので、“血肉化された自分の中の歌”だと思いたい。きわめて個人的な、ね。
それに、人前で歌うわけじゃないからね。
ともあれ、ブルースは頭で考えて歌ったり弾いたりするものではなく、自然と内側から出てくるものなんだなぁということが、頭ではなく、身体の感覚で納得させてくれた、興味深い出来事でした。
記:2006/03/12