ボブ・ディランから辿る戦前ブルース
text:高良俊礼(Sounds Pal)
アコースティック
元々私は、パンクが好きで音楽にのめり込んだが、エレキギターで日頃のうさを晴らすのとは全く別の感覚で、心にじんわり響く「アコースティックな音楽」も、追い求めていた。
まだインターネットがない時代、音楽情報を仕入れるのにはとくかく苦労した時代、知ってる限りの音楽雑誌に目を通して、ちょっとでも手掛かりになりそうな記事を見つけては食い入るように読む、気になる音楽やアーティストのことは、CD屋の両親に訊いて、その人となりや音楽性を教えてもらう、というのが私の“音楽の勉強”だった。
ボブ・ディラン
父に最初に教えてもらったのは、ボブ・ディランだった。
ベスト・アルバムには最初どう反応していいか分からなかったが、丁度リアルタイムで「新作」としてリリースされた『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥー・ユー』という、完全弾き語りのアルバムが、「私の求めるアコースティックな音楽」とピッタリ符合し、とりわけ「辛い時代はもうたくさんさ・・・」と、優しく歌われる《Hard Times》という曲に、その歌詞の意味もよく分からないまま感動して、繰り返し聴いた。
ウディ・ガスリー
ディランについてはロック雑誌の記事にも「ディランはフォーク・シンガーかも知れんけど、ディランこそがロック。その反骨精神をロッカーは学ぶべし」みたいな事が書いてあり、その特集みたいなページをむさぼるように読んでいた。
ページの片隅には、「ディランが影響を受けたアーティスト一覧」みたいなページがあり、「彼に音楽面でも精神面でも最も多くの影響を与えたのが、ウディ・ガスリーという伝説のフォーク・シンガーだった」みたいなことが書いてあったように思う。
その記事によると、ウディ・ガスリーという人は、戦前から戦後にかけて活躍した人で、若い頃から季節労働者をしながらアメリカ各地を渡り歩いていたフォーク・シンガーの元祖なんだと。
彼は古いバラッドや自作曲を通じて貧困や戦争なんかを強烈に批判したり皮肉ったりした反骨の人でもあり、そのギターにはペンで「このギターでファシストを殺す」と書いてあった。というように紹介されていた。
確かそのページの中に「ボブ・ディランとブルース」みたいな項目もちょろっと書かれていて、今にして思えば、そこにブラインド・ウィリー・マクテルやブラインド・レモン・ジェファスンとかのことも書いてあったかも知れないが、私にとっては「そのウディ・ガスリーの師匠みたいな存在で、12弦ギターの名手であった黒人フォーク・シンガー、レッドベリー云々」の一文のインパクトが強烈すぎて、他の文章は記憶に残っていない。
戦前ブルース
それから私はロック(パンクとかメタルとかグランジとか)と「アコースティックな音楽」の好きなもの両方を夢中で追い続ける日々がしばらく続き、その間ニルヴァーナやロバート・ジョンソンに出会い、上京して学校で知り合った仲間とバンドをやりながらも、街に出ては古いブルースやカントリーのCDを調達してワンルームのアパートで夜遅くまで聴きまくる日々に明け暮れていた。
そんな私は、ある日突如として「戦前ブルースしか聴けない病」というのにかかった。
ある寝苦しい暑い夜に、ヘトヘトになって部屋に座り込み、薄明かりの中でボーッとレッドベリーを聴いてたら、唄と12弦ギターの音が、空間の中の何かを突き破って「ぐわぁっ!」と胸に来たのだ。
その瞬間から、「訳が分からないけど何か凄く深い音楽」と思ってた戦前ブルースが、今まさにリアルタイムで世の中を動かしてる音楽ぐらいのものに思えてきた。
以来とにかく戦前の、あのSP盤スクラッチ・ノイズがシャーシャー鳴ってる音楽を、日に一度浴びるように聴きまくらねばどうにも気持ちが収まらんようになり、アメリカの歴史、特に黒人奴隷や移民系労働者の歴史、差別問題などに関することを調べ尽くそうという衝動にも駆られた。
アメリカ 狂気の歴史
音楽の知識が深まると同時に、ブルースやジャズ、ゴスペルやヒルビリー(炭鉱で働くアイルランド系移民労働者達と黒人達の音楽の融合が生んだ、カントリー・ミュージックの前身)といった、アメリカン・ルーツ・ミュージックの根っこにはどうしても避けて通れない暗い「闇」がある。
それは、「人種差別」「移民迫害」といった生易しい言葉では語れない、残酷で陰惨な狂気の所業・・・。
ビリー・ホリデイの《奇妙な果実》という曲をご存知の方なら、その何を意味するのかお分かりだろう。
私は、音楽本以外のアメリカの歴史の本も読み漁った。
そこに淡々と記述されていた「狂気の歴史」は、私の想像を遥かに超えるものだった。
本気でブルースを理解したい、アメリカ音楽を理解したいという人は、以下の「Without Sanctuary」サイトを見て欲しい(冷やかしの軽い気持ちの人や、心に傷を負っている人は絶対に見ないで欲しい)。
こちら⇒Without Sanctuary
アメリカン・ルーツ・ミュージック 闇
サイト内のショッキングな写真葉書は、いずれも「記念品」として販売されていたものだ。
翻訳ソフトを使いながら解説文を読んで、私は更にショックを受けた。
殺された人たちがどんな罪を犯したのか関係ない、ほとんど「殺す側」の娯楽として、それは日常的に行われていた。
しかも「多数派」である白い殺人者達(普段は良き市民であったろう者達)の狂気は、黒人だけではなく、同じ白人であるはずのユダヤ系、イタリア系、アイルランド系の移民達にまで向けられていた。
私はサイトを見た後もしばらく気分が悪かった、そしてそのショックは今も継続中である。 これは「白人が黒人に対して酷いことをした」という単純な問題ではない。
「弱いもの」「自分達と違うもの」に対する蔑みと恐怖に心が蝕まれると、人間は誰だって残酷なことを平気でしてしまうのだ。
アメリカという「強く豊かな国」の根深い闇は、そういう根源的な問いを私に突きつけた。
これは大変に重く憂鬱な問いだが、私はこれを思考することで、何故ブルースが心に深く響くのか、何故洋楽ロックやフォークのミュージシャン達が戦争や暴力を鋭く批判し、強い者が弱い者を虐げる社会を激しく憎むのか、少し理解に近付けた気がした。
Hard Times Come Again No More vol.1
さて、「戦前ブルースしか聴けない病」にかかって2年目だったか3年目のある日、私は一枚のアルバムをCDショップで見つけた。
それは「戦前ブルースの宝庫」と呼ばれるYAZOOレーベルのコンピレーション『Hard Times Come Again No More vol.1』という一枚のオムニバス・アルバムだった。
購入の動機は、いわゆる「ジャケ買い」だ。
Hard Times Come Again No More 1
「ハードタイムズ? どっかで聞き覚えのあるタイトルだなぁ・・・」とか思いつつも、ボブ・ディランの「あの曲」のことが内側でリンクしないまま、裏面のクレジットに、ブラインド・レモン・ジェファスンやバーベキュー・ボブといった馴染みのブルースマン達の名前を見つけて、「なかなか深そうなブルース・コンピだ」と思って、すぐに購入した。
収録されている音楽は、予想に反してブルースよりもカントリー系の曲が多かった。
ゴスペルもあり、私が知らないそれらのアーティストの演奏がまたすこぶる良かった。
そう、このコンピレーション・アルバム『Hard Times Come Again No More vol.1』は、1920年代から30年代の大恐慌時代を生きた貧しい人々の、ギリギリの心情を唄った音楽ばかりを、白人黒人を問わず、また、ブルースやカントリーといったスタイルの違いを問わず、良質で切実なものを厳選して作成された画期的なコンピレーション・アルバムだったのだ。
アコースティック 音楽 戦前
そして、私はボブ・ディランが唄った“あの歌”と、運命的な再会をする。
このCDの最後に収録されている、グラハム・ブラザーズの《Hard Times Come Again No More》。
歯切れの良いピアノ伴奏に、ボブ・ディランのそれとはまた違った暖かく力強い合唱で唄われるこのヴァージョンを聴いて、色んな想いが一気に溢れ、私は静かに涙した。
目をそむけたくなるような陰惨な狂気が「娯楽」として多くの弱い人や貧しい人々を苦しめていた戦前のアメリカ南部。
恐らくは多くの弱い人たちや貧しい人達が希望を見失い、貧困や暴力の恐怖に怯えながら、明日のない日々を生きていたことだろう。
しかし同時に、こんなにも素晴らしく力強い音楽が、人々の希望になり、或いは救済となって鳴り響いていたのではないかということを想った。
録音技術がまだ未成熟だったこの時代、アルバムに参加しているミュージシャン達は皆、レコードに吹き込まれた自分たちの音楽を聴く人々のことを想い、スタジオに置かれた一本のマイクに向かって「生の音、生の声」で、「楽しいことだってあるんだよ」ということを伝えたかったんじゃなかろうか。
実際に、このアルバムに収録されているほとんどの曲は、暗く陰惨な時代の日々の苦悩を唄ったものばかりだが、楽曲はむしろ陽気で朗らかだったりする。
辛い時代もその気になれば、ゴキゲンなリズムと音色に乗せて、人々を和ませ勇気付けるものに生まれ変わる。
これこそが音楽の持つ強さであり、凄みであろうと私は思う。
戦前の音楽はどれも好きだ。
『Hard Times Come Again No More Vol.1』も、そしてボブ・ディランの《グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー》も、私の「原点」として今も大切に聴いている。
「アコースティックな音楽が聴きたい」と、何となく思って「この道」に入り込んだ私だが、音楽から教わること、音楽に救われることは、そして音楽に感動させられることは、これからもたくさんありそうだ。
記:2014/10/24
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)