ブックオフ考
2017/04/16
新しい or 古い
私はよく近所のブックオフを利用している。
いらなくなった本を処分するために、だ。
家が狭いこともあり、さらに、一度読んだ本を再読することって滅多にないので、「おお、これはタメになる!」
とか、「面白かった!」と感じ、なおかつ再読の可能性のある本以外は、ある程度の冊数がたまると、どんどんブックオフに出してしまっている。
ブックオフの店員は、まぁ、アルバイトがほとんどだからということもあって仕方ないんだけれども、正直、書店員の商品知識よりは、数ランク劣る。
売れ筋、ベストセラー、著者名、そういったことには、まったく関心を払わず(払うだけの知識量・勉強量が無いんじゃないかと感じている)、淡々と、本を扱うのが良くも悪くも特徴的だ。
この、本を単なる物体としか見ていない視線。
もちろん、書店員も本を商売道具として見ているんだろうけれども、そこに注がれる本への愛情と興味の眼差しの質がまったく違うんだよね。
彼らは、奥付けやオビの謳い文句は、まず見ていないだろうけれども、もしかしたら、著者やタイトルすら見ていないんじゃないかと思ってしまうほどだ。
とにかく、彼らの判断基準は、商品が新しいか、古いかのみなのだ。
新しければ、150円の値段がつくが、少し痛んでいたり褪色したりしていると、たちまち50円、あるいは0円となることも珍しくない。
それが、たとえ発売されてから2週間しか経っていない新刊だとしても、だ。
もっとも、彼らは商品知識がないので、本の発売日を知っているはずもないのだが……。
いくら、昨日の新聞広告に全5段で「ベストセラー、重版出来、50万部突破!」というような広告が掲載されていたよ、と話しても、そもそも新聞のそういう広告すらチェックしていない店員が多いので(少なくとも私と接したブックオフ店員はそうだった)、彼らに本の価値的なことを話しても無駄なのだ。
彼らの関心は、キレイか、キレイじゃないか、だけなのだから。
「キレイ or キタナイ」徹底した判断基準
このことに関しては、キチンと言葉質も取ってあり、何人かの店員に、「あなたたちの買取の基準は何ですか?」
と尋ねてくると、かえってくる返答は、「私どもの判断基準は、商品がキレイか、キレイじゃないかです。」ばかり。
「たとえ、多少汚くても、現在、書店の目立つコーナーに平積みされている売れ筋商品だとしてもですか? 仮に、この商品を少し高めに引き取って、定価の100円でも安く販売するだけでも、欲しがるお客さんは大勢いますよ?」と尋ねても、
いえ、「我々はあくまで、商品の状態で……」のオウム返し。
「これは、店員のあなた個人の判断基準ですか? それとも、ブックオフとしての公の返答ですか?」と尋ねると、「もちろん、ブックオフとしてお答えしています」と胸を張る。
そうなのだ。
ブックオフの判断基準は、タイトル、著者、売れ筋or死に筋、話題作or非話題作、出版社、アマゾンでのマーケットプレイスでの相場などは関係なしに、どこまでも商品の見た目なのだ。
そういえば、商品の計算が終わってカウンターに呼び出されたときに、杓子定規に最初に言われるマニュアル文句は、「○○様、本日もキレイな状態の本をたくさんお売りいただいてありがとうございました。」だもんな。
これが、良くも悪くもブックオフという店なのだ。
だから、店員の態度や、本の買取価格の安さには目をつぶり、「買取価格が安い」が、買う立場となってみれば、「安く商品が手に入る」というメリットもあるわけで、
この店の特徴を把握した上で、上手に利用すればイイだけの話なのだ。
売るつもりならキレイに読もう
たとえば、「せどり」なんかは、その最たるものだよね。
アマゾンのマーケットプレイスでの絶版本や貴重本につけられた価格と、ブックオフでの安い価格の差額に目をつけた、うまいネット商売だと思う。
私は、「せどり」はやっていないが(そもそも商品をコマメにチェックする時間的余裕がない)、ブックオフの店頭販売価格の安さは、魅力的ではある。
なるべく私は書店で本を買うようにはしているが、ブックオフで目についた昔の漫画本を小銭で買うことはよくある。
売るほうにとってはメリットは少ないかもしれないが、買う側に回った場合に受ける恩恵は大きいことはたしかなのだ。
だから、最初から本を売るつもりで読む人は、出来るだけ大事に読みましょう。
そうすれば、最高値の150円、あるいは、100円ぐらいの値段はつくでしょう。
10冊ぐらい貯めて、その都度こまめに売りに出せば、
1000円ちょっとのお小遣い稼ぎにはなるでしょう。
で、そのときに、割引き券を兼ねたレシートももらえるので、そのレシートを使って、店内の安いCDを買ったりすると良いわけ。
しかし、そのCDなんだけどさ……。
ジャンルを横断した珍陳列
ブックオフの店員の商品知識の無さは、本よりもCD棚を見れば明らかだ。
たとえば、洋楽のコーナーの“M”を例にあげてみよう。
マドンナ、
メタリカ、
マイケル・ジャクソン
ここまでは良い。
マイルス・デイヴィス、
マーカス・ミラー
あらら、もろ4ビートじゃない音楽もやっているとはいえ、このコーナーでイイのか?
おそらく、ジャケットのイメージでこのコーナーに並べられたと思われ…。
ちなみに、Mといえば、村治佳織も、邦楽(あ、いまはジェイポップっていうんだっけ?)の“ま~も”のコーナーに陳列されていた。
ちなみに、彼女は、クラシックギタリスト。
ま、ミュージシャンは日本人であることには変わりはないのだけれども、ここよりも、もっと相応しい置き場所、あるんじゃないか?
かわいらしい彼女の顔がアップのジャケットの多い村治佳織のアルバム、きっと日本人の無名なシンガーとでも勘違いしているのでしょうね。
ちなみに、本日は、洋楽の“K”のコーナーでは、ケニー・ドリューのアルバムを何枚か発見。
ケニー・Gがこのコーナーにあるのならば、納得できるのだが(笑)、ケニー・Gは、きちんとジャズのコーナーに、ルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドと一緒に並べられておりました。
未開封ブルーノートCDが50円
そういえば、本日、ブルーノートの1500円シリーズの未開封アルバムを売りに持っていった。
アマゾンの通販で購入申し込みをしたにもかかわらず、なかなか届かなかったので、しびれを切らして店頭で買ってしまったアルバムだ。
店頭で買った直後にアマゾンから配送されてきたのでダブって2枚になってしまったもの。
当然、1枚あればいいわけだから、後で届いたものはビニールは未開封。
さて、この未開封CDをブックオフはいくらで値付けしたでしょう?
正解は、50円。
……は?
な世界だけれども、理由を尋ねると、「定価を拝見しますと、1500円となっておりましたので、50円なのです」とのこと。
つまり、元の値段によって、引き取り額が定められているのだろう。
これはいくらなんでも安すぎるので、売らなかった。
そのかわり、今日はCDを1枚買った。
長らく聴く気がまったくしなかった、マーカス・ミラーの『ザ・サン・ドント・ライ』を廉価でゲット。
この邦題が、『ザ・キング・イズ・ゴーン』なアルバム、早速帰って聴いてみたが、予想通り、いや、予想を遥かに下回り、
最低の内容だった。
テクニックの凄さには感心はするが、感動はまったくしない。
技術の凄さに感心したいときは、私はダンスや手品を見たほうがまだ楽しいと思う。
ベーシスト垂涎のアルバムらしいが、それ以前に、私はマーカスの打ち込みのセンスが好きではない。
これは、マイルス・デイヴィスの『シエスタ』以来、うすうす感ずいていることだけれどもね…。
もっとも、マーカスのベースのプレイは嫌いではない。
フェンダー75年のジャズベースにアクティブ回路を搭載して、マーカスばりなプレイをして悦にいる人たちの多さからしても、彼のベースは、ベーシストが憧れやすい一つの分かりやすいスタイルであることには間違いない。
しかし、ジャコ・パストリアスと同様、あまりに個性が際立ったスタイルゆえ、個人的には、真似をしようとは露ほども思わない。
彼の魅力的でセンスの良いプレイは、聴いて楽しむにとどめている。
たとえば、デヴィッド・サンボーンの『ストレート・トゥ・ザ・ハート』や、マイルス・デイヴィスの『ウィ・ウォント・マイルス』での彼のツボを突いたプレイは本当に素晴らしい。
上記2枚のアルバムからも分かるとおり、彼は、自分で自分の音楽を表現するよりも、サイドマンとして光るプレイをするほうが向いていると思う。
そして、ベーシストは、それで良いのだ。
さて、まーったく琴線に触れなかった邦題 『ザ・サン・ドント・ライ』も、近々ブックオフで売ることにしよう。
ま、たいした額はつかないだろうけれども。
記:2005/07/23