白夜行/映画版とドラマ版
2018/08/09
ドラマのほうが高評価
アマゾンや映画サイトなどのレビューを読むと、圧倒的にテレビ版の方を支持している人が多いように感じる。
それに比べて映画版の評価は惨憺たるものだ。
理由はいろいろあるが、要するに映画版の方に感じる「説明不足感」が、その際たる理由のようだ。
余白とクドさ
短い時間に、多くのエピソードを封じ込めるのは不可能だ。
しかし、だからこそ映画的表現における冒険ができるわけでもあり、個人的には、あまり説明しすぎずに、余白を残し、その余白の箇所に鑑賞者が思いを馳せるように作られテイル映画版は結構好きだ。
逆にテレビドラマの方は説明しすぎだと感じるのは私だけだろうか?
主人公の男女はしょっちゅう顔を合わせまくっているし(原作では主人公の雪穂と亮司は、子どもの時に犯罪を犯してからは一度も会っていないが、映画では原作に近く、直接的な繋がりの描写は描かれていない)、エピソードの一つ一つの根拠と経緯が丁寧に描写され過ぎており、それはそれで楽しめる内容であることには違いないのだけれども、映画版と比較すると「くどい」と感じることも確か。
特に、DVDなどでまとめて観ると。
この説明的なクドさは、武田鉄矢演ずる刑事(この時点では刑事を退職しており私立探偵担っている)が、桐原亮司(山田孝之)を歩道橋の上で罪状を時系列順に事細かに話しながら追い詰めてゆくセリフが象徴しているように思う。
もちろん、あのシーンにおける、セリフの長さには「俺はお前のことを見続けているんだぞ」という、このドラマ後半に登場する特有のテーマに則った描写であるので、これはこれでドラマ版ならではの描き方ではあるとは思っている。
それに、あの鬼気迫る「クドさ」は、武田哲也ならではの味わいなので、あのシーンの演出は嫌いではない。
まるで別人なヒロイン像
ヒロインの雪穂は、若干鬱陶しいながらも人間を感じさせるテレビ版の綾瀬はるかと、非人間的な冷酷さがにじみ出る堀北真希の存在感も、同じ主人公ながらも、まるで別の人間のようで、それはそれで面白い。
ひとつの作品からも様々な解釈が生まれるものだと思った次第。
松本清張の『砂の器』が、時代ごとに様々な描かれ方でリメイクされているように、この『白夜行』も忘れた頃に、その時代の旬な俳優を起用してリメイクされる作品なのかもしれないね。
現に韓国でも作品化されているし。
記:2011/07/15