シンデレラ・セオリー/ジョージ・クリントン&ザ・P-ファンク・オールスターズ
2021/01/31
『シンデレラ・セオリー』を聴きたくなった!
昨日のテーマは、あまり好きじゃなかったマイルス・デイヴィスのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』の「イイところを発見しよう!」だったので、5回以上、繰り返し、繰り返し聴いていたのだけれども、聴けば聴くほど、ファンクに対する飢餓感が増長されてゆくことに気付いた。
ファンク、というよりは、Pファンク、というよりも、ズバリ! ジョージ・クリントンの『シンデレラ・セオリー』の1曲目と2曲目が聴きたくなってしまったのね。
ニンニクテイストの下品さ
聴きたくなってしまったナンバーは、《エアバウンド》と《トウィーキン》。
ファンクの総帥や、大統領とも呼ばれているジョージ・クリントンの作品のなかでは、比較的洗練された仕上がりのアルバムだと思うのだが、底辺に流れるドロドロ、ベタベタ感は、やっぱりファンクのど真ん中の人の感性そのものなのよ。
使われている音色も、マイルスの『ユア・アンダー・アレスト』同様、シンセのプリセット音そのものなチープなものが多いのだけれども、使い方のセンスが全然違う。
マイルスのほうは、淡白、あっさり。
だから、ニンニクのはいっていない餃子の後にニンニク入りの餃子をガッツリ食べたくなるという飢餓感、っていうのかな?
たしかに、ニンニクのはいっていない「スヰートポーヅ」の餃子は旨いです。老舗なだけあって。
でも、こればっかりだと、やっぱり、もっとドスンとした臭みがほしくなるのね、B級グルメな私としては。
『ユア・アンダー・アレスト』のアレンジ、音色は、まさに「スヰートポーヅ」の餃子のようなもので、おいしいんだけれどもアッサリと上品。
下品さってあんまりないんだよね。
ところが、ジョージ・クリントンなんてのは、存在そのものがニンニクのようなものだし、しかも、ニンニク王国の帝王的存在なわけだから、(当時)最新のデジタルシンセサイザーのクリアな音色を使っていても、やっぱり、匂いが漂ってくる。
育ちの差、品格の差かもしれないし、「ジャズの帝王」と「ファンクの総帥」を取り巻く連中のセンスと訛りの差も大きいかもしれない。
あっさりテイストだが時折猛烈に聴きたくなる
で、どっちが良くて、どっちが悪いってわけでもないのだけれども、やっぱり、この手のリズム、この手のサウンドメイキングには、やっぱりニンニクの要素が欲しいと思ってしまうのが、ジャズのみならず、ソウルやファンクも好きな私の悲しいサガというべきか。
それでも、『シンデレラ・セオリー』は、彼の諸作のなかではずいぶんアッサリしたサウンドでもあるのよ。
それでも、昨日はもなぜかコレを猛烈に聞きたくなった。
だから、聴きました(笑)。
ちなみに、このCD、現在廃盤らしく、結婚前、まだ私が実家で暮らしていた頃、妹も弟もこのCD好きだったので、このCDの所有者を誰にするのかで、モメました。
じゃんけんで負けた私は、結局所有できず、PCに落としたものを聴くしかないのであります。
ちなみに、ウイナーは弟。
昨年は、ダニー・ハサウェイが大好きな女の子と結婚したので、ブラックミュージック好きな夫婦同士、今頃仲良くニンニク臭いファンクを聴いて幸せ気分に浸っているのかもね。
ちなみに、マイルスのフォローのために書いておくと、『ユア・アンダー・アレスト』参加メンバーでのライブはとても良いです。
ライブの演奏のほうが、へヴィで私好み。
もしかしたら、アッサリしすぎな出来は、プロデューサーやミックスが悪いだけなのかもしれないね。
記:2008/04/21