私がコルトレーン者になった理由
text:高良俊礼(Sounds Pal)
“アゲイン”が好きだ
「コルトレーンがきっかけでジャズにハマッた」という人は多いと思う。
CD屋稼業を長年やっていて、ジャズ好きのお客さんとジャズ談義、コルトレーン談義を交わしてきたが、その先輩方の中には「いやぁボクは最初にコルトレーン聴いておったまげてねぇ~、それからジャズ聴けるようになってねぇ~」という人はいっぱいいた。
カウンターで「うんうん、自分もですよ」と相槌を打つと
「君はどのアルバムからハマッたの?」
と、訊かれる。
堂々と胸を張って
「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲインです!」
と、答えたら
「そうか、アレはいいよね!」
と、好意的に捉えてくれる人が約2割
「え?アゲインの方なの?」
と訊き返す人が1割
「ボクは至上の愛だったけど、ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲインかぁ・・・あそこまで行くとちょっとついていけないかなぁ・・・」
「う~ん、世代の違いかなぁ~」
「後期のは体力的にしんどくてね・・・」
と、やんわり否定的な見解を示す人が大体6割ぐらいだった。
心の中では
「何だよぅ!後期コルトレーン最高じゃんよぉ!!」
と、沸々と煮えるものが出てきそうであったが、そこは客商売
「えへっ、自分元々パンク小僧でしたから・・・」
と、適当に言葉を濁しすのが常ではあったが、どんなに拒まれても、私にとってジャズのカッコ良さ、スリルと緊張のカタルシス、衝動のそれよりもっともっと深い所で鳴り響く「祈り」のような荘厳さに包まれる快感を、生まれて初めて堪能させてくれた、いわば「ジャズにハマるきっかけになった大切な入門盤」である「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」が、今も大切な大切な作品であることに変わりはない。
衝撃! パンクよりパンク
実は両親がジャズ好きで、物心付いた時から、家にジャズのレコードがたくさんあった。
でもジャズは「生活音」の一部として、余りにも当たり前過ぎて「音楽」として意識したことは、実家住まいの時はなかった。
ただ「おっちゃん達が聴く意味のわからん音楽なんだろーな」ぐらいの認識しかなく、私は思春期に音楽に目覚めると同時にブルーハーツを皮切りに、パンク、メタル、ハードコアまっしぐらのロック小僧になった。
もちろんブルースやフォーク、カントリーなどの「アコースティック・ミュージック」も聴いてはいたが、それらは雑誌で読んだ”好きなミュージシャンがオススメするもの”であり、完全にミーハーな気持ちであり
「ヒロトが言ってたジョン・リー・フッカー渋い!」
「ボブ・ディランが尊敬するウディ・ガスリーが尊敬するレッドベリーってヤバい!」
「ジョー・ストラマー先輩がジョニー・キャッシュ好きだとか言ってたから」とか、そういうやや軽薄な気持ちからであり、普段は「破壊と衝動こそすべて、めっちゃくちゃのぐっちゃぐちゃのパンクなものこそ音楽!」と、信じて疑わなかった当時の私はきっとピュアだったに違いない。
そのメンタリティは20を過ぎても変わらなかった。
途中途中で「ブルースは恐ろしい業を背負ったヤバい音楽」ということに気付かされたり、フォークやレゲエなどが実はアツいスピリッツを持つ反骨の音楽だということも思い知らされたが「私とジャズ」の距離は相変わらず微妙なものだった。
短大の頃はバンドばっかりやってて、2年目になっても卒業間近になってもロクな就職活動すらしなかった私だったが、ある日運よく東京のレコード屋でアルバイトとして潜り込むことが出来た。
そのレコード店は、先輩達もお客さんも恐ろしくディープな人達ばかりであり「自分は音楽のこと詳しい」と調子に乗っていた私の鼻っ柱は散々に折られる毎日だった。
”ジャズ”とは、そんな日々のさなかに出会った。
ある日のこと、ヨレヨレの格好をした初老の男性が、買取カウンターに大量のジャズのレコードを持ってきた。
先輩とのやり取りを少し離れて見守っていたが、やはりレコードは盤質に問題があるものが多々あったらしい。
「いいんスかね?」
「でもこれ・・・だぜ」
「一応チェックしてみましょう」
という先輩達の会話に聞き耳を立てていて何となく分かったのは「あのおっさんが持ってたレコードは、大分ボロボロだがオリジナルやレア盤が多いので、チェックして再生に耐えうるものならば買い取ろう」ということだったらしい。
へー、と思いながらレコードがターンテーブルに乗り、音が流れるまでの数秒の間、私は適当に違う作業をしていた。
音が鳴ったその一瞬!本当に「一瞬」で私はスピーカーから爆音で鳴り響くその音に、高等部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
「え?これってジャズ? 何これ、こんなパンクでハードコアな音楽、ジャズって言うのか?いや、これはパンクよりパンクなんじゃね? ヤバい、ヤバい、ヤバい引き込まれる・・・・!!!!」
そう思ったと同時に私は淡々と音を聴きながらレコードの溝に目を走らせている先輩に迫った。
「コレ、なんすか? すげーパンクっすね!!」
先輩は「お前こんなことも知らないのか」みたいな顔で「コルトレーンだよ」と淡々と答えた。
ジャズに開眼
コルトレーン、あぁ、名前は聞いたことある。確か親父も何枚か持ってた。親父が聴いてたこともあったかも知らないけど、それはこんなハチャメチャじゃなくて、もっとスーっとしたのだったやつ、だった…、かも…。
すかさずその場にあったメモ紙にきったない字で「コルトレーン、ヴィレッジなんとかAgain」と走り書きした。先輩はそれを見てやれやれという顔をして笑い「これB面の《マイ・フェイヴァリット・シングス》な」と教えてくれた。
「カッコイイものはパンク」
これは今も私はポリシーとしても心の奥底に秘めている言葉だが、この時聴いたコルトレーンは、私の心を“パンク”に捉えて放さなかった。
そして、それからしばらくして「ジャズの世界にはフリー・ジャズっていうのパンクなスタイルがある」ということも教えてもらい、私はそれまでパンク、オルタナ、メタル、ハードコア、ブルースなどの全ジャンルを「聴く耳」を一旦すべて閉じてフリー・ジャズへとひた走った。
その体験から一気にジャズに開眼して、“コルトレーンつながり”で、アルバート・アイラー、アーチー・シェップ、サン・ラー、エリック・ドルフィーという名前を知り、知っては音盤を捜し求めて聴きまくり、コルトレーンも後期ばかりのものではなく、初期のハード・バップなものも、最初は理解できなかったが聴いているうちに素直に「あ、カッコイイな」と思って今に至る。
奄美で“後期”が大好評
そ、「ジャズ」という素晴らしい音楽を最初に教えてくれたコルトレーンには、だから特別な恩義あるのだ。
いつかどこかで、その大恩あるコルトレーンに、CD屋として恩返しをしようと誓い、23歳の時に島に帰った。
家業のサウンズパルでは、毎年「大コルトレーン祭」と題して、命日の7月17日から、夏が終わる8月の末日まで、ジャズ・コーナーにコルトレーンのCDをドカーンと派手に並べ、「1日に1回はコルトレーンのアルバムを丸々1枚流し“売れ線試聴機”にしれっとコルトレーンのアルバムを混ぜてやる」という、ほとんどテロのようなことをやっていた。
「どーせ売れんだろう」と、半ばヤケクソではあったが、コルトレーンのCD、意外によく売れた。
最初は、往年のジャズ・ファンの人たちが「へぇ、コルトレーンかぁ、懐かしいね」と、応援してくれて、『バラード』や『ブルー・トレイン』、『ジャイアント・ステップス』などを「懐かしくなったから買いなおすよ」と購入していってくれて大変にありがたかったが、残念ながら私がイチオシする後期コルトレーンには飛びついてはくれなかった。
しかし、2年目から、意外な現象が起こったのである。
当時奄美では、ボアダムスが若い人たちの間で流行っていた。
その影響からトランステクノや民族音楽、60年代70年代のサイケ、ジャーマン・プログレなんかにハマる人たちが結構いて、彼らを掴まえては「ダメでも元々」で、後期コルトレーンを(今思うとほとんど無理矢理)聴いてもらったのである。
心の中では「どーせ売れんだろうな、後期コルトレーンはジャズファンでも”難しい”って言うぐらいだからな・・・」と半分諦めていたが、彼らは口々にこんなことを言った。
「ヤバイ!これ、躍れるっス!!」
「めっちゃピースフルですよ、うわ~、これはクるわ!」
「激しくて重たいけど、とても優しく感じるっすね。やっぱ生音だからっすかね?」
と、試聴で本質をバンバン突いてくる。これには驚いた。
私より一世代若いこの人たちの感性は、私なんぞよりずっと繊細にコルトレーンの「歌心」をもしかしたら捉えていたのかも知れない。
イチオシした中で一番売れたのは『クル・セ・ママ』、その次が『コズミック・ミュージック』『オム』『インターステラー・スペース』だったが、『ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』もなかなか好評だった。
私はこのアルバム「パンク」と思ったが、彼らは「これは瞑想っぽい雰囲気の、とてもスピリチュアルな音楽」と感じたらしい。
図らずも彼らの“読み”は的中し、それから数年後には「スピリチュアル・ジャズ再評価」の機運が高まり、コルトレーンもそういった方面から注目されるようになった(これには本当に驚いた)。
さて、「サウンズパル」は実店舗を閉めて今はお店での「大コルトレーン祭」はお休みしているが、コルトレーンへの恩義を片時も忘れたことのない私は、ブログでずっと「大コルトレーン祭」を続けている。
私が出来る「コルトレーンへの恩返し」それは、コルトレーンを知らない人に少しでもコルトレーンを知ってもらって聴いてもらうこと。そしてその人の音楽人生が豊かで実りの多いものになることへのちょっとしたお手伝いが出来ることである。
あ、いや、もしかしたら「私の音楽を聴いて“いいな”と思った人の生活が少しでも豊かなものになればいいな。ついでに世界も平和に充ちたものになるといいよね・・・」というのは、コルトレーン自身の願いだったのかもしれない。
今日も猛烈に暑い陽射しが降り注いでいるが、そんな中で聴く「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」はやっぱり最高だ。
魂を揺さぶる音楽であり、ピースフルな祈りであり、混沌の中でたぎる生命へのアツい讃歌だと、私は多分一生思い続けるだろう。
記:2015/07/27
text by
●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル)