ライヴ・イン・ジャパン/ジョン・コルトレーン

      2021/12/28

ビートルズ来日50周年

今年2016年はビートルズ来日50周年。

そういえば先月、『ジャズ批評』誌からアンケートが届き、私が好きなビートルズナンバーなどを記入の上返信したけれども、『ジャズ批評』の次の特集は、ビートルズ来日50周年記念を記念した「ビートルズジャズ」の特集を組むようだ。

このように、ジャズ業界でもビートルズ来日50周年が注目の的となっている。

しかし本場ジャズの世界においても、50年前には歴史に残る出来事が起こっていた。
そう、コルトレーンだって今年は来日50周年なのだ。

1966年にジョン・コルトレーン・クインテットは来日している。

しかし、「ビートルズ来日」のインパクトには及ばないのかな。
それとも、もうコルトレーン来日時の記憶は色褪せてしまっているのだろうか。
あるいは、プロモーターの資金繰りが芳しくなくなったため、神戸新聞が引き継ぐかたちで興行することになり、それが来日直前だったこともありプロモーションが行き渡らず、各会場がガラガラだったということもあるのかもしれない。

とにもかくにも、あまり、ジャズ関係の世界でコルトレーン50周年という言葉は聴こえてこない。

なので、ここで勝手に騒がせてもらいます(笑)。

コルトレーンが来日した時の公演の模様を収録したアルバム、『コルトレーン・ライヴ・イン・ジャパン』を紹介!

ひたすら長く熱い

最近では完全版の5枚組のバージョンも発売されているが、オリジナルのCDでは4枚組に及ぶ長大な演奏が収録された『ライヴ・イン・ジャパン』。

はっきり言って、毎日気楽な気分で聴けるアルバムではない。
それどころか、年に1回、いや、3年に1回ぐらいの頻度で「よっしゃ、気合を入れて聞くか!」と心の準備を整えてから聴く類のアルバムかもしれない。

その大きな理由としては、演奏時間が、各曲とても長いことにあある。

それに加えて、ジミー・ギャリソンのベースソロが13分にも及ぶ曲もある。
ベース好きや、ギャリソン好きにはたまらない箇所かもしれないが、一般的にはあまり興味のない箇所なのではないかな。

さらに、ほとんどの演奏は、音楽的なメリハリや起承転結に乏しく、ただ「激しいための激しい」演奏、「熱いための熱い」演奏なのではないか?と感じてしまう内容。

単調、とまでは言わないけれども、同じ熱さ、同じ調子の演奏がひたすら続くため、「真剣に聴こう」と気を引き締めて演奏に対峙しないと、ただ暑苦しくやかましだけの音楽に感じてしまうことが、このアルバムを聴こうという意欲を削ぐ理由なのだろう。

長尺演奏は、ランナーズハイを求めていたから?

おそらく、この時期のコルトレーンが目指した音楽は、かつての《ジャイアント・ステップス》や《モーメンツ・ノーティス》のように、コード進行を極限まで細分化した整然とした図形の上を、まるで軽やかにパズルを解くかのようにすいすいとテナーサックスを吹くということが目的なのではなく、音楽的な枠組みは極度にシンプルに単純化し、そのシンプルで太いレールの上でいかに自分自身の本性をさらけ出し、生々しさを表出させるのかという点に関心が向かっていたのだろう。

これは長距離走に近いものなのかもしれない。

10分20分と走っていると、だんだん呼吸が苦しくなる。
しかし、これを30分、40分と続けていると、有酸素呼吸に変わるため脳からβ-エンドルフィンが分泌され、ランナーズハイが訪れる。

しかし、このランナーズハイが訪れるのを待つためには、数十分の時間が必要であり、どうしても時間がかかってしまう。

この時期のコルトレーンの演奏が長尺化していったのは、有酸素呼吸的な恍惚とした快楽状態が訪れるのを待つためだったのかもしれない。

コルトレーン以下、ファラオ・サンダース、ジミー・ギャリソン、アリス・コルトレーン、ラシッド・アリたちも、同じくβ-エンドルフィンによる恍惚感を味わっていたのかもしれない。

マイ・フェイヴァリット・シングズ

これを厚生年金会館やサンケイホールで聴いていた聴衆たちはどう感じていたのだろう?

残念ながら、私はこの1966年にはまだ生まれていない。
また、ビートルズの来日コンサートに足を運んだ人は数人知っているが、このコルトレーンの来日コンサートに訪れたことがあるという人には出会ったことがないので、その時の体験談を聞くことができないのだが、おそらく、その演奏現場に立ち会っていた人たちは、だただ圧倒されていただけなのではないだろうか。

なんだか、苦行僧の修行に付き合わされてるような気分になっていたのかもしれない。

このアルバムの中で最もハイライトとなるのは、おそらくコルトレーンが長年繰り返し演奏し続けてきた《マイ・フェイヴァリット・シングズ》だろう。

エルヴィンやマッコイが在籍していた頃の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》に比べると、音楽的なメリハリには乏しく、単調に感じてしまう事は否めない。

もっともこの時期の演奏の方向性は、メリハリや起承転結などは求めていなかったのだろうが……。

ダイナミックではあるが、ダイナミクスには乏しい。

これが、『ライヴ・イン・ヴィレッジ・ヴァンガード』や『ライヴ・イン・ジャパン』の《マイ・フェイヴァリット・シングズ》に感じる感触だが、これと同様の感触は、このアルバムに収録されている他の演奏にも共通している。

あとは、好き嫌いの問題だろう。

強引男?コルトレーン

熱く激しい音楽が好きな人にとっては、マグマがどくどくと沸騰しているような演奏に興奮を覚えることだろう。

若い頃の私も、これを大音量でかけながら、クーラーのない真夏の部屋で、ビールを飲んでタバコを吸いながら、スゴイねなどとニコニコしていたものだ。

しかし、この演奏から受ける感動や驚きとは、コルトレーンや、メンバーたちの姿勢であって、音楽そのものから受けるカタルシスでは無い。

べつに音楽そのものから感動しなければいけないというルールはないのだが、 意地悪な言い方をすれば、自分の精神修行のため大勢の観客を付き合わせてしまっているとも言えなくもない。

無骨な大男・コルトレーンは、一見真面目そうに見えるが、実はかなり強引な男だったのかもしれない。いや、単に不器用だったのかもしれないが。

もちろん、このアルバムの熱さや、メンバーたちの演奏に対する集中力は感嘆に値する。

しかし、CD4枚を一気に聴き通すのには、かなりの体力と精神力が必要とされる。もちろん別に連続4枚聴きする必要は全くないのだけれど。

最初で最後の来日時の演奏を収録したという点においては、貴重な記録ではあるけれども、音楽的に充実した、楽しめる音源とは言い難いというのが正直なところ。

苦行と快楽紙一重

とかなんとか、多くの人があまりこのアルバムについてを言及していないようなので、あえて辛口で書いてはみたんだけれども、なんだかんだ言って、私、このアルバム、そんなに嫌いではないんだよね。

今日はこの夏最高の猛暑日だと天気予報が告げていた。

では部屋を閉め切ってクーラーをかけずに、そのかわりキンキンに冷えたビールを飲みながら、コルトレーンの「苦行」に私も一緒に付き合ってみることにするか。
こちらは「快楽」気分で。

記:2016/08/09

album data

LIVE IN JAPAN (Impulse)
- John Coltrane

disc 1
1.Afro Blue
2.Peace on Earth

Disc 2
3.Crescent

Disc 3
4.Peace on Earth
5.Leo

Disc 4
6.My Favorite Things

John Coltrane (ss,as,ts,bcl,per)
Pharoah Sanders (as,ts,bcl,per)
Alice Coltrane (p)
Jimmy Garrison (b)
Rashied Ali (ds)

1966/07/11 at Shinjuku Kosei Nenkin Hall
1966/07/22 at Sankei Hall

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