コンファメーションの秘密
ドキュメント・フィルムのエンディング曲
私がチャーリー・パーカーにハマったのは、《コンファメーション(Confirmation)》という曲がキッカケだった。
『セレブレイティング・バード』というチャーリー・パーカーのドキュメント映画のエンディングに流れるナンバーでもある。
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私はこのドキュメント・フィルムのラストに流れる《コンファメーション(Confirmation)》を聴いて、一気にこの曲の虜になった。
パーカーの波瀾に満ちた生涯を、駆け足で追いかけた後に流れるこの曲は、この映像を観た者に、切なくも爽やかな印象を与えるのに一役買っていることと思う。
この演奏は、『ナウズ・ザ・タイム』(Verve)というアルバムのラストに収録されているが、本当に躍動感あふれた素晴らしい演奏だと思う。
予想以上に難しい
渋谷のジャズ喫茶で『セレブレイティング・バード』を観た私は、家に戻ると早速この曲をピアノで弾いてみようと、『ナウズ・ザ・タイム』のCDと、『スタンダード401』という譜面集を取り出した。
当時の私は、パーカーにはさりとて興味はなかったものの、モダンジャズの最高峰と言われているパーカーのCDは一応、数枚は持っていた。あまり聴いていなかったけど……。
アルバムのラストに収録されている《コンファメーション》をかけながら、譜面を目で追い掛けてみる。
は、速い!
しかも、何だ、この音の飛び方と複雑な譜割りは!
もしかして、この曲、滅茶苦茶難しいんとちゃうか!?
試しにピアノで譜面を見ながら右手だけでテーマのメロディラインをなぞってみる。うん、やはり難しい。
なのに、なぜパーカーは、あんなに軽々と当たり前のように吹いているのだ?
これが、パーカーを意識した最初のキッカケ。
だって、あんなに難しいメロディラインをあたかも太古の昔から存在したかのようにサラッと吹いているんだよ?
こっちがパーカーのサックスに合わせて鼻唄まで歌ってしまいそうなぐらい軽やかにハッピーに、そして難しさを微塵も感じさせないぐらい易々と、当たり前に。
正直、私も譜面を見るまでは、こんなに難しい曲だとは思ってもみなかった。
難しい曲を難解そうに演奏することは簡単だ。しかし、パーカーはまるで鼻唄でも歌うかのようにサラリと《コンファメーション》を吹ききっている。
他のジャズマンが吹くと?
そんなの当たり前だよ、お前はトーシローだけど、パーカーは百戦錬磨のプロではないか。アマチュアのレベルでプロの実力を云々言ってもショウガないではないか、という声も聞こえてきそうだ。
ところが、他のジャズマンが演奏している《コンファメーション》を聴くに、必ずしもそうとは言えないのだ。
『4,5&6』のジャッキー・マクリーン、ドナルド・バード、ハンク・モブレー。
『マックス・ローチ4・プレイズ・チャーリー・パーカー』のケニー・ドーハム、ハンク・モブレーなどを聴くに、ほとばしる熱気は伝わってくるものの、ちょっと演奏がもたついているようにも感じる。
>>ザ・マックス・ローチ4・プレイズ・チャーリー・パーカー/マックス・ローチ
第一、トランペットとサックスのユニゾンがピタリと一致していない。
一生懸命吹き切ろうとする熱意はすごく伝わってくるのだが、気持ちにカラダが付いていかない、そういうモドカシサがヒシヒシと伝わってきてしまう。
逆にそれが良かったりもするので、聴きながら「頑張れ!」と応援したくなってしまうのだが……。
いずれにしてもパーカーの演奏とは程遠い演奏。
何故なのだろう?
私はパーカーが演奏する《コンファメーション》の快楽と、自分を含めてこの曲を演奏するパーカー以外のミュージシャンの発する音につきまとう「もどかしさ」のギャップに非常な興味を覚えた。
違いはアクセント
この出来事のしばらく後に、私はベースを始め、ベース教室に通い始めるのだが、最初のレッスンでは開口一番、「《コンファメーション》を弾けるようにして下さい!」と言った。
先生も呆れていたことだろうが、レッスンでは基礎的な訓練しかやらせてもらえなかったが、家ではサルのように《コンファメーション》のベースラインだけを一生懸命練習していた。
一ヶ月もすればまぁ何とかカタチになってきたし、ソラでも弾けるようにはなったので、「よし!ジャムセッションで《コンファメーション》をやるぞ!」と、ブルースのベースラインすらもロクに弾けないクセに、毎月恒例で行われているジャズ喫茶のジャムセッション大会に参加してみた。
自分の伴奏の上で、フロントの管楽器奏者はどのようにテーマを演奏するのか?
ただCDを聴いているだけよりは、実際に自分が演奏に参加することによって、より身近に《コンファメーション》の謎が解明出来るのでは?と思ったからだ。
ところが、《コンファメーション》をやりましょう、というとみんな嫌がるんだよなぁ。
テーマが難しいから、と言って。
やっぱり難しい曲なんだな、と改めて実感した。
しかし、幸いなことに私のワガママに付き合って下さる方も何人かいらして、《コンファメーション》のセッションを実現することが出来た。
弾いている時は夢中だったので、あまり他人の出している音は耳に届かなかったのだが、それでもパーカー以外のミュージシャンが演奏するテーマと同種の「違和感」は感じた。
何故だろう?
皆さんそれぞれ演奏は上手だし、パッと聴きには全然問題の無いレベルなハズだ(一番ヘタなのは私だ)。
それなのに、このパーカー演奏の《コンファメーション》とは明らかに違う感触。
音色の違い?
テンポの違い?
それも、確かにあるだろう。
だが、しかし?
最後のテーマに戻り、私は必死にベースで4ビートを刻みつつもフロントの管楽器が発するメロディに耳を傾けた。
彼らは、譜面通りに丁寧に一音一音吹いている。
え、譜面通り?
そうか、譜面通りにきちんと吹いているからなのか。
そうだ、これはきっとアクセントの問題なのかもしれないぞ。
私の伴奏につきあってくれた人達は、譜面に並んだ音符を、そのまま「フラット」に、「イーブンに」吹いているから、ニュアンスが違って聞こえるのではないのかな?と感じた。
パーカーの驚異的なリズム感
家に帰ってもう一度パーカーの演奏に耳を傾けてみた。
うん、全然アクセントの置き方が違うではないか。パーカーのサックスは裏へ裏へとアクセントを置きながら吹いている。抑揚の付け方はそれほど露骨ではないのでよく聴かないと分からないけれども、一音一音のメリハリの付け方が、つい先ほど共演した人達のアクセントの置き方とは全く違う。
アクセントのを置く場所を微妙に変化させて演奏をするパーカーのサックスは、同じテンポでも他の演奏とは格段に違うスピード感と推進力を得て、軽やかにグングンと「前へ、前へ」と進んでゆく。
これが、私がパーカーの《コンファメーション》に感じた快感の正体なのか、と納得した瞬間、溜飲の下がる思いがした。
リズムのウラにアクセントを置く。これは演奏されているテンポの倍のリズムをカラダで感じていないと中々容易には出来ないことだ。
ジャズではちょっとしたアップテンポの曲だと平気で180とか200を超えてしまうが、その倍の360や400のテンポを感じなければならない。
これは相当に凄いことだ。
かなりの体内速度とリズム感がないと無理。
しかし、パーカーは超人的な体力、リズム感、スピード感でそれをさらりとやってのけてしまっている。
パーカーの「難しい曲なんだけど軽やかな感じ」というのは、彼の並々ならぬリズム感が秘密だったのだ。
《コンファメーション》を楽しめれば他の曲も楽しめる!
そこに気が付くと、パーカーの残した音源の観賞が格段に楽しくなる。
《ドナ・リー》の演奏も、私が《コンファメーション》に感じた感覚と全く同種のものだし、《コンファメーション》のテーマからアドリブパートにおけるブリッジ部のソロ(俗に言う《フェイマス・アルト・ブレイク》)は本当に圧巻、《バーカーズ・ムード》や《K・Cブルース》のようなスローなナンバーでも、パーカーは倍のリズムで斬り込んでくるのがカッコイイ。
挙げ句の果てには、演奏中に突如としてあらわれるパーカーフレーズを心待ちにしてしまうようになったり、「オレはパーカーの音だけを聴けりゃぁいいんだぁぁぁ!」と、パーカーの残した未発表テイクや、パーカーのソロの部分しか入っていない音源までも聴きたくなってくる。ここまで来れば、もう立派な中毒症状でしょう。
もっとも、パーカーの演奏と他の人の演奏の微妙な違いを探ってみた時期はあったものの、何にも考えずにのほほんと聴いてもやっぱりイイ曲ですよ、《コンファメーション》は。
記:2000/05/04